深度7 太陽を向く白百合

 太陽が真上へと輝き、照り付ける熱に一日の経過を感じる正午。商業区から教会の敷地へと戻ってきた二人は林の中を歩いていた。


「リリーさん」

「なんだ?」

「ずっと気になっていたことがあるんですけど、聞いてもいいですか?」

「内容によるな」


 木々の合間から差し込む太陽に反射してキラキラと輝く白髪を追い、マリアは言葉を選ぶように瞳を彷徨わせる。教会の屋根に装飾された三日月の印が見えた頃に、彼女は漸く意を決したように質問を続けた。


「シャーレ族は海魔を……その……滅ぼすことが目的……なんですよね」

「そうだ。僕達はそのために2000年以上の時を費やしてきた」

「2000年……」


 歴史の教科書に記されたシャーレ族の出現はジャズが最初だ。D.R.1674年に月影教が統合された頃に現れ、今なお存在している。現在はG.R.3662年。単純な引き算でもおよそ2000年ほど経過しているのは間違いない。

 しかし、リリーの言い方には少し含みがあるようにマリアは感じていた。この単純な引き算は人間の歴史上で図れるシャーレ族に関する最長の歴史というだけだ。もしかしたら、彼らはもっと前から存在していたのかもしれない。


「聞きたいのはそのことか?」

「あ、いえ!そうではなくて……」


 話が逸れた。聞きたいのは歴史に関することではない。もっと根本的なことのほうが重要だ。辿ってきた歴史はあくまで過程だ。聞きたいことはもっと前。


「シャーレ族の目的が海魔の滅亡だというのなら、わからないことが多いんです」

「ほう。どの辺りのことかな」

「時間と、方法と各地に散らばるシャーレ族の皆さんについて、そしてリリーさんの目的である手紙についてです。そもそも、どうして海魔を討つことになったのかも分かっていません」


 つまるところ何も分かっていないと言っても良い状況なのだ。シャーレ族とイコールの関係にある海魔。それを確実に残滅するのが目標だったとして、何故そのような選択に至ったのか。どうやって海魔を滅ぼす気なのか。何故2000年という時を費やしているのか。海から発生する海魔をどうしてシャーレ族は陸で迎え撃っているのか。リリーはなんのために妹に甥と姪への手紙を届けるのか。


 情報は確実に増えているのに結局のところわからないことが増えているだけ。疑問ばかりが湧いて出て肝心の答えがどこにも見当たらない。


「そうだな何も分かっていないのと同義だ」


 同意と言わんばかりに深く頷いた彼はしばし逡巡し、全体像が見えてきた教会を見上げる。太陽に重なるように佇む三日月を眺め、困ったように肩を竦めた。


「その辺りの話は旅の途中にでも聞かせてあげよう。約束する。けれど今は激怒した保護者をなんとかしないとね」


 林の出口が見えてきた。見慣れた教会に安堵する気持ちと同時に、一抹の不安を覚える。違和感とリリー台詞の意味はすぐに分かった。

 開け放たれた鉄製の扉。訪れるもの全てを歓迎するように開いた口の前に、この教会の最高責任者にしてマリアの父。ジャズ・モンストロが仁王立ちして待っていたのだ。


「ひえ……」

「見たことないぐらい怒っているな。いっそのこと逃げようか?」

「聞こえているから無意味だ。リリー・ショア」

「うわフルネームで呼んできた」


 眼の前でヒソヒソと作戦会議をしようとする伯父と娘。娘には慈しみの瞳を、伯父には射殺さんばかりの眼光を向ける。


「全部聞いていたぞ。まさか私の能力を忘れたわけではあるまいな」

「おいおい、本気か?最初から全部?」

「マリアを連れて外に出たところから全てだ!路地裏に置いていくなんて正気の沙汰ではないぞ!!お前の頭を割いて脳に直接規律を書き込んでやる!そこに直れ!!」

「流石にそれは嫌だなぁ」

「嫌とかいうレベルではないと思うんですが」


 本当にされたら死んじゃいますよ?という言葉に軽い笑いが帰ってきた。もしかしてシャーレ族って頭をかち割られても死なないのだろうか。頭部を破壊されても生存していた海魔の報告もあったというし。


「というか、聞いていたならどうして助けに来なかったんだ?」

「私だって馬鹿じゃない。最低限安全を守った上で行われたスパルタ教育なのは分かっていた!だから止めなかった!止められなかったんだ!!」


 自分の不甲斐なさに嘆いているのか、それとも伯父の教育方針にキレているのか。怒りの矛先が迷走しているらしいジャズは、最終的にその場に崩れ落ちるように膝をついた。

 どうやら相当参っているらしい。


「お前は本当に人を試すのが好きだな……」

「お褒めに預かり光栄だ」

「全く、これっぽっちも褒めてない!!」


 撃沈していくジャズの様子をあたふたと見守るマリアに、リリーはウインクを一つ。彼は面白そうに口端を歪め、作戦に成功した悪戯っ子のように意気揚々と彼が行った一つの試練を説明し始めた。


「いい機会になったことだろう」


 マリアを教会の外に誘った時、既にジャズは二人の動向をしていた。どこへ向かい、何を話し、どうしようというのか。未だ沈黙し続けている能力を使って、彼はリアルタイムで二人を追っていたのだ。

 当然、リリーはジャズに監視されている可能性を考えた。その上でマリアに対してあのような仕打ちを決行したのだ。


 目的はマリアの成長と彼女が恐れているものの確認。そしてマリアが危険にさらされた時、ジャズがどう行動するかのチェック。助けに飛び出してくるか、黙認するか。彼がマリアの今後をどう考えているのかの意思確認が目論見の一つだった。


「まさに一石二鳥の作戦だな」

「私の葛藤に一石を投じる作戦だ!!」


 ジャズは結局助けには来なかった。全て聞いていたにも関わらず、彼はマリアの成長のため目を瞑ることにしたのだ。その結果が無様にも崩れ落ちる教皇の姿爆誕、というわけである。


「お父さん」


 すっかり座り込んでしまった父の元へ娘が駆け寄る。父は合わせる顔がないのか俯いたままだったが、彼女は気にせず、覗き込むように語りかけた。


「ごめんなさい」


 真っ直ぐな謝罪。その言葉に弾かれるように顔を上げた父に向き合い、決意したように分厚く暖かな手を取った。


「違う、謝るのは私の方だ。私が全て悪いんだ」

「うん。お父さん、隠し事が多いし、過保護だし、私のことになると周りが見えなくなりますよね。良くないと思います」


 うわキッツ。

 あまりのパンチ力にドン引きするリリーの眼の前で、ジャズは真っ青な顔で絶望の表情を浮かべた。上げて落とすどころか奈落の底に真っ逆さまだ。そんな顔にもなる。


 まだ言葉を続けようとするマリアにリリーは「これは流石に止めに入ったほうが良いのでは?」という気持ちと「もっと言ってやったほうがガチで面白いから放置しておけ」という気持ちがせめぎ合う。葛藤している間に彼女がアクセルを踏み切ってしまったのは不可抗力だと思う。


「シャーレ族のことだって、家族のことだってそう。最初に話さないといけないこと全部飛ばしましたよね。もう私は子供じゃないのにそれでも黙ってたのはおかしいです」

「ガハッ!」


 あ、死んだ。

 綺麗に言葉の暴力がクリティカルヒットしたジャズはついに地面に倒れ伏した。土下座にも似た姿勢で僅かに痙攣する姿にご愁傷さまという言葉以外見つからない。自業自得だし。


 ぐすぐすといい歳した大人……軽く年齢は2000を超えているが、とにかく大人が泣き崩れている。なんと哀れなことか。

 娘はその背に手を置き、ぎゅっと包み込むように抱きしめた。


「でも、全部私を心配してのことですよね」

「マリア……」


 倒れ伏していたジャズをゆっくりと起こす。戸惑ったように視線が泳ぐ父を真っ直ぐ見つめ、彼女は嬉しそうに笑った。


「私、決めました。リリーさんの旅についていきます。知りたいんです。家族のこと、シャーレ族のこと、お父さんのこと。知らないままはもう嫌なんです。無知はいつか誰かを傷つけてしまうから」


 迷いなく告げられた言葉。どれほどの想いが込められているのか。それは共に時を過ごしてきた父にしかわからないことだろう。けれど、どれだけその言葉が父の胸を打ったのかは、彼の顔を見れば分かった。


「……シャーレ族の業は深い。恐ろしい事実を何度も目の当たりにするだろう。兄妹達は一癖も二癖もある。泣きたくなることなんか山ほどあるはずだ。本当は君を旅になんか出したくない」


 一切の曇りのない本心。娘への心配はどれだけの月日を過ぎてもどれだけ近くにいても尽きない。彼女を目の届かない場所へ送り出すという決断は彼にとって身を引き裂くほどの大きな出来事だった。


「ましてやあの伯父だ。何をしでかすか分かったものじゃない。腕力だけは一人前だが、人の傷をやすやすと抉ってくるようなやつだ」

「おい」


 それでも同行させようと、ジャズは伯父に提案した。彼は心の何処かで願っていたのだ。娘に、真実を話せる日が来ることを。


「はぁ……私はまだ決心がつかない。本当のことを話すには私には荷が重すぎる」

「お父さん……」


 迷いがなくなることはない。本当にこれが正しいのかと、自問自答を繰り返す。そして最後にたどり着く答えは一つだけ。


「時間が必要だ。その間、お前のことは伯父さんに任せる。どうせ今回も旅の行程は同じだろう」


 彼は裾についた土を払い落とし、嘆息した。そのまま振り返らずに教会の中へと消えていく背をマリアは慌てたように追いかけた。更にその後ろで、笑いをこらえきれないかのようなリリーがつり上がった口端を隠すことなくついてくる。


「ど、どういう意味ですか!?」

「僕はいつも途中でセントラルに戻ってくるんだ。つまり、そのセントラルに帰ってくるまでの間に覚悟を決めておくから、お前は旅に行ってきなさいということらしい」


 わかりにくいよな、とわざとらしく付け加えると、苛立ったように叩きつけた足が大きな音を立てる。子どもの地団駄のように無意味な抵抗に、今度こそリリーは笑い声を上げた。


「ふはっ!人に説明を丸投げして時間稼ぎしたのがそんなに恥ずかしいか!情けない男よなぁ!」

「うるさい!合理的に決めただけだ!!生憎!私は!忙しいからな!!」


 教会全体に響くような怒声とかき消すような笑い声。不思議そうに周囲が見守る中、顔を真赤にして怒鳴るジャズにリリーとマリアはずっと笑い続けた。

 

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