深度16 シセルファミリー

 シセル・ウォンの根城はご丁寧にカードに記載されていた。外観はシンプルなビル。周辺は一般人が闊歩する繁華街。周辺に馴染むサイズ感のビルを1棟を保有しているようだが入口は無人だ。わざとそうしているのだろうか。


「恐らく本城ではないだろうが……マリアもついてくるかい?」

「ここまで来て待っていても意味ないと思います!顔も見られてますし!」

「だよね」


 ここもマフィアのアジトだ。一般人と大差ないマリアにマフィアとの対峙は酷だろうと気を使ったが、今から別行動をしても余計なリスクを背負わせるだけだった。シセルがなんのためにシャーレ族を探しているのか皆目検討もつかない故に、守りたいものは手元においていたほうが安全だ。


「僕から離れないように」


 透明にした触手を差し出し、その手の内に這わせる。しっかりと掴んだのを確認し、2人は入口へと向かった。

 扉はなんの苦も無く開いた。自動ドアの先に厳重な扉がもう1つとカードをかざすような端末が1つ。他にはなにもないシンプルな玄関だ。まさかこのためだけに用意したのではないかと疑ってしまうほどなにもない。


「監視カメラはありますが、何もしてきませんね」


 扉の前に2つ、わかりやすく設置されたカメラがこちらにレンズを向けている。口形で会話内容を悟られないようにリリーは自然と口元を覆い隠したが、音を拾われていればお終いだ。


「扉ぐらい開けてくれてもいいだろうに」

「あのカードを使えってこと……なんでしょうか」

「無理やり開けられないこともないが、穏便に行こうか」

「是非ともそうしてください」


 趣味の悪い金に光るカードを取り出し、端末に掲げる。ピピッと甲高い電子音が響いたかと思うと目の前の扉がゆったりと開いていく。内部は薄暗く、直ぐに行き止まりになる箱。エレベーターと思わしきものが眼前に晒された。


「凝った方舟だ」

「これ、閉じ込められたらどうしようもないんじゃ……」

「乗ってみればわかる」


 躊躇なく前に踏み出したリリーに慌ててマリアがついていく。2人が乗り込んだのを確認したと同時にエレベーターは無慈悲にも閉まり、僅かな浮遊感を伴って動き出した。

 内部は装飾こそしっかりしているが、階数を表す記号も上に向かっているのか下に向かっているのかも分からない。外の風景は見えず、操作のためのパネルも何一つついていなかった。


「ほぉ、サウスサイドの金細工だ。職人の数が減っているらしいが伝統工芸の一つだぞ」

「今それどころじゃないと思うんです!」


 可動式の密室という体験したことがない状況に、リリーへと必死にしがみつくマリアを他所に彼はエレベーター内部の装飾を眺めている。あちこちに施された金細工は彼の言う通りサウスサイドで有名なものだが、気にするべきところはそこじゃない。


「見てみなさい。これなんかサウスサイドの照り付ける日差しと海をよく表していると思わないか」

「品評する余裕がないです!密室ですよ!?逃げ場なし!上に行っているのか下に行っているのかわからないんですよ!?」

「ん?なんだ、わからないのか。地下に行っているだけだろう?」

「逆になんで分かるんですぅ!」


 仮にリリーの言っていることが正しいとすると大問題だ。既にエレベーターが稼働し始めて5分は経っているのに未だに到着する気配はない。一体どれほど下に連れて行かれるのか予想がつかず、マリアは腕に力を込めた。


「地下に行ったら完全に逃げ場はないと考えるのが定石だ。流石に掘削作業は骨が折れる。いざとなったらドリルにでもなってやるさ」

「冗談ですよね?」


 いざというときがそもそも来てほしくないと願いながら、マリアはエレベーターが止まるのを祈りながら待った。

 箱の壁が分厚いのかなにか特殊な技術があるのか、内部に全く外の音が伝わってこない。風の音さえも届かない無音の中、聞こえるのは2人分の息遣いのみ。震える脚を必死に叱咤しなんとか立ってはいるが、空気の重さだけで腰が抜けそうだった。


「やはり待っていたほうが良かったか?」

「どっちにしろ怖いので一緒のほうが断然いいです」

「そうか……無理だったら目を瞑っていなさい。僕が抱えて歩く」


 ガクガクと子鹿のように震える膝を支える触手の感触が暖かく、マリアは小さく息を吐く。なるべく体に振れないように配慮して控えめに支えに回る伯父の姿がなんだか可愛らしくて、少しだけ心が落ち着いてきた。


「おっと、ついたようだ」


 彼の言葉とともにエレベーターの扉が開く。ゆったりと開いた先には入口とは一転、磨き上げられた大理石の床と豪華絢爛な装飾が目に入る。決して嫌味な類ではなく、繊細な色合いで保たれた調和は上品さを醸し出している。ショーケースが立ち並ぶ高級ブティックのような室内は、あちこちに金細工が飾られていた。


「また随分と自己主張が激しいな。医療系の元締めとは思えん」


 立ち並ぶ細工を眺め、マリアの肩を抱いたリリーは部屋の奥を見る。誘導に従うように視線を追うと、そこに人影が見えた。


 両開きの扉の前に立つ真っ黒なスーツの男が、ゆったりとこちらを眺めている。両耳に飾られた紅い結び飾りがその瞳と相まって威圧感を与える。

 色眼鏡を通してこちらを見る男は扇子を軽く仰ぎ、赤いネイルの爪でショーケースを叩いた。


「いやぁ、喧しくてすみませんねぇ。それらは全てコレクションなんですが、ホラ!威厳とか縄張り争いとかイロイロありまして飾っておくとオトクなんですよぉ」

「小売商の諍いは大変だな。売上を狙うシーズンでもないだろうに」

「いやいやとんでもない!今が稼ぎ時ですよぉ」


 間延びしたような喋り方が嫌に癪に障る。わざと人を苛立たせているかのような口調と胡散臭い笑みが目尻についた紅を際立たせる。

 金細工が人を着飾るために作られた装飾だとすれば、男の装飾は人を煽るための武装だ。アンバランスさが相まって、彼はこの部屋で浮いている。だというのに一層男の存在感を強めているようにも見え、マリアは息を呑んだ。


「あの人が……?」

「だろうな。傭兵を使って招待状を投げ付けるような下品な輩は名刺一つ寄越さないのか?」

「おや、失礼。既にご存知かと思いまして!」


 男は恭しくお辞儀をし、見せつけるように頭を垂れる。けれど決して視線は床を見ず、首をそらしてこちらを見ている。直線距離にして5メートル以上は離れているであろう間合いにあっても、彼はリリーを警戒していた。


「私、シセル・ウォンとも申しまぁす。シセルファミリーの頭をやらせてもらってますぅ」

「ご丁寧にどうも」

「本当は招待状は1人に宛てたものだったんですがぁ……お嬢さん同伴とは随分余裕がお有りのようだ」


 マリアへと向けられた声に自然と身を縮こまらせる。場違いだと指摘されているようで背筋に嫌な汗が伝う。その視線から隠すように差し出された腕に縋り、リリーの煽るような笑みに止めてくださいと心のなかで首を振った。


「失礼。人間風情に遅れを取るなんて考えたこともなくてね。それともなにか不都合でも?」

「さぁ?不都合があるのは貴方の方なんじゃないですかぁ?」


 カチャリ。複数の銃口が一斉に取り囲む。どこに潜伏していたのかあちこちから現れた者達が迷いなくその矛先を2人へと向けている。

 ついに卒倒しそうになった意識をなんとか保ち、マリアはリリーの腕をしっかりと握りしめた。


「かわいらしいおもちゃだな。豆でもでるのかい?」

「フォレストサイドのほうでは豆を使って鬼を退治するらしいですねぇ。貴方にはピッタリなんじゃないですかぁ?」


 言葉と同時に安全装置が外される音が複数響く。これは脅しではなく本気なのだと主張する音色にリリーはため息をついた。


「熱烈な歓迎だな。涙が出そうだ」

「それは良かった!これぐらいしないと喜んでもらえないとお聞きしまして!大変だったんですよお」

「情報源が容易に想像できるな」


 十中八九オルカが吹き込んだのだろう。嬉しそうに両手でピースサインを作る姿が目に浮かぶ。あの男は人が嫌がる置き土産を残していくのが上手い。

 まさに一触即発。どちらかが動けば蜂の巣になるのはリリー達であると信じて疑わない部下達がシセルのアイズを待っている。しかし、彼は合図を出すことなく、笑顔に細めていた瞳を僅かに開いた。


「いやあ、シャーレ族なんて所詮長生きするだけの老人だと思っていましたぁ。中々どうして手品がお上手ですねぇ」

「抜かせ。知っていて僕を試しただろう」


 困惑する周囲を置いて、怪しい笑みを浮かべる。シセルは左手を軽くあげ、部下達に銃を下ろすように命令した。ゆっくりと下がっていく銃口と共になにかが這うような音が周囲を占める。不気味な音の正体が見えず再び銃を構えようとした部下達を眺め、シセルはため息をついた。


「銃を降ろしなさい」

「で、ですが」

「2度は言いません。貴方も、脅すような真似はよして下さいな」

「はて?僕はただ場の空気を和ませてあげようとしただけさ」


 君が言うことかい?とわざとらしく首を逸らすと、シセルは苦笑いを浮かべた。

 驚くことは何もない。リリーは銃を向けられるほんの数瞬間前にはその場の全てに触手を向けていた。マリアと自身以外の全てを破壊し尽くし、ものの数秒でこの場を更地に準ずるものに変えられた。

 シセルが気付けたのは、リリーによる情けだ。その首の周りにわざとらしく見えない手を這わせた。生ぬるく脈打つ触手が鋭い牙に変わる前に、彼は適切な判断を下したのだ。


「それで、僕は君のお眼鏡に適ったのかな?できれば色眼鏡の向こう側にもご回答いただきたいところだが」

「やっぱりバレてますよねえ」


 指摘された向こう側。扉の奥から感じる僅かな気配。目に見えぬ恐怖を前に誰とも言わず喉を鳴らした。




 

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