深度5 綺麗な花

「はぁぁあああ……」


 月影教会総本部。広大な敷地を有し、セントラル地区の中心たるその神聖な礼拝堂の中。巨大な月を模した球体の前で、深々とため息を付く教皇が一人。その体勢は祈りのポーズをしているものの、思考は霧散し上の空だった。


「ため息を吐くと幸せが逃げるぞ」

「誰の所為だと思っとるんだ」


 その後ろでは長椅子に寝っ転がりながらスマートフォンをいじる伯父。先程から他の子供たちに連絡が取れないかと必死にメッセージアプリを活用しているようだが、そもそも文字が入力できないらしく虚しいタップ音だけが響いている。

 厚顔無恥とはまさにこのことだな、とジャズは独りごちた。


「私は死ぬほど大変だったんだ。自分の尻拭いをした甥に労りの言葉はないのか」

「悪いな。僕は赤子より清らかな脳なんだ。特に俗世関連には」

「だろうな!でなければあんな無茶せん!」


 海魔出現から半日。ジャズは寝る間も惜しんで対応に追われた。


 街から彼らが文字通り飛んできた直後。まずマリアを連れて教会から勝手に出て行ったことを盛大に叱りつけようと待ち構えていたジャズは、意気消沈したマリアに全てを悟った。声をかけようにも言葉が見つからず、フラフラと去っていく彼女を引き止めることもできず、この教会を設立して以来の絶望を味わったと言って差し支えない。

 そこに追い打ちをかけるように、リリーはどうでも良さそうにこう宣ったのだ。


――海魔を殺して、僕達が同族だってことを教えた。問題ないだろう?


「問題しかないが!!」


 後ろでスマホを落としたような音が聞こえたが気にしない。だって突然大声を上げたくもなる。マリアに分別が備わるまで必死に隠し続けた事実をこうもあっさりと明かした挙げ句、目の前で海魔を惨殺!?その上で大伯父と父親が海魔と同族だと暴露!?冗談じゃない!


「どうしてあんなことしたんだ!!」

「実物と見比べたほうが分かりやすいだろう。それに僕達の目的は海魔の残滅だ。明確に敵対していることを示すいい機会でもある」

「だからっていたいけな少女の前で全身串刺しにして頭をもぐか!?!?」


 海魔の遺体に関しては騎士から報告が上がった。海魔は何者かによって惨殺。遺体には10箇所以上巨大ななにかで刺され、貫通した跡が見られた。頭部は無理やり引きちぎられたようだったと。海魔の遺体は3時間ほどで海水になって自然消滅してしまうので詳しい調査が行われなかったことが唯一の救いである。


 セントラルに配備された騎士団は出現した海魔よりも強大な海魔の発生を考え、今も巡回を続けている。元々出現した海魔が2メートルほどの個体だったこともあり、騎士達はてんやわんやだ。

 まさか伯父がやりましたなどと口が裂けても言えず、ジャズは騎士達の報告を白目をむきながら聞く羽目になった。


「うるさいなぁ。海魔なんか死んだほうがいいんだからどんな殺し方でも関係ないだろう」

「やりすぎだと言ったんだ!せめて人前では自重しろ!!彼女の前で殺しはだめだ!無理なら綺麗に殺せ!」

「綺麗に殺すってなんだ。無茶言うな」


 教会の礼拝堂とはとても思えない物騒な言い争い。ヒートアップしたジャズはここがどこなのか、何を行う場所なのか、そして今は人々が動き出す早朝だということも忘れてグチグチと小言を漏らす。


「おい、ジャズ。その辺りにして……」

「いいや止めない!伯父さんは何も分かっていない!」


 そしてついに、リリーが微妙な顔をしていることにも気づかず、普段なら絶対に口にしない言葉が口を突いてしまった。


「人間のあの子にシャーレ族は重荷だ!もうあの子には近づくな!彼女にはシャーレ族のことも海魔のことも何一つ!教えないでくれ!!」


 バタンッ。響き渡る音に空気が凍る。発生源は礼拝堂の扉。わずかに開いたその隙間から覗いた人影が戸惑うようにジャズを見ている。そこには、修道服を着込んだマリアが今にも泣きそうな表情で立っていた。


「マ、リア……」


 一斉に向いた視線から逃げるように彼女は駆け出した。ぱたぱたと足音を立てて去っていくその背に、ジャズは両手で顔を覆った。


「僕は止めたぞ」


 項垂れる甥を置いて、リリーはマリアを追うため緩やかに駆け出した。





―――――――――




 教会の庭先。外へと続く林の入口で彼女は外を見つめていた。その背へと無遠慮に近づいていくと、彼女は振り返らず小さく拳を握る。


「お父さんに、近づくなと言われたのでは」

「感情的になった甥の言う事などいちいち聞いてやるつもりはない。それとも、一人になりたかったか?」


 ならばこの場を辞すが、と付け加えると彼女は俯きながらも振り返る。その目元が赤く腫れていることに気づき、リリーはほんの指先ほどの小さな触手を彼女の頬に伸ばした。


「少し歩こう。ここでうだうだしているとジャズが追ってきてしまう」


 頬に触れた触手が手を取るように強く丸められた拳を解く。自分の意志で掴むのを待つかのように指先をなぞられ、マリアは弱々しくその先端を握った。


「マリア、君は街に出たことはあるかい?」

「お使いのときだけ……それ以外は教会の敷地に……」

「では僕と一緒に探検だな。迷子にならないようにソレは握っておいてくれ」


 指された触手が徐々に透明になり、ぐるりと手首に巻き付く。手首を振れば直ぐに解けてしまいそうな緩さがリリーなりの優しさだった。いつでも嫌になったら逃げても良いのだと言外に伝えると、彼女はより一層強く触手を握った。


 道中言葉はなかった。マリアの歩幅に合わせて、林の中を歩いていく。少し先を行くリリーは何度かもの言いたげな視線は感じていたが、彼女が言葉を選び終えるまで待とうと、促すことはしなかった。


「騎士が多いな。ジャズの言っていた巡回か」


 林を抜け教会の敷地を区切る門を抜けた先。音を立てて走る車とビル群が視界に飛び込んできたと同時に、歩道を歩く騎士服の隊員がちらほらと目に映る。一般市民とは違って銃火器を背負っているためその違いは一目瞭然だ。騎士団が所有している車も時折走っており、厳戒態勢を敷いているようだった。


「どうして騎士がこんなに……。海魔は討伐されたはずでは……?」

「討伐されたのが不味かったようだ。騎士ではない誰かの討伐というと、別の海魔の可能性を思い浮かべるらしいな」


 この世界で海魔を討伐できる者は現状騎士団しかいない。騎士以外の勢力が登場したことも歴史上ゼロとは言い難いが、どれも海魔によって壊滅させられてしまった。他に海魔を討伐できる存在が居るとすればそれは海魔しかいないのだ。


「他の、海魔……」

「彼らの推測はあながち間違いではないがね」


 シャーレ族と海魔は同族。昨日告げられた言葉がマリアの脳裏を過る。眼の前に居る大伯父はどこからどう見ても普通の人間とそう変わらない。けれど、決定的に人間とは違う生き物なのだと、手に巻き付いた見えない触手が強く主張してくる。

 俯いて黙り込んでしまったマリアにリリーは肩を落とした。余計なことを言ってしまったらしい。


「あー……今日は西側に行こうか。買い物をするならそこでしろと教わったんだ」


 軽く呼ぶように触手を引くとマリアは大人しくリリーの後をついてくる。そうして無言のまま西へと向かうと、ショーウィンドウが立ち並ぶ商業区へと足を踏み入れた。

 巨大なビルの壁面には液晶画面が写り、いくつもの広告が流れている。道行く人が楽しげにウィンドウショッピングを楽しんでいる中、マリアは俯いたままだった。


「マリア」


 ふと、前方から声がかかる。ずっと俯いたままだったマリアを待つように立ち止まる。彼の声に思わず、自身の腕に巻き付いた触手を見た。透明でほとんどわからないほどだったが、慰めるようにずっと手の平を撫でている感覚がする。


「街を見てご覧」


 彼の言葉に漸く顔を上げる。眼の前にあるのは時折見ていた街の景色。笑い合う人々、綺羅びやかなビル、清潔に保たれた道。どこをとっても絵のように美しい世界が目の前に広がっている。


「この街は綺麗だね。計算された道に人々を惹きつける品々。惜しげもなくショーウィンドウに飾られる高価な服。この街に住む人々の心に余裕がある証だ」


 リリーに言われて、もう一度街を見直した。月に数度の教会のお使いに出てくる街。子供の頃ジャズに手を引かれてやってきた頃とそう変わらない景色。この街では誰もが幸福に満ち溢れていて、誰もが幸せを手にできる。そういう風にジャズが創り上げた街だ。


「あの子は月影教をまとめて、孤児院を運営して、騎士団を組織している。その努力は並大抵のものではない。何もかも自分のためではないのに」


 セントラル地区は月影教が一から創り上げたものだ。その主導は当然教皇たるジャズ。セントラルの中心に教会を造ったのも、あちこちに孤児院を運営しているのも、海魔討伐の騎士団を束ねているのも全てジャズだ。多忙な父の姿をマリアは誰よりも近くで見続けていた。


「どうしてだと思う?」


 けれど、どうして父はそこまでするのだろう、とは一度も考えたことはなかった。教会も孤児院も、騎士団も、街の図面でさえ、寝る間も惜しんで創り上げたソレはなんのためなのだろうか。


「ジャズはね、子供たちの中で一番幸せへの憧れが強いんだ」

「幸せ、ですか……?」

「そう。幸せだ」


 そこには海魔も悪も悲しみもない。幸せだけが詰まった永遠の楽園。昼も夜も関係ない多幸の都。未だ幻想である夢の世界にジャズは憧れを抱いているのだという。


「ジャズは、君にこういう景色をずっと見せていたいんだろうな」


 もう一度、街を見た。どこまでも続く綺羅びやかな景色はいつまでも衰えない。何度も作り直され何度も新しい技術を取り入れ、その度に進化を続ける街。その街の途中で、父の顔を思い出す。

 いつも笑って頭をなでてくれていた父。美しい花を持ってよく庭に植えてくれた。街へと連れ出して新しいものを見せてくれた。いつもいつも彼の手には美しいものだけが咲いていた。


「あの子は学ばないね。誰かを想う心はその誰かへの呪いになる。何度も学んだことなのに」


 透明な触手が離れていく。後を追おうと手を伸ばすと、彼は小さく首を振った。


「君への想いは、真実を覆い隠す君への呪いになっている。君は柔らかなシーツの中で父に抱きしめられて生きているんだ」


 とんっ、と胸を強く押される。僅かに揺れ動いた体が勢いよく引き摺られた。


「柔らかいままの君を外には連れ出せない。荒療治だが、少し踏みにじられた部分も見てみようか」


 大通りから逸れていく。ぐんぐんと引き離され、だんだんと視界が暗がりへと飲み込まれていく。気がついたときにはビルとビルの合間、路地裏に立ちすくんでおり辺りには誰もいなかった。

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