「お元気ですか」
お元気ですか、をずっと不思議に思っていた。
元気かどうかなんてどうでもいいじゃないか。久方ぶりに連絡を取るのなら、もう少し何か他の文言の方が合っているのではないか。もっと言えば、親しかった相手ならば突撃するくらいの勢いで連絡をとってしまえばいいのではないか。私はそれくらいしてくれた方が面白いと思う性質だ。
だからお元気ですか、は誰かによって考えられ使い果たされたテンプレートであったと先日まで思っていた。
しばらく連絡を取っていなかった友人と会う機会があった。かつて仲間であった彼らと、久しぶりの再会であった。随分会っていなかったから、それぞれ変わりながらも変わらない部分もあったりと、月日の長さを感じながら、私はあまり変わっていないなと思ったりした。それでも、彼らからすれば私は変わったと思われていたのかもしれないのだから、人間の目は信用できない。私は変わっていない。少しばかり、物事をしぶとく考えるようになったくらいだ。
そんな彼らと話す中で、かつての仲間の話になった。とある仲間の一人と連絡が取れないのだという。私もその人と連絡は取っていなかった。しかし、忘れたわけではない。その人がどんな人であったか、優しさの断片も過ごした思い出も私はよく覚えている。一度覚えてしまったことはなかなか忘れないのだ。
だから、素直に私は悲しさを覚えた。私たちの繋がりとは思っていたよりも希薄だったのだ。あの頃疑うことのなかった繋がりは、こうも簡単に絶たれてしまう。発達した現代の通信でさえも、私たちを繋ぎ続けることは難しい。たとえ電話番号や住所を知っていたとしても、それはずっと変わらないものではない。いつでも変わってしまうものなのだ。変わってしまえばもう一度繋がるのは難しい。
しかし、相手がそれを望んでいたのなら、それを非難することも安易にはできない。その人にとっては私たちとの繋がりが厄介で、面倒くさくて、煩わしかったのだろう。だから絶った。それを私が、私のエゴでなんてことをするのだ、と非難したところでどうにもならない。そんなのはむしろ溝を深めるだけで、私自身がそんなこと望んではいない。相手がそうしたかったのならば、そうか、と頷くしかない。
それでも、会いたいと思ってしまった。相手が望んでいなかったとしても、私はかつての仲間に会いたかった。連絡が取れないとわかっていながら、連絡を取った。
返信は無い。ずっと無い。そこで初めて私は、お元気ですか、が腑に落ちた。
こうも連絡が取れないと、生きているのかさえわからない。もしかしたら、そんなことは考えたくはないのだけれど、もう相手はこの世界にいなくて、しかもいなくなってから随分と経っていて、知らないのは私だけなのではないか。私からのメッセージは実は既に届くはずのないものになっていて、気づいていない私は無垢な刃を振り翳している……。
ああ、だからお元気ですか、なのかと思った。
久しぶりに会いたいと思うその人は、生きているかすらもわからない。まして、この世の中で心身ともに健やかに生き続けることは難しいことで、そんなことは自分が一番知っていることであった。それでも健やかでいてほしい。そうであるならばいい。そう願っている。それをお元気ですか、に乗せるのだ。
これまで連絡を取らずにいたのは、何かちょっとしたことが原因で、誰かが悪いというわけでもなく、心や時間が少しずつ噛み合わなかっただけなのだ。そういう機微があったからこそ、お元気ですか、なのだ。
離れていたし、時間も空いてしまったけれど、それでもあなたがどこかでそれなりに毎日を送れていることをずっと願っていました。きっとこういう気持ちなのだ。けれど、それではあまりにも照れ臭いから、簡潔にお元気ですか、と聞くのだ。
きっとこの先も返信はない。けれど、どこかで生きていることを願っている。元気でいることを、ずっと願っている。
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