深度4 海魔とシャーレ
年々出現報告は減少傾向に在り、海に面していない内陸地区のセントラルでは発見報告が少ない。月影教が各地に派遣し、教育している騎士団が討伐に当たるため近寄らなければ害は少ない。そう、近寄らなければ。
「リリーさん!リリーさん!!」
「なんだ」
「海魔ですよ!?海魔なんですよ!?どうして街に出て探そうなんて話になるんですか!?」
教会の敷地内。広大な林の敷地から出ようと門へと歩くリリーの後ろでマリアは悲痛な叫びを上げる。なんとか引き留めようと必死になっているが、彼の足取りが緩まることはない。
先ほどジャズから正式に海魔出現の報が出され、教会内も騒がしくなっている。リリーのスマートフォンが緊急海魔出現宣言と書かれた知らせが不穏な音と共に鳴り響いている。ジャズは今頃、騎士団の出動や海魔の出現位置の索敵など大忙しのはずだ。
マリアもジャズに続き教会の手伝いをしようとした瞬間、なんとリリーは教会の外に出ようと敷地の外へ足を進めてしまったのだ。思わずその後を追ったマリアは半泣きになりながら止まってほしいと訴える。しかし彼はどこ吹く風。むしろスキップしそうなほど軽やかに外への道を進み続けた。
「そう慌てるな。水路を通って来られるということは大したサイズの個体じゃない」
「サイズ感の話じゃないです!海魔は見た目なんか関係ありません!子供ほどの大きさの海魔が地区の半分を壊滅させた話だってあるんです!!」
100年ほど前に実際にサウスサイドで起こった話だ。海から上がってきた1メートル前後の海魔が当時のサウスサイドの半分を瓦礫の山へと変えた。海魔の力は大きさに依るものではない、という教訓が出来上がった事件だった。
海は今でも危険なもので遠洋などもっての外。近海を騎士団に護衛してもらいながら漁をするのが精一杯というほど、海魔の存在は大きい。
「海魔を探すなんて好奇心旺盛な子供だってしません!この世の唯一絶対の怪物です!!」
マリアの言葉にピタリと足を止める。漸く止まってくれたことに安堵し、早く戻ろうとその手を引こうと近づく。
「あれ?」
突然ぐるりと世界が周る。瞬きの間の半回転。気がついたときには足裏と腰、そして側面に感じる体温。足が地面から離れ頼りなく浮いている。これは所謂、お姫様だっこ?
「え?ええ?」
「マリア、お勉強をしようか」
「お、お勉強?」
「そうだ。まずその1。海魔について。現地につくまでに君が知らないであろう海魔について詳しく教えてあげよう」
現地につくまで。つまり海魔見学を諦めたわけではないのだと気づいた頃には時すでに遅し。ふわり、と襲い来る浮遊感に鳩尾が引き締まる感覚とともに、木々の合間が瞬く間に通り過ぎていく。視線の高さほどまでにやってきた夕日と、教会の敷地に広がるビル群。コンクリートで固められた天を衝く巨大な建造物がだんだん、加速するように下へと……。
「お、おち、おちち!!落ちてる!?!?飛んでる!?!?え!?えぇ!?」
「海魔という生き物は海から生まれるものだが、実は発生源が存在するのはご存知かな」
「話続けないでえぇぇぇ!!」
軽々と飛び上がったかと思えば再び地面へと急降下。林の敷地をあっという間に飛び越え、手頃な高さの屋根から屋根へと飛び移って移動を続ける。時にはビルの壁を蹴り、時には屋根の上を蹴り上げながら異様な速度でセントラルの街をすり抜けていく。空中を泳いでいるかのような軽やかな跳躍に、マリアは目を白黒させる。
「海魔は
この状況で話されても!!という悲鳴は華麗にスルーされた。人間では在りえない跳躍力から繰り出されるスピード重視の移動方法に、マリアは半分意識が飛びそうだった。これが人間とは違うシャーレ族の身体能力だというのなら、今まで一度もその片鱗を見せなかったジャズはある意味尊敬に値する。
「海魔の大きさは呪海から発生した時点である程度決まっている。ただここで人間が知らない嘘が存在する。海魔の力と大きさの関係だ」
落下するたびに悲鳴をあげながら必死にしがみついていている間も授業は続く。なんとか話を聞いているが視界からの情報が暴力的すぎて上手く頭が理解できない。海魔の大きさがなんだって!?
「実は、海魔の力は大きさに比例するものなんだ」
「ひ、比例!?100年前のサウスサイドの事件は!?」
「その事件は事実だ。子供ほどの大きさの海魔が元々地区を半壊させるほどの力がある、というだけだな」
「じゃあそれ以上の大きさの個体が生まれたら地上が崩壊しちゃいますよ!」
なんとか浮遊感に慣れて返答する余裕が出てきたが、今度は授業内容からとんでもない爆弾が落とされた。
今まで発見された海魔の最大サイズはおおよそ5メートル。歴史上最悪の海魔でありノースサイドからセントラルの4分の1を壊滅させた。当時の記録は復興のゴタゴタで詳しく記載されていないが、ジャズが教訓としてよく話題に上げるため間違いはない。
ただ、それはサイズと被害が最大だった事件であり、その後も1メートル程度のサイズで被害はまちまちだ。これにより、大きさは海魔の力を測る明確な基準にはならないとされてきた。
リリーの話はその基準を根底から覆すものだ。
「大丈夫だ。地上に上がってくる海魔が3メートルを超えることはない。いろいろな失敗を経て、そういう風に僕達シャーレ族が決めたんだ」
「決めた!?どうやって!?」
「さぁて。果たしてどうやって3メートル以上の海魔を陸にあげないなんて無茶なルールを実現しているのか」
トンッ、と一つのビルの上に立ち止まる。眼下に広がる道路の下。いくつかの車の合間に、うねうねと蠢く何かがいる。
ぎょろりとした複数の目玉。四方八方に散らばりあちこちに亀裂をいれる触手。二足の足と長い尾鰭を引いてずるずると進むその姿は、本能的な恐怖を駆り立てる。
「海魔……」
「この高さなら襲われないだろう。索敵範囲からも離れている」
海魔は知性を持たない。破壊の衝動に身を任せるように視界に入った全てを破壊する。
ウネウネと半透明の触手が持ち上がる。鉄の塊である車をまるでおもちゃのように宙へと上げ、ビルの入口に叩きつけた。鳴り響く轟音と振動にマリアはしがみつく手を強くする。
あれは正真正銘の化け物だ。
「周辺に人間はいないな。思ったより避難が早い」
「スマートフォンの発達で避難指示が放送から即時伝達になったからだと聞きました」
「ああ、これか。便利なものだな」
修道服のポケットから取り出したスマートフォンには海魔の出現位置まで細かく記されている。騎士の初動が早かったのか、規制線も敷かれているようだ。一帯の道路が完全に封鎖され民間人も皆避難し終えている。
「おそらく水路から出てきたばかりだな。既におもちゃがどこにもいないから苛立っているようだ」
「水路にはセンサーが設置されているのでおそらくそこから割り出して避難指示をしていたのかと……でもリリーさんはセンサーが反応するより早く気づいていたような」
「ちょっと水路を探検していたからな」
「探検?」
「さあ授業再開だ。その2。シャーレ族というか僕の能力について」
抱えていたマリアをビルの屋上へと下ろし、リリーは少しばかり後退る。1メートルほど離れたところで、彼は両手を軽く広げた。
「シャーレ族の身体能力については十分実感したところだと思うが、僕達には更にそれぞれ固有の能力というものがいくつかある。僕がよく使うのは、これだ」
両手を広げた背後。ずるり、と服の裾をたどるように何かがうごめいている。見えるような、見えないような。透明なそれは光に反射して数本宙に浮いている。手を伸ばせば届きそうな距離でピタリと止まったソレは時々うぞうぞと脈打っていた。
「こ、れは……」
「あの海魔の触手に似ているな。僕のは腕の延長線だと思って欲しい。数や太さは自由自在、その他諸々、強度だって変えられる」
眼の前で人の腕ほどの太さだったそれが糸のように細くなったり何十本にも分かたれたり、リリーの意思に沿うようにあっちこっちに移動する。時に目で追えるように白く色づいたり、姿を隠すように透明に変わったりとくるくる表情を変える。
「あの、触ってみてもいいですか?」
「どうぞ。今は柔らかくしてある。刃物より鋭くもできるから、僕が許可した時以外は触れないように」
恐る恐る。戦々恐々とはまさにこのことだろうと、震える指先で突っついてみる。少しばかりくすぐったそうに蠢くだけで、指は痛くなかった。彼の言った通り押せば指が沈むほど柔らかい。
「この腕は長さも自在でね。庭先に出ていた時、街の全体像を把握するためにあちこちに伸ばしていたんだ」
「え!?あの時ですか!?」
「糸よりも細くしていたから気づかなかっただろう。その時、水路にも一本入れておいたんだ。その時引っかかったのがアレだ」
腕の一本が眼下を指す。癇癪を起こす子どものようにあちこちの破壊して周る海魔が耳障りな鳴き声を上げ続けている。鋭い爪痕が道路のアスファルトを削り、無茶苦茶に振り回された触手が街路樹をなぎ倒した。
「さてでは先程の3メートル以上の海魔を陸にあげない方法について解説しよう。早くしないと騎士が到着してしまう」
「ど、どうする気ですか?」
「こうする」
眼前で風が舞う。ほんの少しの潮の香りと氷のように冷たい温度。細く鋭くそして頑強に形成された腕が、一本の槍のように無情にも振り下ろされた。
――ピギィィィィイイイイイイッ!!!!
びちゃりと液体が飛び散る音と一瞬の間と、劈くような悲鳴。咆哮とも取れる激痛に喘ぐ声が鼓膜をゆすり、その音源が眼下の海魔から発せられているのだと理解するのに数秒の時を要した。
自身の身体を貫く槍から逃れようと必死にもがき苦しむ。あちこちに体を打ち付けアスファルトをえぐり取る。けれど槍は抜けることはなく、むしろ内部から広げるようにその身を太く固く変えていく。
「要は、3メートル以上の海魔がいなければ問題解決」
一本、もう一本。頭上から降り注ぐ雨に海魔がのた打ち回る。ついには触手の一本すら動かなくなるほど地面に縫い付けられる。そうしてゆっくりと、蝶の羽をもぐように、悲鳴を上げる頭部を真白な腕が掴み上げた。
「ならば至極単純だ。こうして殺してしまえばいい」
肉と骨と皮。弾力のある物体が無惨にも引きちぎられる非常な音色。耳を塞いでも聞こえる断末魔が穴だらけになった海魔の悲惨さを物語る。道路に流れ出る赤黒い血が、生々しく照らされていた。
「僕達は強いが、数が多いと撃ち漏らしがあるのも事実でね。多少陸に上がってしまうのは諦めてくれ」
肩を竦めた彼はまるでなんでもないことかのように血濡れの腕を引き上げ、変わらない微笑みを浮かべている。
マリアは未だ、眼の前の光景が信じられなかった。だって、あまりにも一方的だ。騎士による海魔討伐とは比べ物にならない。赤子と大人、否、それ以上の差があった。
同時に湧き出たのは、疑問。
「どう、して……どうして、海魔を殺すんですか……」
海魔を一方的に蹂躙する力。それだけの力があればシャーレ族は彼らだけで安全に生活ができるはずだ。人間に関わらなくても陸ではなくても、もしかしたら生きていけるのかもしれない。
だというのにどうして、人間のために海魔を間引いているというのだろうか。どうしてそんな意味のないことを。
「僕達が海魔を殺すために生まれた、海魔だからだ」
海魔を殺すために生まれた、海魔。つまりそれは。
「僕とあれは、
淡々と告げられた事実。今まで語られなかったシャーレ族の真実。それが世界を脅かす怪物と同じものだったなど、誰が信じられようか。
自分を慈しみ、愛し、見守り、育ててくれた父。初めて会った大伯父。これから出会うのであろう家族。それらが全て、海魔と同じ?
「騎士が来た。ここに居るのを見られると厄介だ。教会に帰ろう」
地上からがやがやと人が話す声が聞こえる。リリーはその声が近づく前にマリアをもう一度抱きかかえ、空へと飛び上がった。
すっかりと日が落ちた天には星々が輝き、三日月が浮かび上がっている。見慣れているはずの空をぼんやりと眺め、隣の暖かな体温に身を寄せた。
「マリア、怪物の家族になるのは、嫌かい」
冷たい夜風が心臓を突き刺す。海魔はこの世の唯一絶対の怪物。自分から発せられた言葉が心の柔い部分を深く抉った。
「無知とは悪だ。だが、何も教えず無知のままを良しとする大人の方がどうしようもない悪だ。知らないということは他人も、自分も、気づかぬうちに傷つけてしまう」
真白な腕がぬくもりを与えるように、夜風を遮るように周囲を覆う。遮られた視界の中頭上を見上げると、諦めにも似た苦笑いが映る。
「だが、愛する家族に嫌われたくないという保身を一体誰が責められるんだろうな」
僕だって拒絶されたら泣いてしまうからね。
冗談か本気か。どちらとも取れる曖昧な笑みを浮かべたリリーは夜の街を高く飛び上がる。その腕の中でマリアは修道服の裾を強く握った。
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