情熱と犯罪の街 サウスサイド

深度9 川を超えて

 セントラル地区、教会の一室。ジャズは複数の発信履歴を睨みながら、もう一度発信を押す。もう何度目かわからないコール音を聞きながら半ば諦めていると、不意にけたたましいコール音が止んだ。


「やっと出たか……どうしていつも連絡が取れないんだ……なんのための直通電話だと思って……」

「今ソレどころじゃない」


 スピーカーから聞こえる苛立ったような甲高い声。まだ幼さを残すような声に反し、向こう側の状況は不穏だ。電話の向こう側ではあからさまな舌打ちのような音と遠くから聞こえる複数の怒声。そしてあちこちから響き渡っている爆発音と銃声。


「ドンパチやってる最中にピコピコうるせぇんだよ。不用意に電話するなつっただろ」

「まずどうして戦闘になってるんだ……」


 近場から発砲音が聞こえ、思わずジャズはスマホを耳から離した。電話の主が発砲したらしい。「ガキが撃ちやがった!」と遠くから怒鳴り声が響いている。推察できる限り相手は人間のようだ。


「最近は落ち着いてたじゃないか。内部抗争か?」

「チッ、癇癪に付き合わされてんだよ」


 続いてガラスが割れるような音。殴打したような鈍い音と共に軽い足音が聞こえてくる。


「それよか要件を言え。こっちは忙しいんだ」

「はぁ……伯父さんがそっちに向かってるんだ。実は今回は……」

「んだよ、そんなことでいちいち電話してくんな」


 また一つ舌打ち。今度は金属と金属がぶつかり合うような音が数度鳴った。話はまだ途中だと付け加える前に相手は声を張り上げた。


「クソ共が!テメェ等の死体引きずり回して広場に晒してやる!!切るぞジャズ!」

「こら!まだ話は!!」


 ブチッと線が切れるような音と共に通話が切れる。もう一度かけ直そうとしたが、おそらく出てはくれないだろうと考え直し力なく項垂れた。


「肝心なところを聞いてくれよ……」


 情熱と犯罪の街、サウスサイド。今まさに愛娘が向かう南を見る。木々の合間に見えた影が今日はやけに薄暗く見えた。





ーーーーーーーーーーーー




 

 揺れ動く列車内。窓の外では背の高いビル街を抜け、住宅街からほんの少し開けた森林地帯へと向かう。段々と家屋が少なくなっていく風景にマリアはきらきらと目を輝かせた。


「これからリエット川の巨大橋に行くんですよね!」


 電車が走り出してから1時間。飽きることなく外を見続ける彼女にスマホを向けながら、リリーは小さく頷いた。


「リエット川は圧巻だぞ。最初はきっと気に入る」

「最初は?」

「なにせリエット川は広い。30分も見続けたら流石に飽きるさ」


 サウスサイドとセントラルの間には巨大な川が横たわっている。セントラルの西側に位置するウエストサイドとレイクサイドの間に横たわる山脈から続くリエット川は、川幅が50キロメートルにも及ぶ。その途方もない距離に橋を渡すためジャズは一悶着やったようだ。

 なにせ当時最長の橋がたったの2キロメートルだ。圧倒的な差に橋を渡そうなどと考える者は誰一人としていなかった。かといって船での渡航がそう簡単に行くはずもなく、かなり苦心したようだ。

 その苦労のお陰で全地区間での線路敷設が終わり、現在快適な電車旅が敢行できる。


「橋が渡る前は船での移動だけだったんだが、危険性が高すぎてサウスサイドに渡る者は少なかったんだ。海魔には海水も淡水も関係ないからな。今はいい時代になった」


 少しずつ斜角に入っていく外の風景と、わずかに感じる水の匂い。鬱蒼とした景色を抜け、開けた光が眼を刺す。瞬いた瞳に飛び込んできたのは太陽の光を乱反射して輝く、なだらかな水面。陸地が遥か遠くに見えるほど広がり、その光景はさながら海のようであった。


「わぁ……!」


 開け放ったコンパートメントの窓から身を乗り出し、外の風を存分に浴びる。頬を抜ける風が街と違って澄んでおり、吸い込む空気が数度低い。肺を刺す爽やかな色にマリアは嬉しそうに飛び跳ねた。


「リリーさん!リリーさん!すごいですよ!向こう岸がすっごく遠いです!」

「そうだな。危ないから飛ぶのはやめよう」


 乗り出した身をゆっくりと座席に戻し、リリーはもっていたスマホを外の窓へと向ける。そうして再びマリアに向け直すと、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「あの、先程から何をしているんですか……?」

「ん?ああ、これか。どうが?を撮っているんだ」

「動画」

「ジャズに送ろうと思ってな」


 ぴこん、と軽快な電子音と共に操作をする姿は随分と様になっている。電車に乗ってから少しだけ教えた操作を直ぐに吸収していったリリーは基本機能程度は使いこなせるようになっていた。そのうちの一つに写真と動画があり、メッセージアプリで動画を送れることに気づいたようだ。


「返事が来たぞ」

「早くないですか?」


 一瞬で読んだことを知らせる目のマークが動画の横についた。そのあとしばし間を開け、クジラのようなものが涙を流すスタンプと一言が送られてきた。メッセージには「嫉妬と幸福で気が狂う」と書かれている。難儀な親だ。


「ついでに二人で写っているものも撮っておこう」

「モノローグにはあげないでくださいね?」

「家族にしか見せないよ。これからも撮ってもいいかい?思い出に残したいんだ」

「もちろん!私にも送ってくださいね!」


 輝く川と真白な雲が揺蕩う空を背景にコンパートメントの中で何枚か写真を撮る。マリアに撮ってもらったり自撮りの方法を教えてもらったりと楽しく過ごし、数枚をジャズに送ると秒速で侮辱を表すスタンプと葛藤するようなスタンプ、間をおいて幸せのあまり号泣するクジラのスタンプが送られてきた。心の中が随分と忙しそうだ。


「そういえば、お父さんから手紙を受け取ったんですか?」

「いいや、まだだ」


 ふと、マリアはリリーの目的を思い出す。全ての甥と姪から妹に宛てた手紙を受け取るという話だったが、ジャズから手紙を受け取る姿は一度も見たことがなかった。

 彼はなんてことないように首を横にふったが、マリアは困惑したように目を瞬かせる。


「受け取らなくて良かったんですか?」

「そもそもまだ書き終わっていないだろうしな。あの子の手紙はいつも旅の途中でセントラルに戻ったときに受け取る」


 そういえば一度セントラルに戻る、と言っていた気がする。旅の行程の説明を受けた時、電車の線路に沿って地区を巡ると言っていた。セントラルの外周を反時計回りにぐるりと回る道筋は、途中でノースサイドを通り過ぎる行程になっている。


「ノースサイドより先が最終目的地でな。北へ向かうのは最後だ。そのときにノースサイド直通列車に乗る都合上セントラルに寄るんだ」

「サウスサイド、イーストサイド、フォレストサイド、ウエストサイド、レイクサイド、セントラル、ノースサイドの順番で回るんですね」

「サウスサイドが最初の受取地点、ということになるな」


 スマホに表示された世界地図。セントラルをぐるりと一周し、最後にノースサイドを指さしたリリーの視線を追ったところで、通知音が鳴った。ちょうど指の上辺りに降ってきた通知を知らせるバナーに、彼はスマホを持ち上げる。ジャズから更にメッセージが飛んできたようだ。


 写真に対する反応の合間。長文が書かれたメッセージと困ったようにヒレを頭部に当てるクジラのスタンプが届く。その後も何度かメッセージが届き、リリーは眉間にしわを寄せた。


「……ふむ。マリア、いい知らせと悪い知らせどちらから聞きたい?」

「え……じゃあ、いい知らせから……」


 楽しい旅に水を差すように寄越された質問にマリアは居住まいを正す。反射的に良い知らせからと言ってしまったが、こういった質問をされるときは大抵悪い知らせが絶望的だ。


「サウスサイドにいるシャーレ族に連絡がついた。僕が向かう旨は伝えられたようだ」

「悪い知らせの方は……?


 出立が決まってから何度も連絡をしようとジャズが試みていたが今日このときまで一度も繋がらなかった。それがやっと繋がり、リリーがサウスサイドに向かっているということだけは伝えられたようだ。そこまでだけならば良い知らせなのだが、話はまだ続く。


「悪い知らせはそのシャーレ族がどこで何をしているのか全くわからなくなってしまったことだ」

「行方不明ってことですか!?」

「おそらくな」


 ジャズがサウスサイドのシャーレ族に電話を切られた直後。銃声の情報からサウスサイドの騎士団に連絡を取り調査をしてもらったようだ。しかし、ここでサウスサイドの文化が大きく足を引っ張ってくる。


「サウスサイドはリエット川で別の地区と断絶されている性質上、孤島のようになっている。そのせいで色々と勝手が違ってな。端的に言うと月影教の立場がさほど強くないんだ」


 巨大なリエット川を渡る手段が少なかった時代。地区制度ができる前から独自の自治を行っていたサウスサイドは自警組織の役割を持つ騎士団の介入を強く拒んだ。自分たちの街は自分たちで護ると宣言した彼らの意向を無視することはできず、騎士団は海魔討伐の専門家という立ち位置で詰め所をいくつかもっているのみ。

 治安維持や法的なものはサウスサイドにもとからある組織が行っているという。


「月影教が全てを執り行っているセントラルとは全く違いますね」

「モノローグの情報と概ね一致しているし、今もその治世は変わらないのだろう。そうなると、騎士団が入手できる情報は表向きなもののみ。調べようにも当たり障りのないものしか出てこないようだ」


 手詰まりになってしまったジャズは騎士団に頼らず自分の足でサウスサイドを周るしかないだろうとリリーに告げ、くれぐれもマリアを危険な目に合わせないようにと再三注意の警告文を送ってきている。一部脅迫じみた放送禁止用語が並んでいるか、そこには目を瞑っておいた。


「最後の連絡では銃声が聞こえた、と。なにかに巻き込まれたと見て調べたほうが良いな」

「銃声……」


 そのシャーレ族は大丈夫なのだろうか。飛び抜けた身体能力があり、何かしらの特殊能力があることはリリーから聞いているが銃声の中無事で居るのだろうか。

 不安を募らせるマリアに、リリーは安心させるように笑みを浮かべ戯けたように両手を広げた。


「大丈夫。あの子にとって銃声は日常茶飯事だろうから心配しなくてもいい」

「銃声が日常茶飯事だったら逆に心配しますよ!?」


 何一つ大丈夫ではない言葉に必死に首を横にふっても彼は面白そうに笑うだけ。本気で心配していないのだと悟る。こういうところは、人間とは違うのだとマリアは価値観の違いに頭痛を覚えた。


「サウスサイドってそんなに危ない地区なんですか……?」

「いいや?表社会は大人しくしていれば普通の街だ」

「表社会?」

「何事にも裏はある。サウスサイドは特にその裏が大きな地区なんだ」


 サウスサイドの裏社会。そこは混沌としたパレット。複数の色で塗り固められ、ドス黒く変貌した小さな闇。泥濘むような足元を銃声と血飛沫で上塗りする暴力の化身たちが跋扈する場所。そしてそこが表社会を支える唯一の力。


「何があっても僕が君を守るが、覚悟をしておくんだな。セントラルのような生易しい街は他にないことを知るいい機会になる」


 川に晒された冷ややかな風が喉を突く。徐々に見えてきた対岸。ぽつりぽつりと聳え立つ建築物たちが蜃気楼に揺れている。真の姿を覆い隠すように姿を変える街にマリアは生唾を飲み込んだ。

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