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 恭个の提示した条件は、事務所を兼ねた住まい。静かな立地。そして、格安。付け加えるなら、曰くつき。なかなか条件に当てはまる物件に出会えなかった恭个は、今まで各地を転々としながら旅行気分で櫻見町に流れ着き、漸く、それに出会えたかもしれなかった。

 冷たい同居人と共に、のんびりと探偵業などを営みたかった。そんな酔狂な理由を述べるほどオカルトに傾倒している自覚はない。それでも、思いついたら即行動していた。何か予感めいたものを直感したのもある。しかし、もっともな理由は自身の厄介な体質を改善したいという思いがあったからだろう。

 赫崎恭个は幽霊を見ると気絶する。

 随分と厄介な体質で自動車免許など取れるはずもなく。外を出歩いているときですら油断はできない。なにせ彼女は突然ぶっ倒れてしまうのだ。時と場合によっては命に係わることぐらいは十分に予想できる。

 原因を突き止める為に病院に罹ったこともあった。ナルコレプシーや癲癇、レビー小体型認知症(この可能性は最も恭个を不安にさせた)など気絶する直前に幻覚を伴う病は存在する。だから最初こそ、現実的な対処法の取れる脳の障害を疑ったのだ。しかし、異常は発見されなかった。医師には、心的な問題として扱われ、許容範囲内の薬を処方される始末だった。それはそれで、多少の気分転換にはなるので服用は続けているが、結局、幽霊は相変わらず見えるし、その直後に気絶もした。

 百歩譲って幽霊の存在は認めても、その後に気絶するのだけは許容できなかった。もともと、人体発火体質である恭个は、この世に超自然的現象は在って然るべきと考えている。あの世とこの世の境界線を明確にすることに意味はない。あるのは知覚したその感覚のみ。恐怖は恐怖として、悦楽は悦楽としてのみ。……それが全てである。

 現実側からの解決は不発に終わった。ゆえに、次に考えられる対処法はこの世ならざる者の存在に近づくことだと、恭个は推測し、以前探偵業を営んでいた土地を離れて、彼女に都合のいい環境を見つける旅に出たのであった。

 そうして辿り着いたのが、櫻見町の西洋的な一戸建て。通称、櫻見の幽霊屋敷だった。


 恭个は、契約が完了する数日をビジネスホテルなどで過ごし、合間には、櫻見町の伝承などを調べて歩いた。

 特筆すべき事柄こそなかったものの、改めて町の中を散策してみると、やはりその圧倒的な数の桜の木々の存在に衝撃を受けた。

 整然とした統一感を度外視した、多種多様の品種が所狭しと並木道を作っている。開花シーズンの櫻見町はこの多様な桜の花びらのモザイク模様に彩られるのだろう。それはそれで一種の美の形態であるのかもしれないが、一つ間違えればグロテスクな様相に変貌しかねない危うさに儚さすら感じる。だから、恭个は、この大胆な植栽をよく施工したものだと詠嘆する他なかった。

 一つ、印象的な出会いがあったことを思い出した。兎角、その日の夕暮れは灼けつくような酸漿(ほおずき)色に目が滲んだ。四つ辻に植えられた早咲き桜――河津桜の形姿は凄惨な炎に包まれ、恐ろしい悲鳴を上げているような倒錯的な佇まいだった。

「美しさは時として毒。この地に根を張る桜は地獄に通じている。私たちが見ているこの風景はもしかしたら地獄を映し出したものかもしれない、そうとは思いませんか?」

 今にも消えてなくなってしまいそうな白い後ろ姿。突然の声。恭个に話しかけていることに気が付くのに一瞬気が付かなかった。

「この地に伝わっている天女の伝説ですか」

「天女を私は存じませんが、そのような伝承が数多く残っているようですね。この櫻見の町には……」

 振り返ったその人は中性的な雰囲気に包まれた女性だったような気がする。

 黄昏に燃える桜はよく記憶しているのだが、その人物の印象は霞のように朧げなものとなっていた。

「よく見られる羽衣伝説とは気色が違うのは面白いですよね。桜に誘われたという天女、その羽衣が奪われる過程、天女の顛末……。私には寓意的な意味合いが強いように思える」

 恭个は歌うように蒐集した櫻見町の羽衣伝説を諳んじた。


――桜に誘われ、天から舞い降りた天女は誠実な青年に道案内を乞う。道中、青年はその天女の尊い姿勢、高貴な眼差し、なにより、匂やかな姿態に魅了されてしまった。そこに現れた羽なし雀が青年の肩の上から囁くのである。

「あの羽衣を奪ってしまえば天女さまは天に帰れない。天女さまはこの地を離れられなくなるぞ」

 それを聞いた青年は天女を水浴びに案内し、天女が川辺で水を浴びている隙を見て羽衣を奪い取ってしまった。天女は青年に羽衣の場所を訪ねた。

「あの雀たちがあなたの水浴びをしている間に持ち去ってしまったのです。私はあなたの白い肌を見てはならないと目を塞いでおりましたので、雀を逃がしてしまいました」と青年は答えた。

 天女は青年の言葉を信じておいおいと泣き崩れてしまった。

 この様子を見降ろしていた天の神々は大いに天女の無知を嘆き天界から追放した。

 天に帰れない天女は青年と共に地上で生活するようになった。

 しかし、天女が地上で生きるにはあまりに美しすぎた。地の底を彷徨う亡者たちはそんな天女の美しさを放ってはおかなかった。青年が野良仕事に出ている間に、亡者たちは天女に群がり、地の底へと引きずり込んでしまった。

 野良仕事を終えた青年は誰もいなくなった小屋でひとり途方に暮れる。そして、雀が現れて耳元で囁いた。

「天女は地の底に連れていかれた。でも、それでよかったろう。これで天女はこの地を離れられないのだから」

 それを聞いた青年は深く後悔した。「私はただ天女さまに傍に居ていただきたかっただけなのです」青年は己の愚かさ加減を呪って首を括ったという。


 以上が、櫻見町に伝わっている羽衣伝説である。

「多少、私の主観が混ざってしまったかもしれませんが、凡その筋は通っているはずです」

「ええ、私が知っているお話もそのようなものだったと記憶しています」

 薄い笑みを浮かべた女性の眼差しは真っ直ぐと燃え盛る桜の姿を捉えていた。

「このように、華美に装飾される羽衣伝説というのはどれも、霞のように掴みどころがなく、ゆえに想像力を掻き立てられる」

「霞ですか……それは幻であり、単なる妄想かもしれない、と?」

「そこまでは言いません。ただ、なんて言ったらいいのかな……。櫻見町について数日調べて歩いたのですが、この土地があったから伝説が生まれたのではなく、伝説に寄せていく形で町が形成されていったような気がしたんです。おかしな発想だとは思いますが」

 その地に天女が降臨する、そこに顕れる霊性とはいったいどこを発端としているのか。忽然と姿を現し、舞を舞い舞い天を登っていく様はまさに霞だ。しかし、櫻見町の羽衣伝説には他では見られない奇怪な様相を呈している。

 青年を唆す羽なし雀、天女を地の底へと引きずり込んでいく亡者たち、再び青年の下に姿を現した雀は追い打ちをかけるようなことを囁く。その結果、青年自ら命を断つという悲劇的な結末を迎えるものだった。

「このように悲劇的な型の羽衣伝説は他では聞いたことがない」

 物語めいた脚色には、何か深い意味が隠されているのではないか。単純な天女降臨を謳った伝説ではないのは確からしい。

 想像たくましく思考が転々としていくこの感覚は、探究者としての醍醐味だと恭个は知らず笑みを浮かべてしまう。とはいえ、彼女の生業は探偵であって、決して研究者などではないのだが。

「甘言に唆されて掛け替えのないものを失う。そういう教訓を語り継いだものじゃないか? 寓意的な意味が込められている気がしてならない。まあ、一つの解釈としてですが」

 夕暮れ時は、黄昏れ時。そして、この世ならざる者たちの動き出す逢魔が時……。

 邪な存在が跳梁跋扈するのも頷ける燃えるような赤い空は毒々しく禍々しい。まるで、そこが地獄にでも転じたかのように。

「ああ、だから櫻見の町の下には地獄が存在するのですね。なかなか、面白い解釈です」

 何かうすら寒いイメージが垣間見えたような気がしたのは気のせいか。

 それまで、桜の木を見上げていた女性は振り返り恭个の眼を覗き見る。あるいはその奥。内の内、最も深い部分を透かし見るため、そこへと通じる両眼を真っ直ぐと。

「ええ、そこが地獄です。天使の魂は今もそこから離れられずに彷徨っている」

 女性の目の中に光らしきものは見えない。そこにあるべき存在性が極端に希薄だ。ぱっくり、と開いた穴からは灼けつく空と同一の、酸漿の赤。それが引き攣った笑みであることに遅れて気が付く。

「あるいは、予言であるかもしれない。それは、櫻見町の現実を歪めるかもしれない」

 確かに、全身をなめ尽くす舌の蠕動を幻覚した。四つ辻に黄昏時。この世ならざる者が混ざり込んでも気が付けない。にわかに、恭个の額に冷たい汗が滲みだした。

「ようこそ、櫻見町へ――」

 その時の女性の目は恐ろしかった。すべてを見透かされているような真っ直ぐな視線に何の感情も読み取れないことに恐れを感じた。

 差し出された枯れ木のような細腕の意味を悟ったとき、恭个は曖昧な笑みを浮かべながら、その手を握ったのだった。

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