海の道筋

 ドロシーが身支度を整え、窓ガラス代わりの布をかけ直してたときだった。船の警鐘がけたたましく鳴らされ、船員たちはカトラスを片手に甲板に駆け出していく。


「あと……もうちょっと」


「起きて!メブチ!」


 祈りの範囲を調節してジュールの耳元でごく小規模な花火が炸裂する。鼓膜はそのまま脳に信号を伝え、恐ろしい音量の目覚ましが頭蓋骨に響いた。


「うぎゃっ」


「ジュール、賊、海賊が来たって!」


「海賊?」


 胸当てと最低限の装備を担いで彼は甲板に上がり、手すりから身を乗り出して船の前方後方を交互に見た。すると船尾より後ろに帆を張ってこちらに向かってくる中型船を捉え、面舵に備える。


「あの船魔法使い乗ってるね」


「海賊の魔法使いか……防御できるか?」


「何個か守護系の魔法はあったかな。詠唱覚えてないけど」


 ドロシー服のポケットから小さく分厚い本を取りだして捲り始めた。字は小さく書いている内容もジュールには読めなかったが、魔法の詠唱が書いてあるのは理解できた。


「この本ね、前にお父さんとお母さんが死んだことを伝えに来た人がいたじゃん?エメラルドと一緒に貰ったの」


 冒険者に出される依頼書の値段しか分からないジュールは、ドロシーに本を見せられても発音すら思い浮かばない。店長や酒場の人々に読み書きを学んだドロシーは意外とインテリ層なのかもしれなかった。


 ジュールは読み書きは出来ないが冒険者に必要な知識は諳んじているため特段苦労はしていない。だが出来ないことがあるのは少し傷つくだろう。


「あった……ちょっと時間かかるから時間稼ぎお願い」


「わかった」


 船は面舵をきって側面に海賊船を捉えた。魔法使いから火の球が飛んでくるが船体に当たるだけで人的被害はない。


「お前ら!!ぜってぇ子爵様のものを奪わせるんじゃねぇぞ!いいか!!」


「おう!!」


「元同業だ!遠慮はいらねえやっちまえ!」


「おう!!!!!」


 この血気盛んな元海賊たちを手懐けた子爵にジュールは僅かに興味を抱いた。


「衝角にだけは気を付けろよ!取り舵!」


 船は海賊船と衝突する寸前に曲がり、鉤縄が投げ込まれ海賊船と一応商船は綺麗に接舷した。相手の魔法使いがここぞとばかりに火の魔法を連発するが、見えない壁に阻まれてしまう。


「良し、ちょっとの間は大丈夫」


「アイスアロ―、行ってくる」


 慣れた手つきで海賊一人の首を刈り取ったジュールは手すりを踏み台に大きく飛びだした。


 人のいない場所に滑り込んだ彼には当然、海賊が周りを取り囲んだ。


 ジュールは正面の一人と切り合い背中をわざと無防備を晒した。差し込まれる剣を最小限の動きで避けると剣を弾いて隙を見せた海賊の腕を切断した。


「て、てめぇ」


 夜の森でオオカミのような魔物に四方八方から攻撃されたことに比べると、海賊の動きはまだ読みやすかったのだろう。腕を切られた海賊を守るために急いで振るわれる攻撃を避けつつ、ジュールは出来るだけ一対一の状況に持ち込んでいく。


「囲んで袋叩きにしろ!」


 敵の船長らしき人物が下っ端に指示を出す。これだけで緩慢な動きが良くなるためリーダーシップは侮れない。


「アイス――」


「――うおらっ!」


 多少ある魔力で魔法を発動させようとするが、人数でジュールに隙を与えなかった。


 六人の海賊に囲まれ剣がしきりに殺しにかかっては先ほどの腕を切る方法は使えない。彼の額はすでに汗がしたたり落ちている。


 致命傷は追っていないが切り傷ばかりが増えていく。

 冒険者のころには入れ替えが可能だったがドロシーにそれを望むのは不可能だ。六人の海賊を引き付けて他の船員が楽に戦えていることを願って彼は耐えていた。


「俺も混ぜろ!」


 アルベルトが声を上げながらジュールに近付いたのはまさに光明を見出す合図となった。


「俺様が相手になってやる!」


 意識がわずかでもアルベルトに向いたことで連携が乱れてしまった。この乱れを見逃さずジュールはもっとも戦い慣れていない海賊に一撃を入れた。


 かすり傷程度であったが乱れは大きくなる。


「くそ、こいつ」


 腕を切られた海賊は片手に握っていたカトラスを投げようとしたその時、人の頭ほどある緑色の魔法が海賊に当たった。


「あ!あちい!あ、ああああ!!」


 緑色の炎に包まれて急速に身体が溶けていく様子は気分の良いものではなかったが、ドロシーの援護であると一瞬で理解し、連携の無くなった海賊を一人腹を裂いて殺した。


「ひゅう!怖いねお前の連れは!」


「駆け出しの魔法使いだよ」


 会話が出来るまでに余裕の出てきたジュールは海賊の一人と対峙した。アルベルトは他の人の援護に向かったようだ。


「よう坊主。その剣で何人の命を切り刻んできたんだ?」


「……あんたこそ」


 海賊は片目の周囲に傷があり、白濁している。数多の戦場を駆け抜けたであろう足は支えの木が無くては動くに動けないだろうことは一瞥しただけで気付いた。


「あんたこそ死に損なった回数を数えてきたのか」


「「……」」


 仄か笑った。

 歳の差を考慮しない、まさに盟友とまみえたような笑い。


 不思議と二人に割って入る者はいなかった。


「俺はジュール。ただのジュールだ」


「クラウジウス、海賊に堕ちたクラウジウス」


 技量の上では全てクラウジウスが上手だろうとジュールは予想した。

 片目を失い足が不自由であってもその立ち振る舞いは最盛期を見出すに苦労せず、やはり一太刀一太刀の圧が比べ物にならないほど強い。


 剣を交らわせ右に逸らし、左に逸らし、中央から波状対のような一撃が飛び出す。


「慣れてるな坊主」


「切り合いは初めてじゃないんだ」


 クラウジウスの剣は決して重量があるわけではない。緩急の付け方でジュールに強烈な重さを放っているだけだ。小手先の工夫であってもジュールに再現できる技量はなかった。


「あんた技は優しい一撃」


 剣技を防御した両腕が痺れた。


「坊主の剣は最小限の力で殺すことに特化した」


 クラウジウスは手数で押されているようにも見える。


「「おもしろい」」


 一瞬でも隙が出来れば巨大な剣技によってジュールはへし折られ、クラウジウスは逆に捌ききらねば持ち手が失われる。


 剣がぶつかる度に火花が散る。


 足を動かす度に木片が噴き出る。


 集中のあまり二人は未来を捉えて剣を振るっているかのように、誰もそこに割り込むことなど叶わない。がら空きの背中でさえ剣の軌道が虚を切っているのだから、切り刻まれたくなければ近づかないことしかない。


 海賊側の船長はドロシーの魔法によって燃え尽き、海賊たちが次々降伏していく中、二人の戦いは終わっていなかった。


「神よ、力の一部を奪うことをお許しください」


「やめとけ、嬢ちゃん。連れに当たるよ」


 ネッティがドロシーの詠唱を止めた。


「でも」


「あの状態の剣士ってのは天変地異が来ても、どっちかが死ぬまで終わらないよ」


「……ジュール」


 決闘。

 酒場の老人が語ったそれはありふれた昔話の一つだった。


 似通った道を抱える二人の剣士が相反した場合、想像だにできない決闘が始まると。剣であれ、技であれ、その差は極端であっても決闘が始まればすべて無に帰す。もはや神でも勝敗を決めかねる激闘が起こるのだと。


 ドロシーが見つめる人は楽し気に剣を振るっている。対する海賊も口元に笑みを浮かべていた。


 曰く、老人の語る決闘の勝敗は、どちらがより多く何かを背負ってきたかに掛かっている。


「村を焼いた。逃げ出す村人も全員殺した」


「異端を切った。泣く奴も起こる奴も」


「故郷も、家族も、息子も」


「全部だ。異端を語る奴は全部」


 クラウジウスの剣がジュールの剣にぶつかり、ジュールは小石のごとく宙を舞った。


「坊主、俺の……勝ちだ」


「ジュール!!」


 ドロシーは沸き上がった怒りに任せてクラウジウスに魔法を放った。


 エメラルドの輝きを持つ燃える火の球でいとも簡単に人体を溶かしてしまう魔法である。クラウジウスは逃げることもせず、それを一身に受けた。


「女神様」


 クラウジウスは立っている。満身創痍でありながら決して折れることのない鉄の柱のごとく立っているではないか。燃えながら祈りを捧げる姿にその場にいる人々は目を疑った。


「罪深い我を赦しください」


 クラウジウスは剣を捨てた。


 船に衝撃が走る。


「今度はなんだ!?」


「せ、船長!く、クラーケン!クラーケンが!」

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