深度10 サウスサイド

 広大な駅の中。赤い煉瓦造りのホームに降り立ち、マリアは周囲を見渡す。続々と降り立つ乗客たちの流れを追いながら、リュックサックを背負い直した。


「改札はあっちみたいです!」


 大荷物の観光客や家族連れなどを尻目に改札口を目指す。地区間を移動したにも関わらずほとんど手ぶらのような二人は妙に目立ち、人々の視線を誘った。女性騎士と一般人のような服装の男が並んで歩いているのは嫌でも視線に止まるのだろう。


「改札口に入るときにスマホをかざせばいいんだったか?」

「お父さんはそう言ってました」

「あれはやらなくていいのか?」


 リリーが指さした先では列車から降りた乗客たちが身体検査や手荷物検査を受けている。地区間を移動した理由などを問うゲートもあり、厳重に管理している様子が分かる。これは大陸に住まうものの義務で、それぞれの地区統治者が話し合って決めたことらしい。とはいえ、ほとんどが月影教主導の統治を受け入れているので殆ど強制のようなものだ。

 その条約の中には騎士に関する決め事も盛り込まれていた。


「騎士は全面免除だそうです。身分証を常に背負っているようなものなので……」

「海魔討伐にあたれるものが騎士しかいない故か」


 騎士になるのは筆記試験、実技試験、訓練期間など様々な壁を乗り越えねばならず、最終的な合格者は毎年受験者の中から1%いれば良いほうだと言われている。騎士という身分は大陸では憧れの的であり、その肩書がどれほど重いものかは推して知るべし。


「僕らは教皇のペーパー1枚で名乗れてしまっているが本当にいいのだろうか」

「考えないようにしています……海魔討伐なんかできませんし、騎士試験も受けていないなんて口が裂けても言えません……」

「だろうな」


 討伐に当たれと言われてもマリアには無理だ。戦闘どころか武器を持つことさえできない。身を守るという点では武器ぐらいは扱えた方がいいのだろうが、過保護な親が頑として許さないだろう。

 誰に求められず改札口にスマホひとつかざすだけでゲートを通り抜けた二人は、駅構内を進んでいく。キョロキョロと二人揃って周囲を物珍しげに眺めていると、マリアは不思議そうにリリーを見た。


「地区間線ができたのって30年前でしたよね?リリーさんはここを通ったのでは?」

「僕は基本的に裏ルートを通ってくるから電車を使ったのは初めてだよ」

「裏ルート……?」


 その疑問の答えは直ぐに出た。駅構内の一部、リエット川を一望するために作られた巨大な窓が姿を表したのだ。


「こちらから見ると海みたいですね!」

「リエット川は実際海につながっているしな。この辺りはそこそこ水温が高くて快適だぞ」

「え。なんで水温なんて知ってるんですか」

「そりゃあもちろん。あれが裏ルートだからさ」


 リリーを見て、リエット側を見て、またリリーを見る。交互に何度か視線を往復し、頭の中でとある図式が浮かぶ。海魔イコールシャーレ族。リリーイコール海魔。海魔は淡水、海水関わらず生息し、移動する。簡単に言えば海魔はリエット川を泳げる、ということだ。あれ?


「まさか……不正上陸……?」

「はっはっは。さあ早く街に出よう。いつも岸で追い返されてしまうからまともに見たことがないんだ!」

「それ追い返されてたのって騎士に、じゃないですよね!?ちゃんと手紙を受け取ってから移動してただけですよね!?」

「さぁ、どうだったかなぁ。人間の区別は難しいからなぁ」


 シャーレ族のリリーがいうと洒落にならない。彼はどう見ても人間だが、本当は姿が変えられますと言われても可笑しくないのだ。いやほんとに。まさか海魔としての姿がありますとか言い出さないよね?


 慌てふためくマリアを他所に彼はずんずんと進んでいく。足の長い彼に追いつくため早足に進んでいくと、気がついたときには眩い陽射しが差す駅前まで出ていた。


「わぁ……すごい……」


 サウスサイドの街並みはセントラルとは全く異なる形だった。

 あちこちに真白な街並みが広がり、煉瓦色の屋根が目に眩しい。太陽の光を吸収した街並みはどこもかしこも澄み渡っており、街全体が明るく見えた。

 少し離れた場所にはセントラルで見たビルのようなものも見えるがとても背が低い。そして何よりも感じたのが照り付ける太陽の暑さだ。


「モノローグによると、サウスサイドはセントラルと比べると平均気温プラス5度。1年を通して暑く、温度差はさほどない。雨季以外は降水量が少なく乾燥した空気が特徴的。騎士服なら快適に過ごせるだろう、だそうだ」

「……確かに暑いとは思いますが慣れれば気にならなくなりそうです」


 というかモノローグはそんな情報も載せている騎士がいるのかと感心した。情報の発信内容は精査しているとジャズはいっていたが、これは有益情報と判断されたのだろうか。実際有益ではあるのだがなんとなく腑に落ちない。観光ガイドじゃないんだから。


「遠目から見ても白い家々は見えていたが、近くで見ると圧巻だな」

「本当にまともにサウスサイドに来たことないんですか?」

「さて騎士団の詰め所が駅から少し離れた場所に一つあるらしい。一度そこで宿を確保がてら作戦会議といこうか」

「露骨に無視しないでください!」


 不正上陸のこと、まだ気になってるんですから!

 そう言い募っても彼が語ることはついぞなく、結局のらりくらりと躱されている間に件の詰め所に着いてしまった。

 騎士団の詰め所は他の建物と同じように真白な外壁に囲まれていた。入口のプレートに騎士団のマークが書かれているが、プレートさえ見なければ周囲にある家屋とそう変わらない。騎士でなければ見逃してしまうような質素さだ。


「見た目が景観重視になってますね」

「彼らの立場の弱さが可視化されるようだな」


 サウスサイドの騎士達は海魔が出てこない限り出動要請は一切ない。こうして点在している詰め所も必要最低限の人数を押し込めるように作られたもののようだ。

 これは宿は期待できないかもしれない、とリリーは肩を竦めた。


「さ、マリア。よろしく頼んだよ」

「え!?わ、私が行くんですか!?」

「教皇特別許可書を持っているのは君だけだからね」


 教皇特別許可書はマリア・モンストロという名前とセットで使うことで効果を発揮する。その芸当ができるのは正式にジャズの養子になっているマリア一人だけだ。ここで付き人のリリーが出しゃばると話がややこしくなると踏んで、彼はマリアの背をずいずいと押した。


「なに、ジャズの話では身分証を提示すれば何でも揃えるよう手配しているって話だ。ちょっと話をするだけで終わる」

「そ、そうですけど……相手は騎士ですよ!?」

「君も騎士だろう」

「そうですけどそうじゃないです!!」


 それを言ったら貴方も騎士じゃないですか!という悲鳴を上げる一歩手前。突如目の前の詰め所の扉が音を立てて開かれる。その様子を扉の前で攻防していた二人は驚いたように見つめ、入口に立つ騎士服の女性に視線を向けた。

 マリアと似たような意匠の騎士服だが、彼女は機動性を重視するようにところどころ無駄な装飾が省かれ、布面積もかなり少なくなっている。褐色に焼けた肌と長い黒髪を頂点に結んだ騎士は、不審そうに二人を見つめた。


「詰め所の前で言い争いなんて度胸があるじゃない。この街でわざわざ騎士に仲裁されたいのかしら」

「あ、いえ!争っていたわけでは……!」

「ん?あら。貴女その格好、専用騎士隊服じゃない。珍しい」

「え、専用騎士隊服……?」


 凛とした心のある声と共に女性の視線がマリアの制服へと移る。ジャズが彼女専用に誂えたと自信満々に言っていた騎士隊服なのに間違いはないが、どうやら彼女の言っている意味は違うようだ。


「知らない?専用騎士隊服ってのは隊長格以上に与えられる服なのよ。通常のデザインと違う隊服はだいたいそう呼ぶわ」

「た、隊長格!?聞いてない!」


 街角に悲痛なマリアの悲鳴が響く。リリーも隊服説明のときに聞いた覚えがないので位に関しては黙っていたのだろう。権力で襲い来る雑魚を騎士だろうがぶん殴れ、という強い意志が見え隠れしている。

 父への呪詛を唱え始めたマリアを横目に、リリーは眼の前で扉により掛かる女性騎士を見る。彼女の服も見た限りでは通常隊服とは違うようだ。セントラルを歩いていた女性騎士にこのように露出の高い隊服を来た騎士はいなかった。


「君の言葉を鵜呑みにするなら、君は隊長格以上ということになるが」

「そうね。自己紹介をしてあげてもいいけど、まずは詰め所に入りましょうか。道端でお喋りするには太陽が高すぎるしね」


 彼女の言う通り、時刻は正午を回っている。外で長話をするには向かないほど真白な街並みは照り返しが強い。未だに立ち直れないマリアを強制的に引きあげ、リリーは彼女に促されるまま詰め所の中へと立ち入った。


「入口にスマホをかざしてね。身分証を読み込む機械が埋め込まれているから」


 扉を潜り抜けた先に置かれた小さな台。その上に言われたとおりにスマホをかざすと、近くに置かれたデバイスに個人情報が映し出される。名前と階級らしきものを表す情報の他に様々なものが書かれているが、そのほとんどはジャズが入力した偽情報だ。

 マリアも横で同じようにかざしている間、騎士は興味深そうにリリーの情報に目をすべらせている。


「リリー・ショア……隊服を着てないけど貴方も騎士なのね」

「僕にはあの隊服は窮屈でね」

「ふーん、規則違反についてお咎めなしね……ま、深くは聞かないでおくわ。その腕章をつけてる人とその連れには深く追求するべからずってこの前お達しが来たし」


 情報共有を徹底させてやると血眼になって各地に連絡をとっていた甥の苦労はどうやら報われたらしい。早々にリリーの情報から離れ、今度はマリアの情報を眺め始めた彼女に、リリーはわざとらしく台を叩いた。


「君の情報も確認しておきたいのだが構わないかね」

「ん?ああ、そうね。騎士は要求されたとき情報開示が義務だから。好きに見ていいわよ」


 騎士についての軽い説明を受けた時、もし騎士に出会ったら情報開示要求をしろと口を酸っぱくして言われた。ジャズいわく、開示請求を行うのは騎士かどうかを確認すると同時に脅しを掛けるのにも使えるとのこと。もし不良な騎士がいたら遠慮なくこちらに情報を渡せと強く念押ししていた。

 絶対良からぬ使い方しかしないだろうが、規律を逆手に取った安全確認はマリアのためでもある。


 素直に台の上に置かれた端末から情報を眺める。名前はジゼル・マクリウス。階級は……。


「副騎士団長……?」

「ふ、副騎士団長!?」


 隣で項垂れていたマリアが戻ってきた。驚いたようにリリーから情報端末を奪い取り、速読を超えるスピードで画面をスクロールする。何も見えていないんじゃないかと突っ込もうと思ったが、彼女が声を上げたためリリーは大人しく閉口した。


「ジゼル・マクリウス……ほ、本物だ……」

「有名なのか?」

「副騎士団長といえばマクリウス姉弟ですよ!騎士団長もそれはもうすごいんですが副騎士団長も群を抜いてて!」


 ジゼル・マクリウス。月影教が運営する騎士団のトップに君臨する騎士団長の右腕。例年副騎士団長は2人で務めることになっており、今はマクリウス姉弟と呼ばれる二人がその座に着いている。

 特にジセルは戦闘面で多大な貢献をしており、単独海魔討伐戦績は騎士団長に続いて2位。討伐補助の戦績は1位を恣にしている。


「そんなランキングあるんだ。騎士団って暇なのか?」

「騎士団は実力主義なんです!ランキング形式は競争心を煽るのにも適していて士気を向上させるのに一役買ってるんですよ!……ってお父さんが言ってました」

「言いそう」


 というかやりそう。

 シャーレ族で一番効率と実績を重視する男だ。優秀な騎士を見極めるために大々的に報じ、民間人にもメディアを通して露出させることで騎士への好感度アップを狙っていそうだ。

 マーケティングで金儲けするの好きそうだし。使い道は全部孤児院へのおもちゃ購入や食事内容改善だろうが。


 閑話休題。

 兎に角、眼の前の人物が副騎士団長ジゼル・マクリウス本人であることは間違いない。騎士団のデータベースにアクセスして出てきた情報に嘘はないはずだ。

 しかしそこで疑問が湧く。なぜ彼女は騎士としての仕事がほとんどない、サウスサイドに居るのだろうか。マリアも同じことを疑問に思ったのだろう。おずおずと、控えめに挙手をしながら不思議そうに首を傾げた。


「あのー……副騎士団長?」

「その前に。その呼び方痒いからジゼルでいいよ。騎士としては上官だけどモンストロ、なんて恐れ多くて呼べないし。マリアちゃんって初対面で馴れ馴れしく呼んじゃうからこれでおあいこってことで」

「じゃ、じゃあジゼルさん。貴女はどうしてサウスサイドに……?」


 マイペースなジゼルにのせられあれよあれよと呼び名まで決められたマリアは突っ込むこともできず、一先ず自身の疑問を優先したようだ。リリーと関わることで些細なことに目を瞑って大目標を達成する胆力が備わってきたらしい。

 彼女の疑問にジゼルは外を指差し、次いでマリアが持つ端末を示した。


「私、サウスサイドが地元なの。里帰りついでに各地区の様子を見まわる出張に行ってこいって団長に言われて現在里帰り兼見回り中ってところかな。この詰め所担当の子達と一時的に変わってもらってね。で、君たちは?」


 彼女の情報が乗った端末の出身地欄にしっかりとサウスサイドと書かれている。現在の主な勤務地がイーストサイドと書かれているので、そこから里帰りしてきたのだろう。


 概ねジゼルの概要に納得できたところで飛んできた質問に、リリーは促すようにマリアの背を軽く叩いた。ハッとしたように慌てた彼女は端末を手にしどろもどろに言葉を絞り出す。


「わ、私達、各地を見て回る任務中で……」

「あー新人のときにやるやつ?隊長と新人のマンツーマンで各地を回るとかいう地獄イベント。大変だよねぇ」


 何だその地獄イベント知らない。誰だ考えたやつ。という言葉は既での所で飲み込んだ。そんな人の心がわからないようなイベントを考えるやつは絶対にジャズだ。この言い訳を教えるときに笑っていたので地獄だということは分かってやっているはずだ。


「マリアちゃんが隊長でリリーくんが新人かな?っておっと。必要事項以外で詮索しちゃいけないんだった。ごめんね」

「だ、大丈夫です。それで、宿を借りたくてですね……」

「ちょっとまってね。今空いてる場所を探すから」


 そう言って端末からいくつかの騎士団所有の空き家を提示してくれた。戸建てをいくつも保有しているのは流石というべきか。寮のような詰め所に隣接した場所もあるらしいが、生憎今は空き部屋がないとのことだった。


「空いていないんですか……」

「サウスサイドは海魔討伐以外に出動しないし、あんまり異動とかないからさ。騎士の動きが少ないんだよねぇ。新人は基本的に寮に入るものなんだけど、マリアちゃんの名義なら戸建ても余裕で申請できるから大丈夫でしょ。一緒の家で大丈夫?」

「はい。同じ孤児院の出身なので」


 この言い訳は列車内で二人で考えたものだ。マリアの身内でもリリーの身内でもいろいろと問題があるだろうと考え、二人一緒の部屋や場所にいて違和感のない言い訳をひねり出した。孤児院であれば幼少期から共に過ごしたいわば身内のようなものだ。本当に身内だったとしても距離感に違いがなくバレ難い。


「そう。いいわねぇ幼馴染の上官と新人の二人旅……燃えるわね」


 なんだか不穏なことを言っているが、ならば遠慮なくと最近新しく購入した履歴のある戸建てを勝手に確保し始めたジゼルに心の中でお礼をいう。ここで寮が空いているからと選ぼうものなら保護者に殺されていた。女子寮だったとしても不特定多数がいる環境に置いておくなんて信じられないなどと言い出しそうだ。

 そんなこと露ほども知らないマリアは騎士団の寮に憧れがあるようで、名残惜しそうに満室の文字を目で追った。


「よし、申請できたわ。場所は大通りから一本入った住宅街。海にほど近い場所にある哨戒用の戸建てね。キーは騎士認証だからスマホで開くわ。5分も歩けば砂浜があるし、眺めは最高よ」

「海魔さえいなければ、ですけどね」

「そこはほら、彼に守ってもらえばもっとサイコーでしょ?」


 バチンッ!と綺麗なウインクをもらい、リリーはわざとらしく肩を竦める。その様子にクスクスと笑ったジゼルは、困惑してぱちくりとまばたきを繰り返すマリアの背を強く叩いた。


「私はしばらくこの詰め所にいるから何かあったら相談してね。特にほら、甘酸っぱい悩みとか」

「え、え?」

「うちのマリアに変なことを吹き込むのは止めていただこうか」


 完全に勘違いをしているジゼルからマリアを引き剥がし、その背に隠す。身長差のお陰がすっぽりと隠れた姿に、ジゼルは余計にきゃあきゃあとはしゃぎ始めた。

 絶対に言えないが年の差2000歳以上の大伯父と又姪だ。仮にもその勘違いを認めるわけにはいかないが、事実を伝えられない以上訂正する気も起きなかった。


「色々と助かった。僕達はこれで失礼させていただく。行こうマリア」

「あ、あの!ジゼルさん!ありがとうございました!」


 ここにこれ以上いると何をしても勘違いを増長してしまうと判断し速やかに扉へと移動する。肩を掴まれぐいぐいと押し込められたマリアはなんとか腕の隙間から振り返り、ジゼルへと礼を述べた。


 彼女はひらひらと手をふって、足早に去っていく二人を見送った。最後にポツリと、シャーレ族に耳でしか聞こえないような呟きを落として。

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