深度15 パンケーキ

 到着したパンケーキに手を付けるように促され、マリアはなんとか震える手を動かした。目の前の男は意外にも静かにナイフとフォークを操り上品に切り分けている。指先まで覆われた分厚い手袋をしているのに物音一つしない。

 食器にナイフが当たる音も、咀嚼音も、衣擦れの音も、何一つ。そこに居るのが嘘のように静かで存在感がない。視界に捉えていなければ消えてしまいそうな薄さだ。


「んー!やっぱりここのパンケーキおいしぃ!ふわふわの生地にほんのり入ってるリコッタチーズがべたべたの生クリームと絡み合って最高なんだよねぇ!サウスサイドのクソ暑い昼間に備えて冷やしパンケーキとかもあるんだけどぉ、この涼しい朝に熱々のパンケーキ食べるのが一番うまいと僕ちゃん思うんですぅ」

「はぁ……」


 今どうやってパンケーキを食べたんだ?という疑問は段々と減っていく皿の上と共に消えてはくれなかった。首まで覆うマスク。彼の顔が全く見えないのは元より、食べようとしたって布に覆われて食べられないはずだ。だというのに目の前のパンケーキは消えていて、マスクがハムスターのように頬を膨らませている様子を伝えてくる。一体どういう原理で食べているのか。


「リリーも食べればいいのにねぇ。ま、あいつが居たままだったらぜぇったい出てきてやらなかったけどぉ。そういうところ勘が鋭いよねぇ。もー!俺のこと隅から隅まで分かってくれちゃって!そりゃあもう奥まで……おおっと。此処から先はR指定なんだった!」

「リリーさんに会いに来たのではないんですか?」

「違うよぉ!僕ぅしばらくあいつには会いたくなぁい。リリーちゃんもそう思ってるんじゃなぁい?お前の顔なんか見たくねぇよ!みたいな。いやぁお優しいシャーレ様だから考えすらしてねぇかも。良くも悪くも等価値だろーしなぁ」


 後半はよく分からなかったが、オルカはリリーに会いに来たわけではないらしい。ほんの少しだけ嫌悪感を漂わせている。誘ったのに?という疑問はなんだか彼には無意味なような気がしてマリアは深く聞かなかった。

 一人称がふわふわと移ろっていく様が彼の精神性を表しているようだ。存在も考えも何もかもが安定していない。


「俺様、マリアちゃんとお話したかったんだよねぇ」

「私ですか?」

「そ!あの教皇様の愛娘ちゃんでしょ?裏の界隈では超有名!そもそも隠してないしさぁ。世界を牛耳ってる宗教の元締め、その娘でしょぉ?色々と扱いが難しいってので俺達の界隈でも意見割れててさぁ。リリーちゃんが連れ歩いてるの見て一目拝むチャンスだと思ったの!」


 一目拝むどころか一緒に食事をしているのだけれど。

 喉まで来ていた言葉をパンケーキと一緒に飲み込み、口数の多い彼の言葉を待った。口を挟む余地が全く無い。発言を許可されている瞬間以外は言葉の数で強制的に沈黙させられているような感覚だ。


「でねでね!オルカちゃん、君の連絡先が欲しいの!個人アドレス!電話番号!きゃー!言っちゃった!コレってナンパ!?ナンパだよね!だって俺達出会って数分だし!軽薄な男って思われちゃうかも!いやお前が軽薄じゃない時ある?ねぇじゃん」


 自己完結しているが、マリアはそれどころではない。

 連絡先はそう簡単に教えてはいけないとジャズに口を酸っぱくして言われた。特に旅先で知らない人間には絶対にと散々言われ続け、ジゼルと情報共有を決めたときでさえジャズに確認を取ったのだ。

 リリーの知り合いといえどそう簡単には教えられない。


「わぁ警戒心MAX。当たり前だよねぇ、か弱い女の子がこぉんな怪しさ全開の男に連絡先なんて個人情報教えるわけねぇじゃん当然の帰結だよね!うわぁ萎えるわぁ。教皇がまともなこと教えてるって時点で萎える。普通の教育してんじゃねぇよ」


 すっかり警戒してしまったマリアに、オルカは脱力する。椅子にぐったりと寄りかかり長い四肢を放り投げた。地面につくほど伸びた両手を彼はぷらぷらと揺らし、ぽつりとわざと聞こえるような声量で呟いた。


「ドレッド・インク。ドレッドファミリーの親玉で出身はウェストサイド。元はウェストサイドの裏社会で薬の売買をやっていたバイヤーで、その販売技術を見込まれて組織に雇われる。その後、事業展開を目論んで裏社会が活発なサウスサイドに」

「それは……」

「これはここに来てくれたことへの報酬」


 ちょっと調べれば分かることだし、と付け加えて彼はなおも続ける。


「ヴェルナルド・ヴィンセント。ヴェルナルドファミリーの親玉。現在ファミリーの役目はボイコット中。ドレッド・インクとの一方的な取引により自警団としての機能を完全停止。どうやら脅されてる様子。凄腕の傭兵でも関係してるんだろうねぇ。こっちは一緒にパンケーキを食べてくれた報酬」


 傭兵が関係している。この言葉の意味を図り、マリアは息を詰める。リリーの予測は当たっていたのだ。彼は間違いなく今回の事件に関わっている。


「僕ちゃん傭兵だからね。傭兵の業界はギブアンドテーイク!物事にそれなりの対価を払うのが義務!一方的に得するような奴は信用されないからネ!」

「逆に言えばそれ以上の情報を聞きたいのなら対価を支払え、と」

「そーでぇす」


 オルカが要求しているのは先程述べた通りマリアの個人情報。たったそれだけ。1個人の情報でサウスサイドを揺るがす大事件の情報を買えるなど普通に考えたら得以外の何物でもない。だからこそ、怪しい。


「私の情報にそれだけの価値があるとは思えません」

「どうして?教皇の愛娘だよ?喉から手が出るほど欲しがる人なんかごまんと居るでしょ」

「私はただのシスターで……今は騎士でもありますけど……重要な情報は何一つ持っていません」

「教皇を脅す材料にはなるでしょ。ま、君を使って教皇を騙すなんて物理的に不可能だし?俺だったらリリーの庇護下にいるやつに手なんか出さないね!そんな馬鹿やるのはマジで頭悪い奴だけって言い切れます!」


 ならばどうしてマリアの情報を欲しがるのか。彼自身が利用価値が少ないと言っているにも関わらず。その真意を測りかね、マリアは左手の親指に付けた指輪を撫でた。

 それを合図とし、指輪の内側がゆっくりと開く。小さな歯と舌が覗く奇妙な口が出来上がり、困ったようにへの字に曲がった。


「没交渉になると困るのだがね」

「げぇ……キモォ……可愛い女の子につけさせるシロモンじゃねぇだろ。センス壊滅的ぃ」

「一般人の女の子に交渉を持ちかける君も君だ。まず対価が不明な状態で応じられるわけがない。しっかり明示していただけるかな」

「あーやだやだ。足元見ようとしてるやつに情報開示を迫るのってサイテーだと思いまぁす」


 遠くから話を聞いていたようだ。刺々しい口調で詰るように責め立てると、オルカはげんなりとした態度を隠しもせず降参したように両手を上げる。


「ちゃんとメールで詳細を送る形式ですぅ。電話番号でヴェルナルド・ヴィンセントが脅されている内容について。メールアドレスでオルカちゃんからのアドバイスが聞ける、でどお?僕的には出血大サービスなんですけど」

「ふむ。アドバイスとは?」

「ちょっとしたことよぉ。1個目の取引であんた達的にはオールオッケーでしょ?だから2個目はおまけ」


 情報としては十分すぎるほどだ。本当にサービスなのだろう。彼はスマホを弄り、リリーへのメールを書くような素振りを見せる。しっかり情報は文面で残すことを約束すると。


「君の立場について聞いても?」

「えぇ?やだよ。俺ちゃんの情報はこの世で一番高くつくんだから!あ、それともぉ俺様と付き合いたいっていう純情と恋慕と欲望の間にいる感じ?」

「それはない」

「うっわひっど!バッサリ言われると傷つくんですけど!」


 オルカについての情報は売る気がないようだ。微塵も語る気はないと頑なに却下され、リリーは素直に引き下がった。同時にマリアに電話番号とメールアドレスを開示するよう指示を出す。

 マリアは少しばかり躊躇ったが、リリーが大丈夫だと念押しし渋々スマホを取り出した。


「やりぃ!」

「この情報も売るんですか……?」

「売らないよぉ。怒られるもん。君に嫌われちゃうし。これは僕が個人的に持つ用!」

「ええ……」


 ますます分からないと首をかしげたが、彼は上機嫌にアドレスを登録し、早速メールを投げてきた。顔文字と絵文字が大量についた内容でメールでも口数が多い。


「じゃ、情報はメールで送るねー!」

「確認した。で、アドバイスとは?」

「シセル・ウォンについて」


 シセル・ウォン。サウスサイドを治める3大ファミリーの一つ、シセルファミリーのボスの名前。鞍替えを考えているという話だが、オルカはダルそうに片手を左右に振った。


「鞍替えを図っているが、ありゃ本心じゃねぇな。弱ったロックを見切るつもりか、そうやってロックとドレッドを煽って好条件の方につく算段に見えるが……実際は違う」

「違う?」

「シセルがロックを裏切るなんてありえない。ドレッドを煽ってしゃぶり尽くした挙げ句にぽいっと捨てる気だろうな。クソ商人のやりそうなこと。ロックはそれを承知でシセルを見逃してる。じゃなきゃ鞍替えって話が出た時点で争いになってるはずだ」

「言い切れる自信があるということですか」

「その情報は有料だ。あくまでコレはアドバイス。他人の予想にエビデンスを求めるなら対価を支払わなくっちゃ」


 足元を見られている。さらなる情報が欲しいならば先ほどとは比べ物にならない対価を要求されるだろう。リリーは沈黙し、オルカに話を続けるよう促した。


「それで、シセルが裏切らないだろうという予想がアドバイスかい」

「んにゃ?本番はここから」


 1枚のカードが机の上に置かれる。Sの文字が書かれたそれは黄金に輝いており、太陽光に反射して目が霞む。それを嫌そうに机の上でくるくると回し、彼はマリアの前に差し出した。


「シセル・ウォンはシャーレ族を探してる。この悪趣味なカードをもってシセルのところに行ってみな。顔パスならぬカードパスで通してくれるぜ」

「僕を誘った理由はそれか」

「オルカちゃんは仕事にプロ意識があるのでぇ。前金たんまり貰っちゃったし?振り込まれた後にこぉんな簡単な依頼ぶん投げられたら喜んで使いっ走りしちゃうもんねぇ。本当はアンタを捕獲してやろうかとも思ったんだけどぉさっさと逃げられちゃったし」


 ハッとして周囲を見る。テラス席にいた人々の視線がこちらに集まっていることに気づいてことの重大さを悟った。リリーはオルカを誘き出すためではなく、自分の身を隠すために早々に離席したのだ。

 オルカはリリーが捕まってしまえば姿を出すこともこの取引を行うこともしなかった。依頼が達成できればいいのだから。最初から彼はリリーを出し抜くつもりだったのだ。


「人間がアンタに追いつけるわけないし、無理だとは言ったんだけどね?シセルがどうしてもって聞かなくてさぁ。マリアちゃんを人質に取るような行為になっちゃってるけど、アンタには関係ないよね。ここからでも一瞬で救い出せるし」

「そもそも君がマリアを守るだろう?」

「はぁ~ん?俺様が守る理由なんか1ミリだってないんですけどぉ?」

「マリアとメールできなくなるぞ」

「やっべ、それは困るわ」


 本気なのか冗談なのか。軽口を叩きながら数度言葉のキャッチボールをし、オルカはおもむろに席をたった。


「僕ちゃんからは以上でぇす。じゃ、健闘を祈りまぁす!」

「あ、ちょっと!」


 静止の声をかける間もなくオルカは颯爽と店から去っていった。数秒と経たずに街の雑踏に消え去り、テラス席に座っていた他の人間もいつの間にかいなくなっている。

 それと同時に真横に音もなく現れたリリーが机の上に放られたカードを手にとった。


「シセルの方を優先したほうが良さそうだな」

「完全に脅しでしたよね……」


 ぐったりと机に突っ伏す。皿の上に残された生クリームの甘い余韻が鼻につき、深い溜息が漏れた。

 

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