深度14 ORCA

 海辺からゆったりと頭を覗かせる朝日。青白いソーダに金粉を振りまく大胆な海を眺めながらリリーは宿泊地の窓を開けた。入り込む潮風を肺いっぱいに吸い込み、通りで買ったサンドイッチにかじりついた。


「うまいな」


 備品の中にあったインスタントコーヒーを啜り、半熟の目玉焼きが挟まったサンドを貪る。ほんのり効いたマスタードとシャキシャキのキャベツ、ところどころに交じるスパムがいい塩梅だ。

 散歩に出た先、たまたま見つけたベーカリーがちょうど開店直後だったため良い匂いに引きづられて買ったものだ。ブラックコーヒーの合間にかじりつくと甘いパンとツンと来るマスタードが味覚を刺激する。


 淹れたてのコーヒーか、それとも焼き立てのパンにつられたのか。2階から少しずつ生活音と話し声が聞こえ始め、階段を降りる音が響く。とろとろとした足取りの合間にケトルのスイッチを入れていると音は一目散に机の上に置かれたサンドイッチへと向かった。


「おはよう!リリーくん!なにこれ!おいしそう!」

「おはようございます……リリーさん……」

「おはよう。2人とも」


 2階から降りてきたのはマリアと、結局リリーが海岸から戻ってきても居座り続けたジゼルだ。マリアの眠そうな雰囲気から察するに相当遅くまで話し込んでいたのだろう。

 実際、1階でバッチリしっかり聞いていたので内容まで筒抜けなのだが、彼女たちの名誉のために言及しないでおく。


「まずは顔を洗っておいで。コーヒーでいいかい」

「甘めでお願いします!」

「あ、私はブラックで」

「はいはい」


 注文が多いことだ。そそくさと奥のシャワールームに消えていったのを見送り、インスタントコーヒーとミルクを探す。砂糖は確か棚の中にいたような。

 視線がないことを良いことに透明のままの触手でポットを取り出していると、ふと水音と共に楽しそうな話し声が聞こえる。なんだか娘とその友人が遊びに来たときのような不思議な感覚に囚われ、誰に弁明するでもなく一人で咳払いをしてしまった。


「ねー!もう食べていいのー?」

「どうぞ。ブラックとカフェオレだ。砂糖はお好みで」

「ありがとう!」

「ありがとうございます」


 あまり女子を邪魔するのも、と遠慮がちに窓辺に腰掛けると視線が集まる。ジッとこちらを見る視線に居心地が悪く、最後の一欠片をコーヒーで流し込んで早々にキッチンへと避難した。


「確かにあれはお父さん感あるね……」

「でしょう?」

「聞こえてるぞ。誰がお父さんだ」


 誰がお父さんだ、ジャズが泣くぞ。流石に聞えよがしに言われれば突っ込みたくもなる。2階で行われていた深夜の女子会でも似たようなことを話していたが、一体どこが父親じみているというのか。

 マリアとリリーが恋仲ではないかと疑っていたジゼルの誤解を解くために女子会の最中に力説された「リリーさん面倒見の良い伯父さん説」も大概だと思うが、「お父さん説」は各方面を傷つけるので止めたほうが良い。特に教皇とか。


「くだらないことを言っていないで食べてしまいなさい」

「ほらーそういうところー!ねー?」

「ねー?」

「一晩で随分仲良くなったようだな」


 すっかり旧友のように語らう姿に肩を竦め、リリーはスマートフォンを起動した。ジゼルに許可をもらってから3人での食事風景を収め、直ぐにジャズへと送る。早朝は仕事に忙殺されている教皇様なのでしばらく返信はないだろう。


「ところでデイム・ジゼル。聞きたいことがあるんだが」

「ん?なに?」

「メイン通りとやらのことなんだが……」


 朝食の合間。サンドイッチを片手にスマートフォンと睨めっこ。地図アプリからメイン通りがそもそもどこを指すものなのか。パンケーキがある店はどこかと地元民のジゼルに聞くと彼女は直ぐに思い至ったようで、店のホームページのリンクを送ってくれた。


「多分ここだと思う。なぁに?パンケーキが気になるの?」

「昨日おすすめされてな。おそらく、お誘いだと思うんだが」

「え?嘘?昨日あの短時間でナンパでもされたの?やだぁ顔のいい人って違うわぁ」

「君にだけは言われたくない」


 昨晩楽しい女子会をしている間にSNSを通して調べたがジゼル・マクリウスといえばモデル級の美女で有名だ。騎士団の広告塔も担っており、男性人気はもとより女性人気も恣にしている。その顔面で褒められてもお世辞にしか聞こえない。


「無自覚って嫌だわ……で?ナンパなの?」

「違う」

「でもお誘いでしょ?」


 なおも食い下がるジゼルにリリーは真剣な表情を返した。この場所を示した奴はそんなに生易しいモノではないのだ。


「相手が待っているかもしれないというだけだ。見過ごせない奴がいるのは確実だ」

「ファミリー関連?」

「恐らく。どこに肩入れしているのかは知らない。が、重要な情報を握っていると見ていいだろう」


 傷が塞がってきた触手が疼く。未だ色濃く残されるえぐられたハートが心臓を表しているようで自然と笑みが出た。全く、可愛いことをする子だ。


「熱烈な誘いだったんだ。乗らないと損だろう?」


 ゴクリ、誰かの喉が動く。薄く細められた瞳孔が猫のように伸びる。口元に当てた手の間から鋭い八重歯が覗き、喉仏を揺らしながら鳴り響く笑い声が海に沸く泡のようだった。弾けては湧き上がり、揺れ動いては重なり合う。堪えきれない衝動を覆い隠すように当てられた手が鋭い爪を強調していた。


「おっと。私も行ったほうが良い?」

「いや。僕とマリアで行く。君は予定通りロックファミリーを頼む」


 愉悦に浸る思考を遮るように投げかけられた疑問に首を横に振り、冷や汗に頬を湿らせるマリアを見る。


「もしかして……目的の人ですか?」

「違う……が、ソレよりも厄介だ」


 もし居れば、の話だが。


「ただ善意で美味しい店があったと報告しただけかもしれない。行くだけ行ってみよう」


 正直な所、リリー達がサウスサイドに来てから一度も接触がなかったのが不気味だ。たった1日、たった1時間、否、1秒だって我慢ということを知らない子のはずなのだ。それが様子見に徹し、遠回しの誘いとも取れる言葉を投げよこしてきた。

 ここまで我慢強く居るときは大抵の場合が関係している。


「じゃ、私は行くね。なにか情報を掴んだらよろしく!」


 重苦しい空気を断ち切るような軽快な声とともにサンドイッチを食べ終わったジゼルが颯爽と席を立つ。軽く手を振って家を出ていく様子を見送り、マリアと顔を見合わせる。


「危なくは……ないですよね?」

「襲われはしないんじゃないか?」

「疑問形の時点で不安です」


 心労が多い、と溢したマリアが降りてきたときに持っていたリュックサックを背負うのを待ち、2人は家を後にした。

 目的地はジゼルに教えてもらったメイン通りのカフェ。朝の陽光に涼しげに揺蕩う白を眺めながら坂道を上がっていく。駅前から少し離れた大通りに向かえば、朝だというのに人々の姿が見える。


「あそこだな」


 白地の壁ばかりだった地帯を抜けると少しばかり近代化した街並みが映り込む。壁が明るい色ではあるが、街並みはセントラルとあまり変わらない。目的のカフェに入ると、案内されるがままにテラス席へと座った。


「ええっと、苺のパンケーキを2つと……」


 メニューを見ながら件のパンケーキとやらとコーヒーを2つ注文する。すぐに下がっていった店員を目で追い、リリーは椅子を引いて立ち上がった。


「さて、僕はちょっとばかり席を外すよ」

「え?パンケーキ来ちゃいますよ?」

「次にこの席に座った子にあげてくれ」


 見える位置にはいるよ、とだけ言い残したリリーは瞬いた次の瞬間にはその場から消え失せていた。立つ鳥跡を濁さずとはまさにこのこと。今まで居たことが嘘のように痕跡すら残さず消え去り、マリアは目を白黒させた。

 

 その背後に差したのは巨大な影。


「こぉんにちはぁ。相席よろしーですかぁ?」


 覗き込むように近づけられた顔。ニッコリと歯を見せて笑うような口が視界いっぱいに広がる。布地に乱雑に描かれたそれから視点を移すと丸とバツが目元に描かれた黒いマスクだと分かる。日差しを遮るように被ったフードは片側が角のように伸び、もう片側は大きく開いた化け物の口が歯を見せて笑っていた。


 ゆうに190センチを超える身長を屈めてこちらに声を掛ける男はあちこちにポーチとベルトを巻いている。それらから覗くものが全て武器であると理解するのにマリアは1分以上の時間を要した。


「よろしーよねぇ。良いに決まってるじゃん?だってあのリリー・ショアが譲ったんだし。OK、ベイビー最高じゃん!コレってもしかして奢りってこと!?だよね!あいつの資金の元出が教会なんだと思うとゾクゾクしちゃう!素寒貧にしてやらなきゃ損だ!教皇のクソッタレな顔面に青いペンキぶちまけるチャンスゥ!」


 1分という時間は眼の前の男が席に座り、延々と独り言を喋るのに十分な時間だった。彼がメニュー表を引っ張って追加注文をしようと悩み始めたところで漸く1分。再起動したマリアは動揺に揺れ動く心を懸命に叱咤し、真っ黒で不気味なマスクの男を睨みつけた。


「あ、あなた誰ですか!?」

「はぁん?リリーちゃんから聞いてねぇの?やーばあいつ説明不足じゃんかわいそ。どぉせ見えるところで座って優雅にコーヒーでも啜ってんだろ?朝だし?知ってる?あの人の好物コーヒーなんだぜ。しかも泥水味の。タール多めのシガー付けたらブチ上がってイッちゃうんじゃないの……イテッ!!」


 全く質問に答えない男の戯言を遮るように何かが男の後頭部を激しく引っ叩く。叩くではなく引っ叩く。本当にそう表現するしかないほど見事にしなった何かが彼の口を止めた。恐らくリリーの触手だろう。


「Fワード禁止ってこと?無理じゃね?お口にチャックどころじゃねぇだろ。僕の言葉を止めたかったらそのぶっといの喉に入れてくれないと止まら……イデッ!クソッ!ブチギレじゃねぇか首もげるぞ!」


 周囲からの白い視線など気にもしない彼に再び触手が飛ぶ。衆目が集まっているのを気にしてか今度は風の音すら感じないほど滑らかな動きで見事に首を殴打した。相当な力が籠もっていたのか、一度ガクリと首を折るような人間にはできない関節の動きをし、男は何事もなかったかのように上空に向かって暴言を吐いた。


「あ、あの……リリーさんのお知り合い……で合ってますよね?」

「んあ、そーです僕ちゃんがリリーちゃんのお知り合いでーす。俺ってばどうしても君に逢いたくて来ちゃった!」


 語尾にハートでもつきそうなほど甘ったるい声を出しながら両手を頬に当てる。可愛らしい子がやれば誰もが和むであろう動作をガチガチに武装した筋肉質な大男がやると一種の脅しにしか見えない。

 あまりの恐ろしさに子鹿のように震えていると、店員がパンケーキを持って戻ってきた。


「YES!リリーちゃんってば最高!」


 相席者が明らかな不審者に変わっていることに店員は驚き、マリアに尋ねるような視線を送るが彼女は問題ないと懸命に首を振った。恐らく目の前の男がリリーが約束したというファミリーの関係者だろう。


「リリーさんのお知り合いってことは」

「おっとその先は禁句。俺様は超クールでセクシーでキュートだけど、正体は謎ってことで通してるの。それにさぁ、リリーちゃんのお友達はみぃんな一族って考えるのはイケナイ考えよ?」

「すみません……てっきり……」


 シャーレ族かと、と言いかけて飲み込んだ。リリーは25年に1回世界を周ると言っていた。その間何をしているのかは一切聞いていない。空白の時間に知り合いぐらいはいるだろう。交友関係は見直したほうが良いと思うが。


「因みに俺ちゃんはオルカ!凄腕傭兵のオルカちゃんと言えば僕のこと!あ、サインとかいる?君ならいくらでも書いちゃう!」

「け、結構です」


 オルカ。そう名乗った彼にマリアは引きつった笑みを浮かべた。

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