深度11 手がかり

  指定された一軒家にやってきた二人は、目の前の景色に感嘆の声をあげた。


「うわぁ……!」


 小高い丘の上からなだらかに続いていく橙色のタイル。下の道を視線で追った先には眩いばかりに輝く海が広がっていた。どこまでも続く地平線は空と混じり合い、わずかな潮風を漂わせる。白い外壁の家々が押し寄せる波のように鮮やかで、目に色濃く焼きついた。


「これは確かに絶景だな」


 指定された家は下り坂の途中にあった。騎士団のプレートが控えめにつけられたそこは、詰め所と同じ構造をしているようだ。1階に認証用端末と様々な機器が置かれ、2階が居住スペースになっている。

 2階には個室がいくつかあったがリリーは1階の来客スペースを陣取り、ソファーの上で優雅に足を組んだ。


「君は2階を使え。僕はここでいい」

「部屋はいくつかありますし2階でも……」

「なるべく距離を開けておきたいんだ。僕は耳がいいからね」


 コツコツと耳の少し上を叩いた彼の意図を察し、マリアは申し訳なさそうに頷いた。荷物を置きに行くという彼女をしばし待つ間、騎士団が保有している情報端末を開く。何か有益なものはないかと探っていると、端末の中に街の情報が詳細に書かれた地図が見つかった。


 一般的な地図アプリには載っていない騎士団独自の調査による最新地図のようだ。常に見回りを行なっている騎士たちが逐一更新しているようで、明らかに一般人は立ち入らないであろう道さえ写真付きで収められている。


「海から離れた位置か……」


 その中でもこの拠点から離れた位置の地図を詳細に眺めていると、2階から降りてきたマリアが不思議そうに覗き込んだ。


「これ、駅周辺の地図ですよね。こんなに詳細なのもあるんですね」

「地道な努力の賜物だな。だがこの地図のいいところはそこだけじゃない」


 駅から直線距離にして3キロメートルほど離れた地点。住宅と商店が入り乱れる白い街並みの間に一つ不自然な写真が添えられている。割れた窓ガラスと、誰かが争ったように荒れた住宅内の写真だ。


「騎士はこの街で事件に介入することは出来ないが、仕方がないようだな」

「丸い跡が幾つもあります……銃撃戦でもあったみたいな……」

「まさしくその通りだろう。映画フィクションより嘘みたいフィクションだ」


 写真の更新日時はほんの2時間前。リリー達が電車に乗って川の上にいたあたりの時刻だ。


「この写真は恐らくシャーレ族が遭遇したという争いのものだな。ジャズの話では怒声と窓ガラスの割れる音、銃の音が聞こえたそうだ」


 地図のアップロード履歴には他に合致するような情報はない。前後1時間に遡っても街は平和そのもので目立つような争いは先のもので最後のようだ。


「確定情報ではないが見に行く価値はあるだろう。彼女の言葉もあることだ」

「彼女?」

「ジゼル・マクリウス、彼女が最後に溢した言葉がヒントになった」


 聞こえていないだろうと確信を持って呟かれた言葉。しかし人間を凌駕する聴力をもったシャーレ族を前に油断していたと言ってもいいだろう。それとも彼女は……。

 否、勘繰るのはやめよう。その真意は直接本人に訪ねれば済むことだ。


「彼女は最後に、と言っていた。それはつまり、海魔よりも注意すべき何かが街中で起こっていると考えるべきだろう」

「街中……だから駅の方を調べていたんですね」

「海から最も離れている川沿いから街中が一番怪しいからな。ならばデイム・ジゼルが駅前の詰め所にいたのも頷ける」


 サウスサイドの詰め所は各所にある。駅前の詰め所も確かに設備は充実しているようだったが、騎士団のマップによるとサウスサイドの中心地にほど近い場所にも大きめの騎士団所有地があった。だというのに副団長がわざわざ駅前の小さな詰め所に他の騎士を追い出してまで居るのは違和感がある。


「人の流入の監視と街中で起こる小競り合いをいち早く察知できる絶好のポイントがあの詰め所だ」

「ジゼルさん、私達にそんなことは一言も……」

「素性もわからぬ新人騎士に言える内容ではないだろう。言われた言葉は丸っ切り嘘というわけではないだろうし」


 少なくともジャズはサウスサイドの変化に気づいていなかった。つい最近起こった小競り合いにたまたま里帰りをしていたジゼルが遭遇してしまった可能性が高い。騎士はサウスサイドで犯罪に対処することができないが、たまたま目の前で起こってしまえばその限りではない。


「争いが目の前で起これば一般人も騎士も対処は同じだ。抵抗するか、止めに入るか。合法的に問題を解決するにはその手段しかない。これを狙って居るのだとしたら地道としかいえんな。とはいえこれはあくまで推測だ」


 ジゼルがこの件を追っているかもしれないという情報だけ頭に入れておいてほしいとマリアに伝え、リリーはソファーから立ち上がった。


「僕は写真の場所を見に行くが、マリアも来るか?」

「行きます!」

「よし、サウスサイド観光と洒落込もう」


 照り付ける太陽の中。二人は海を横目に街の中へと歩き出した。





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 サウスサイドの街中は海へと続く坂道と多少の平野、そして入り組んだ細道の組み合わせで兎に角視界が悪い。下りの道でさえ見えるのは海ばかり。家々の間は太陽の反射で明るいが、屋根が一つ増えれば薄暗い細道へと変わる。見る角度一つで顔を変える街並みは初心者に厳しく、マリアは早々に切れた息を吐き出した。


「リ、リリーさん……ちょっと、休憩……」

「大丈夫か?」

「この街……坂が……多くて……」


 来たときは全て下り坂だった道を今度は登りながら歩いていく。大した傾斜ではない道でも延々と続けば嫌になってくるものだ。それが登り坂とも慣れば存外体力を取られる。

 教会の中でせっせと働いていたマリアはそこそこ体力がある方だと自負していたが、この炎天下の中続いていく坂道には悲鳴を上げるほか抵抗の余地がなかった。


「おぶって行こうか」

「だ、大丈夫です。歩けます!」

「あまり無理はするな。もう少しで着く」


 彼の言う通り、駅前の通りが見えている。そこから大通りを外れ、住宅街の方に抜けていくと件の写真がある場所までたどり着いた。途中何度かスマホの地図には載っていない道があったが、騎士団の地図を辿れば案外簡単に見つけられた。逆に言えば、あの地図がなければこの場所はいくら探しても見つからなかっただろう。


「あの家だ」


 指さされた先。割れた窓ガラスはどこにもなかったが、よく見ると一つの家だけ窓そのものが無い。写真の地形と見比べて大凡一致していることが分かる。

 近づこうとマリアが一歩前に出ると、静止するようにリリーの腕が眼前に差し出された。


「リリーさん?」

「少しうるさくなりそうだな」


 彼の言葉と同時に飛び出してきたのはけたたましい銃声と弾丸。吐き出された弾は一直線にリリーの下へと飛び、その額に触れる前に何かにはたき落とされるように地面へと突き刺さった。


「チッ!騎士か!」

「教会のクソ共が!」

「おやおや。僕達はただ散歩をしていただけなのに鉛玉をプレゼントしてくれるなんて優しいな。サウスサイドは随分とフレンドリーな住人が多いようだ」


 相手は二人。服装を見るに民間人のようだ。とはいえ騎士に向かって有無を言わさず発砲するような輩が民間人なはずはない。

 後ろでは発砲音に怯えたマリアが地面に突き刺さった弾丸とリリー、そして拳銃を持った相手二人を順繰りに眺め、最終的にリリーへと視線が行った。


「い、いま!撃たれてましたよね!?大丈夫ですか!?」

「最初に思うところがそれか」

「心配する以外に私にできそうなことがないんです!」

「なるほど確かに」


 くだらない会話をしている間にも相手の手は止まらない。追撃に打ち込まれた弾丸を全て見えない触手が弾き落とす。直立している相手に届くことなく明後日の方向へ吹き飛ばされる弾丸に男たちは驚いたように顔を歪める。


「テメェ何しやがった!」

「水鉄砲ぐらいしっかり撃ち給え。人に撃つなら尚更」

「こいつ!」


 一発も届くどころか掠りもしない銃に痺れを切らしナイフを引き抜く。片手で構えて突き刺すように突進してきた男の手を正面から掴み、まるでダンスでも踊るかのようにその腰を自身へと引き寄せた。

 くるくると回って掴んだ腕を頭上へと引き上げる。抵抗しようと暴れる動きに合わせて路上を舞い、足払い一つで地面へと叩きつけた。


「グッ……!このっ!」

「おっと危ない。怒りっぽいのはいけないな。一度落ち着いてみようか」


 もう一人の男が切り払った手を避けるように仰け反る。片足で地面に落とした男の腕を踏みつけて起き上がれないよう制しながら、眼の前でナイフを振りかぶった男の首を掴んだ。


「あ、がっ……!」

「はい深呼吸。息を吸って、吐いてー……おや上手くできないかな?」


 徐々に首を締めながらふざけたように真反対の台詞を吐く。体を腕一本で持ち上げられ首を締め付けられながら全体重が頚椎に寄る。体を蹴り上げ、両腕で細い腕を殴りつけるがビクリとも動かない。

 だんだんと青白くなっていく顔とぐるりと上向いた目にやっと手を離し、倒れ伏した男の横に乱暴に寝かしつけた。


「お友達がお昼寝してしまった。仕方ないね、いい天気だし。こんな日は道端で寝てしまっても仕方ないだろう」

「教会の犬が……!」

「陸の生物と一緒にしてほしくないが、まあいいか。君たちには2、3聞きたいことがあるんだ」


 お友達は寝ているけどね、と付け加え、男の胸に足を乗せる。少しずつ体重をかけるように押しつぶし、リリーは人差し指を立てた。


「では1つ目。ここで何が起こったのかな」

「犬に喋る、言葉は、ねぇ!」


 返答は予想通りだ。そう簡単に吐くとは思っていない。しかし明るい道端で拷問はリスキーだ。マリアの視線もある。リリーは早々に別の手段を取るために次々に質問を飛ばした。


「なるほど。2つ目。君たちはどうしてここにいたのかな?」

「は……誰が、答えるか……!」

「3つ目。君たちは誰かな?」

「あがっ……!クソッ……!」


 どの質問にも答えはない。徐々に沈み込んでいく足とともに顔が歪んでいく。段々と呼吸が浅くなり、顔が赤くなっていく。視線が宙をさまよい、焦点が定まらない。ついに過呼吸のように息を吐き出し始めた頃、リリーはやっと足を離した。


「大体分かった」

「え?今何も答えてもらえなかったんじゃ……」

「無論、答えがわかったんじゃないさ」


 そう言うと、地面に落ちていたナイフを一本拾う。何度か刃を振り回し、彼はおもむろに刃の先端を男へと向けた。


「君、痛いのは好きかい?」

「はっ!拷問しようったって無駄だ!」

「分かっているとも。そして君は僕が騎士だから殺しはしないだろうと高を括っている。その気持は分かるよ。絶対的な常識はときに人間の想像力の足かせになるからね」


 刃をもう一度持ち直し、今度は眠っている男に向ける。男が視線を向けたことを確認し、彼はおもむろにその刃を男の胸へと突き刺した。


「……は?」

「リリーさん!!」


 マリアの静止の声が飛ぶ。それを無視し、リリーは刃をおもむろにぐるりと回す。一周回したところでまるでケーキナイフでも扱っているかのように鼻歌を歌いながら、彼はナイフに突き刺さったモノを見せつけた。


「君に痛いことはしないよ。その代わり、この子に頑張ってもらおうか」


 ぽたぽたと地面に落ちていく紅い血。生々しい音が青空の下反響する。地面へとじわじわと広がっていく血液と顔を青ざめて崩れ落ちたマリアを見て、男は漸く状況を理解した。


 隣で、仲間が刺された。


「テメェ!!」


 起き上がろうと暴れる男を押さえつけ、リリーはナイフをもう一度隣の男へと突き刺す。弄ぶように何度も、何度も。肉に突き刺さる刃物の音が鼓膜を叩き、彼は必死になって叫んだ。


「クソッ!このイカレ野郎!!」

「さて、もう一度質問だ。ここで何が起こったのかな」

「誰がっ!」


 グチャ、と肉が潰されるような音がする。隣を見ようとしたが、リリーの足によって視界が塞がれた。生暖かいような感覚が後頭部まで漂い、男は言葉を飲み込む。


「大丈夫。まだ生きているよ。ほら」

「あああああぁぁっ!!!」


 隣は見えないが、悲痛な声が木霊する。下唇を噛んだ男は強くリリーを睨みつけた。


「このまま生きていられるかは君次第だね。もう一度。ここで、何が起こったのかな」


 男は質問に答えるのを酷く迷うように視線を彷徨わせ、喉を大きく震わせる。その視界に入るようにわざと大きく腕を振りかぶると、男は叫ぶように言葉を紡いだ。


「抗争だ!!」

「ほう。抗争。それはどことどこの?」

「……ロックとドレッドだ」

「ドレッド?聞いたことがないな」


 ロックとはこの街の裏社会を仕切るとある組織の名前だ。おそらくドレッドも同じく組織の名前なのだろうが、リリーは聞いたことがなかった。少なくとも、25年前にはなかったはずだ。


「2つ目。君たちはどうしてここにいたのかな」

「戻ってきた連中を殺すためだ!」


 戻ってきた、ということはここで抗争をしていたどちらかのファミリーの構成員を待っていたということだろう。それで騎士に発砲するなど確認不足もいいところだが、もしかしたら現場を見た一般人も殺せと命令が出ていたのかもしれない。


 通常、街を治めるファミリーであればそのような命令はしないはずだ。少なくともリリーの感覚でちょっと前に該当する時期はそうだった。

 となると彼らはロックファミリーの構成員ではないのかもしれない。


「3つ目。質問を変えようか。ロックの誰を狙った」

「知らねぇよ!」

「ほう」


 わかりやすくナイフを下向きにすると、男は焦ったように首を横に振った。


「本当に知らないんだ!!俺もそいつもこの襲撃には参加してない!!」

「信じられんな」

「俺とそいつはこの前ファミリーに入ったばかりなんだ!!だから何も知らない!!」

「ふむ……」


 男の必死さからリリーは漸くナイフを収めた。嘘か本当かは分からないが、少なくとも最低限必要な情報は得られた。誰を狙ったか、という重要な情報を見張りの下っ端に話すほど相手も馬鹿ではないだろう。

 そう結論付け、リリーは隣を何度も見る男にニッコリと笑いかけた。


「ご協力感謝しよう。では、おやすみ。いい夢を」

「ガッ……!」


 勢いよく下顎を蹴り上げ、脳震盪に気絶した男を道端に寄せる。そして今度はの男を見た。


「君も、悲鳴のご協力感謝するよ」

「え……?」


 蹲っていたマリアが顔を上げる。あまりの光景に早々に目を覆っていた手を恐る恐る退け、眼前の光景に目を疑った。刺されていたはずの男は無傷で横たわっていたのだ。

 口は手で塞がれ、彼の目は恐怖に怯えているが意識はしっかりしている。傷口はどこにもなく、血痕もみられない。


「ど、どうして!?」

「そりゃあ刺していないからね」

「でも血が……」

「ああ、これのこと?」


 そう言って持ち上げたのは真っ赤に染まった血液だったもの。粘度の高い液体のような、ゆるい固形のようなそれは段々と形を変えていき、最終的に見覚えのあるものに変わっていく。それはうねうねと脈打ち、次第に透明になって消えていった。

 これはリリーの触手だ。極限まで補足した触手を束ねて血液が流れ出ているように見せたのだ。


「色を血液に近づけたんだ。そっくりだったろう?」

「先に言ってください!!」


 本気で刺したと勘違いしてしまった。どうしようと必死に頭を回しては混乱したあの時間を返してほしい。

 非常に憤慨したマリアが少ない暴言の語彙でなんとか罵倒しようと言葉を探している間に、リリーはもう一人の男も気絶させ同じように道の端に寝かせた。


「さて、分かったことと分からないことが増えたな」

「私はその前にお説教させてほしいんですけど」

「まあまあ。これからのことはちゃんと3人で相談しよう。それでいいかな?」

「相談はもちろんしますけど……3人?」


 彼の視線が道の奥へと移る。マリアがその先を追うように目を細めると、リリーは誰もいない道に向かって声をかけた。


「もう出てきてもいいんじゃないか。少なくとも僕達と君は目的が一致していると思うんだが」

「一致しているかどうかはこれから聞かないと分かんないかなぁ」


 この声はつい最近聞いたことがある。凛とした芯のある声。僅かに剣呑さを孕んだ声とともに横道からすらりとした足が覗く。

 諦めたように堂々と現れた女性にマリアは大きく声を上げた。


「ジゼル副団長!?」

「やっほー!さっきぶり!」


 大きく手を振った彼女は太陽にも負けない眩い笑顔の裏に、鋭い眼光を秘めていた。

 

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