深度8 列車

 晴れ晴れとした朝の冷たい風が吹く。窓からは門出を祝うように晴れ渡った空が見える。ベッドとクローゼット、小さなドレッサーだけが住まうこの部屋とも長らくお別れだ。


「この修道服もしばらくお別れかぁ」


 整えられた寝台の上に置いた修道服。見慣れたユニフォームも全てクローゼットにしまい込み、小さなリュックサックを背に一つ。直前まで充電していたスマートフォンを手に取り、ドレッサーの鏡を見た。


「服に着られてないかな……」


 真新しい真白なケープとところどころ金の装飾が施された隊服。階級を表す腕章部分には三日月を表す意匠のものが小さく刻まれている。左手の親指に巻かれた白い指輪がきらりと光に反射する。

 月影教の女性騎士のみに着用が許される礼服に身を包み、マリアは軽く両頬を叩いた。


「よし!」


 大伯父、リリー・ショアがやってきてから1週間。今日は住み慣れたセントラルを離れ、旅に出る門出の日。綺麗に整えた自室をもう一度見直し、彼女は扉に手をかけた。




――――――――




「あーやっとセントラルを出られる……長かった……」


 教会の敷地前。1台の車の前でリリーは煙草を片手に空を仰ぎ見ていた。隣りにいるジャズは車のキーをくるくると回し、小さく欠伸を溢している。


「私達の1週間など瞬きと変わらんだろう。それに女性の支度を待てない男は嫌われる」

「支度にも限度というものがあると思うがね。ほぼお前が言い出した支度だったし。まさか5日もかかるとは思わなかった……」


 セントラルにやってきて1週間。濃密な2日間を過ごした序盤とは違い、残りの5日は保護者による大騒動が幕を開けた。簡単にいえば旅に出る我が子のために暴走したジャズがあれもこれもと準備を始め、挙句の果てに騎士団内部にまで手が及んだことに端を発する。


 教皇権限を遺憾なく発揮した彼はたった1日でマリアとリリーに騎士称号を与え、二人を騎士にしてしまった。教会は基本誰でもウェルカムの体制だが、騎士称号を有していると騎士専用宿泊施設や公共施設全般が無料で活用できるらしく快適な旅には必須のものらしい。

 曰く「旅だからとマリアに野宿などさせようものならお前の爪を一枚一枚はいでやる」とのこと。これだから過保護は。


 加えて尋常ならざる力を持ったリリーへの説明を諸々省くために、教皇特別許可証なるものを新たに生やして発行した。この許可証はマリアの腕章になっており、この腕章をつけた者の身元を教皇が保証するということらしい。

 教皇に身元を保証された者の連れということであればいかなる質問も適当に躱せるだろうという目論見だ。モンストロの苗字を告げれば否が応でも黙らせられるので二重の効果が発揮できるとか。


 彼女専用の隊服も3日で誂え、関係各所への綿密な伝達も昨日1日で終わらせた。全ての隊員が教皇特別許可証の存在を認知し、所収者を見つけた場合どのような対応をするのかマニュアルを徹底させた。

 時折教会にやってくる騎士の疲れ切った顔には同情せざるを得なかった。うちの甥がごめん。


「それにしてもあんなに権限を与えて大丈夫なのか?」

「あの子が職権乱用すると言いたいのか。脳外科を紹介しようか?」

「権限欲しさに良からぬ輩が寄ってくるんじゃないか、と聞いたんだ」


 彼女自身を懐柔してジャズに近づこうとする輩はいくらでもいるだろう。そもそも教会への恨みを持っている輩がいないとも限らない。どこの時代にも陰謀論じみた根も葉もない噂を流し、ヘイトを稼ぐ者は居る。

 まともな心配をしているだけだと言い直すと、ジャズは軽く鼻で笑った。


「なんのために伯父さんが居るんだ。指輪を許可したのはそのためだ。いいか?間違っても彼女のプライベートを覗こうなんて考えるなよ」

「おいおい孫娘と変わらない子にそんなことせん」


 今なおマリアの左手に輝いている白い指輪。迷子防止にと旅に出る絶対条件として親指に鎮座し続けている。

 あれから何度か改良を重ねサイズが一回り大きくなっており、聴覚や声だけでなく視覚も共有できるようになった。更にマリア側での操作もいくつか可能になっており、とっても便利な触手製指輪となっている。

 

「お前こそ大丈夫なのか?マリアのいない生活は初めてだろう?寂しくて泣いたりしないか」

「戯言を抜かすな。毎日メールすれば問題ない」

「今の発言が一番戯言だったぞ」


 そのうち騎士団から動向を探って位置情報まで手に入れてきそうだ。いやもう手配していてもおかしくない。権力を手にした親馬鹿って恐ろしい。


「リリーさん!お父さん!おまたせしました!」


 雑談とも言えない話をしている間に、林の奥からマリアが駆けてくる。新品の隊服が眩く、ケープの裏に隠れるようになっているリュックサックが時々左右に揺れる。その愛らしい姿にリリーは笑みを浮かべた。


「良い隊服だな。似合っている」

「ありがとうございます。なんだかちょっと恥ずかしいですね」


 煙草の火を消しながらそんなやり取りをしていると、横から不穏な言葉が小さく聞こえた。


「やっぱり送り出すのやめようかな」

「僕は別にいいが嫌われるのはお前だ」

「チッ」


 こいつ今舌打ちしなかった?

 聖職者にあるまじき態度に半眼で顔を見ると、彼は済まし顔で助手席への扉を開けた。促されるままに車に乗り込んだマリアに続いて、リリーも後部座席へと乗り込む。

 向かう先はセントラル駅。唯一の内陸地区であるセントラルをぐるりと一周囲む地区間横断路線が走るセントラル地区最大の駅だ。


「リリーさん、最初の目的地はサウスサイド地区なんですよね?」

「そうだ。地区間横断路線が最初に止まる地区だな」


 車通りの少ない早朝。どこにも引っ掛かることなくスムーズに進んでいく道中、マリアに教えてもらいながらなんとか地図アプリを開く。現在地と示された地点から南に進み、サウスサイド地区と書かれた場所を見る。


「僕の知っているサウスサイド地区はモノ造りの街だったんだが……100年前の崩壊事件から後はとんと様子がわからん」

「25年に1回訪れているんじゃないんですか?」

「大抵の場合は手紙を預かれればソレで良かったんだ。ここ100年は出迎えられて手紙を渡され直ぐに別の地区に移る、の繰り返しだった。忙しいの一点張りでな……」


 サウスサイド地区は海魔出現による半壊後、地区担当のシャーレ族とジャズは大忙しだった。元々工場が乱立し、複数の大企業がサウスサイドを拠点にしていたためにもろに打撃を受けてしまったのだ。

 それ以来相次ぐ倒産や崩壊する地区にてんやわんやの大騒ぎだった。リリーも流石に手紙を受け取るためだけに長居するわけには行かず、会いに行っては追い返される100年間だった。

 故にサウスサイドの状況ははっきりと分かっていない。街として体をなしていることは確かだが、どのような状況なのか検討もつかないのだ。


「見た目はセントラルとそう変わらなかった記憶があるんだが……ジャズ、実際のところどうなんだ」

「そう言うだろうと思って、騎士専用の情報アプリを入れておいた。マリア、開いてあげなさい」


 一体騎士はどれだけ優遇されているんだと問う前にマリアが再びスマホを操作する。剣と銃が重なり合うアイコンのアプリが開かれ、いくつもの文字情報が現れた。どれを目で追えば良いのか分からず何度か瞬きを繰り返していると、マリアが驚いたように声を上げた。


「こ、これ、モノローグじゃないですか!」

「モノローグ?独り言?それとも回想シーン系の?」

「違います!世界最大級のSNSのことです!私も時々見ます!」

「えすえぬえす」


 SNS。ソーシャル・ネットワーキング・サービス。簡単に噛み砕いて言えばスマートフォンを通してインターネットなるものに接続し、その電子の海で不特定多数の人間と繋がれるもの、らしい。

 リリーには分からないことが多々あったが、ここに書かれているものは全て誰かが書き込んだもので審議問わず玉石混交色々な情報が入り乱れているとか。


「どうしてモノローグが騎士専用に……?これって全世界誰でも使えるんじゃ?」

「そうだ。ただ、騎士専用に別の機能が備わっている。そのアプリが月影教が管理しているSNSだからな」

「ええ!?」


 どうやらマリアは知らなかったらしい。愛用しているものがまさか父が管理しているものだったとは露ほども思っていなかったようで、スマホと父を交互に見比べ、ちょっと信じられないと薄く目を細めた。


「アプリの左上に小さな三日月があるだろう。タップしてみなさい」

「これかな……」


 マリアが左上のほんの小さな月に触れる。デザインと見紛うほど違和感なく配置された部分に触れると、突然浮かんでいた文字が次々と消えていった。いくつかの投稿が消え、逆に特定の投稿が浮かび上がっている。何事かと残された文を目で追うが消えた投稿と大した差が見られなかった。


「なんだ、これ」

「残った投稿は全て騎士が発信したものだ。騎士に支給されたスマホでモノローグを扱うと仲間内の投稿だけが見られるようになる」


 モノローグに投稿されたものは真偽が定かではないものが多い。利用者による情報の取捨選択が常に行われている状態だ。騎士達はあえて個人アカウントで真偽不明の投稿をすることで一般人からは嘘の投稿と判断され切り捨てられるように仕向けている。


「これでネットの海に溺れたまま重要情報をやり取りできるわけだ。まさに木を隠すなら森、だな」

「悪どい……」

「公共の場で堂々と開いていてもおかしくないように広めるの大変だったんだぞ」


 騎士達の投稿は一般人たちの中から信憑性の高い情報を厳選してまとめたものや、各地区の詳細、地区全体の細かい情報共有など様々だ。あまりにも過剰な情報量に目眩がしたリリーは早々に投げ出し、背もたれに寄りかかった。


「全くわからん……」

「ネットごとはマリアにやってもらえ。元からおじいちゃんに期待はしておらん」

「すまんな2000歳超えのジジイで。ああお前もだったか」

「伯父さんには負ける。続柄も一等親上だ」


 軽口を叩きつつも車は前へと進む。

 20分ほど乗っていただろうか。ついに見えてきた駅は全面ガラス張りの4階建てほどの高さはあるだろう巨大建築。マリアは窓に張り付くように駅を見上げ、嬉しそうに頬を赤らめた。


「私、地区間横断線に乗るの初めてです!」

「そうか。僕は3回ほど来たが、未だに何がなんだかわからん」

「安心しろ。迷子二人で送り出したりはせん」


 初心者と機械音痴の大伯父。どう考えても駅のホームにすら辿り着けそうもないコンビを駅前に放置できず、ジャズはロータリーの隅に車をおいて駅のホームまで送ると告げてきた。

 車はどうするんだと聞く前に颯爽と現れた騎士が敬礼と共にキーを預かっていたので、最初からそのつもりだったのだろう。


「とか言って本当はマリアと1秒でも長く一緒にいたいんじゃないの?」

「悪いか」

「逆ギレしないでもらえるか?」


 親馬鹿を隠そうともしなくなってきたジャズに引いたが、頼らなければ列車にも乗れないのは事実。彼に案内されるがままに改札口を通り、アナウンスに従うようにぞろぞろとホームへと降りていった。


 途中ジャズの顔を見て何人かの騎士が敬礼し、周囲の人達がひそひそとこちらを見て話している様子が見えた。教皇だ、と驚いている者が数名。教会から出られるんだ、と謎の関心を抱いている者が数名。

 奇異の目がこちらに移る前に早足に通り過ぎていったため、衆目に晒されながらも目的の列車にたどり着いた。


 地区間を走る列車は通常の列車より少し大きい。路線も列車のサイズ感に合わせて幅広く作られており、地区間列車が地区内を走る列車とは格が違うのだと示す。座席も全て指定席であり、リリーとマリアは騎士専用区画にあるコンパートメントが指定されていた。


「マリア、忘れ物はないか?何かあったら直ぐに連絡するんだぞ」

「お父さん。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。リリーさんもいます」

「伯父さんを信用するな。あの人が一番厄介だ」

「おい?」


 流石にその言い草はないんじゃないか?と注意しようとしたが、まるで我が子を戦場に送り出す父親のように熱くマリアを抱きしめ始めたので、リリーは苦い顔でツッコミを止めた。流石に子離れしようとしている親子に水を差すほど野暮ではない。


「いいか。伯父さんは最悪だが、君を守るという点では絶対的に信じて良い。危なくなったら迷いなく盾にしなさい。どうせ撃たれても刺されても死なないから」

「えぇ……」


 父親の発言が一番野暮じゃないかと思わなくもないが、彼なりに場を和まそうとしているのかもしれない。ちょっと冗談が過ぎるが。


 何個か注意点と言いながら伯父ディスを繰り返した甥は、不意に抱きしめていたマリアから手を離し、少しずつ距離を取る。一歩、一歩と離れ、自分自身に言い聞かせるように小さく頷いた。


「いつでも帰ってきなさい。私はここで君を待っている」


 そう言わないと、飛び出してしまいかねないのだろう。踏み出したい足を堪え、列車に乗り込む我が子を見送る。時折寂しそうに振り返る姿が愛おしく、切なく、今にも泣き出しそうだった。


「いってきます、お父さん」

「ああ、いってらっしゃい」


 発車を知らせるベルが鳴る。ゆったりと走り出す列車の窓越し。閉まりゆく扉に手を伸ばそうとして、ジャズはまた一歩下がる。

 意気地なしでいつまでも子離れができない、成長できない自分を叱責するように彼は笑みを作る。


 いつもの朝のように、街へと出かけようとする彼女に浮かべる笑み。変わらない日常の延長線。ほんの少しだけおきた変化の先で君に幸せが訪れることを願って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る