第十四話「消えた二枚の絵」

 鉛筆デッサンの課題は、三回の授業に分けて行われた。

 最後まで完成させられなくても、三回目の授業の終わりで提出という形だ。

 中には、未完成のまま提出することになってブーブー言っている人もいた。けど、そういう人は多分、この授業の意図を分かってないのだろう。

 「限られた時間の中でどれだけ描きあげられるか」を体験する。それが、今回の課題の目的の一つだった。

 だから、「時間が足りなかった」というのは、そもそも言い訳にもならないのだ。

 そして、翌週――。

「はい~、前回提出してもらった鉛筆デッサンですが~、どれも力が入っていて素晴らしかったです~」

 美術の先生が、特に気になった作品について簡単な講評をしてくれることになった。

 と言っても、ほとんどはダメ出し――つまり欠点の指摘と「どうすれば良くなるか」のアドバイスだ。

 先生は三十歳くらいのゆるふわ可愛い感じの女性で、大きな丸眼鏡がチャームポイントの、おっとりとした人だ。普段は「ゆるふわが服を着て歩いている」とまで言われている。

 でも、こと担当の美術に関しては、そのゆるふわな口調で結構きついダメ出しをしてくるのだから、生徒からはちょっと恐れられている。

 しかも、目立つ為にふざけた絵を描いた人の作品は一切取り上げないという徹底ぶり。

 あくまでも「真面目に描いた人」へのアドバイスが目的、ということなんだろうね。

「さて~。今回特に良かったのは~、じゃ~ん! 馬頭さんの作品です~」

 先生が馬頭さんの作品をみんなに向けて掲げると、美術室の中にいくつもの「おお~」という感嘆の声が響いた。

(この前見た時より、格段に良くなってる!)

 私もこっそり、心の中で称賛する。これは完敗だった。

「はい~。では、馬頭さんの絵の良かった点を挙げていきますね~? まず、構図が完璧です! 全体のバランスが、元にした絵とほとんど同じですね~。とっても正確です」

 先生が元になった「コミカルなムンクの叫び(仮称)」の横まで移動して、二つの絵を並べてみる。

 大きさこそ元になった絵の方が一回り大きいけれども、馬頭さんの絵はそれを縮小コピーしたみたいに正確だった。

「はい~。でも、馬頭さんの絵がすごいのは、構図だけじゃないんですよ~? この濃淡を見てください~。鉛筆だけで描いたのに、色彩すら感じませんか~? 水墨画みたいですね~」

 先生の言う通り、馬頭さんの絵はみんなと同じ種類の鉛筆で描いたとは思えないほど、濃淡が細やかに描かれていた。

 予想以上の上手さだ。

 一方、その絵の生みの親である馬頭さんは――むちゃくちゃ照れていた。

 いつもは派手で堂々としている人が照れて小さくなっていると、なんというか、ギャップがあって可愛らしく感じる。

 そういえば、ハヤトくんと話す時に緊張してた彼女も、やたらと可愛く感じたな。

 ――等と、ほのぼのしていると。

「さて、次に見てほしいのは、この桜井さんの作品です」

 先生の言葉に、私は一気に現実へと引き戻された。

 えっ!? なんで私の作品?

 一番上手い人の後って、それは……。

「見ての通り、馬頭さんと同じく美術室の壁に飾ってある絵を模写したものです~。こちらもとってもお上手ですね~。でも、桜井さん~? 桜井さんは、絵は自己流ですよね~?」

 先生が質問してくるものだから、みんなの注目が一気に集まる。

 うう、先生。なんでよりによって、私の時だけそういうことするかな?

 まあ、でも質問にはちゃんと答えないといけない。

「はい。馬頭さんと違って、特に絵の勉強はしたことがありません」

「まあ~。それでこれだけ描ければ、十分ですよ~。でも、馬頭さんの絵との違いは、分かりますよね~?」

「……はい。なんとなく、ですけど。馬頭さんの方がきちんと『技術』を使って描いているんだと思います」

「その通り~! 桜井さんも~、もっとちゃんと技術を学べば上手くなりますからね~。授業で勉強していきましょうね~。他の皆さんもですよ~?」

 にっこりと、先生が私達に笑いかける。

 ああ、なるほど。つまり先生は、馬頭さんと私の絵をダシにして学んで身に付けられる「技術」の大切さを説きたいわけか。

 ようは「真面目に授業を受けましょうね~?」と言いたいのだろう。

「さて~。馬頭さんの絵は良いお手本になりますので、美術室の壁に飾っておきますね~。皆さんもよく見て、参考にするように~」

 最後に先生がそんなことを言ったものだから、馬頭さんの顔がまた赤くなった。


   ***


 事件が起こったのは、その数日後のことだった。

 また美術の授業があって、私達は美術室へと移動した。

 すると――。

「あれ~? 馬頭さんの絵、もう片付けちゃったの?」

 女子の誰かが美術室の壁を見て、そんなことを言った。

 見れば、確かに馬頭さんの絵が貼ってあったところは空になっている。

「馬頭さん、もう絵を返してもらったの?」

 ハヤトくんが馬頭さんに尋ねる。

 彼女以外の絵は、既に前回の授業で返却済みだ。馬頭さんのものだけ、しばらく飾ってから返却ということになっていた。

「えっ、ううん? まだ返してもらってないけど。先生が片付けたのかな?」

 馬頭さんがキョロキョロと美術室の中を見回したが、先生の姿はない。多分、まだ美術準備室にいるのだろう。

「あ、ほら。元々の絵の方もないよ。きっとまとめて片付けたんだよ。ちょっと、先生に訊きに行ってみる」

 馬頭さんの言葉に、「コミカルなムンクの叫び(仮称)」が貼ってあった壁に目を向けると、確かにそちらの絵もなかった。

 と、ちょうどその時、授業開始のチャイムが鳴った。美術の先生が準備室からひょっこり顔を出す。

「あっ、ちょっとまだ準備があるから、待っててね~」

 そう言うと、先生はまたすぐ顔を引っ込めてしまった。

 なので、先生に声をかけようとしていた馬頭さんは、そのままの姿勢で固まってしまう。

 わあ、なんかあるよね、「間が悪い」時って。

 結局、馬頭さんは授業中には自分の絵のことを訊けずじまいだった。

 なので、授業が終わってからようやく訊きに行けたんだけど――。

「ええ~? 馬頭さんの絵ですか~? 私はまだ、片付けてないですけど~?」

「えっ」

 馬頭さんの質問に対し、先生から帰ってきた答えは、意外なものだった。

「でも先生。馬頭さんの絵、もう貼ってありませんよ?」

 すかさずハヤトくんも質問を重ねる。

「あらあら~? 本当ですね~。おかしいですね~」

 先生はおっとりしたままだったけど、当の馬頭さんは顔面蒼白といった感じだった。

 一生懸命描いて、先生にもみんなにも褒められた絵が消えてしまったのだから、それはそうだろう。

「誰かが勝手に片付けた、とか?」

「う~ん、美術室に飾ってある絵を、勝手に片付ける人がいるとも思えないんですけど~。私がいない時は、施錠してありますし~」

 先生がすぐにハヤトくんの言葉を否定する。

「でも、授業のある日中は施錠してないんじゃないですか? 休み時間中に誰かが入ってきて剥がした、とか」

「う~ん。施錠してない時は、私が美術室か、すぐそこの準備室にいるから、誰かが入ってきたり、壁の絵を剥がしたりすれば、さすがに気付きますよ~?」

 先生は自信満々に言うけれども、ちょっと怪しいところだ。

 このおっとりとした先生が、そんな小さな物音や気配に気付くとは思えない。

 でも、先生が気付いた気付かない以前に、一つ疑問がある。

「……誰かが馬頭さんの絵を剥がしたとして、一体何の目的で?」

 知らず、つぶやきが漏れてしまい、慌てて口をふさぐ。

 けれども、時既に遅し。私の不用心なつぶやきは、馬頭さんの耳にしっかり届いてしまっていた。

「目的……? どういうこと、桜井ちゃん」

「えっ!? いや、フカイイミハナイヨ?」

「ちゃんと、あたしの目を見て答えて」

「ご、ごめん。ええとね、馬頭さん。普段から先生が常駐してる美術室で、壁に貼ってある絵をわざわざ剥がして持ち去るなんて、理由もなしやるとは思えないよね?」

「あ~、なるほど。だから目的か。う~ん、あたしの絵を持ち去る目的ねぇ?」

「もしかして~、馬頭さんのファンとか~? 馬頭さん、可愛いですし~」

 先生が空気を読まずに茶々を入れてくる。

 というか、先生。最近は教師が生徒の容姿を褒めたりするのは、NGだったりしますよ?

「あ、あたしにファンなんかいませんし! う~ん、そうなると、やっぱりあれかな? 嫌がらせ、とか?」

 馬頭さんの言葉に、四人とも静かになってしまう。

 確かに、あの絵には馬頭さんの名前も書いてあった。誰がどう見ても馬頭さんが描いた絵であることは丸わかりだ。

 つまり「犯人」は、あれが馬頭さんの絵であることを知った上で剥がして持ち去った可能が高い。

 ――そして、本人にも先生にも無断で絵を剥がして持ち去るとなると、その目的は嫌がらせだとか、そういった悪い方向だと考えた方が自然なわけだ。

「そんな! 馬頭さん、すっごくいい子なのに!」

 ハヤトくんが「思わず」といった感じで声を上げる。

 でも馬頭さんは、そんなハヤトくんの言葉に対して、少し申し訳なさそうな表情を返した。

「ううん。あたし、化粧も派手だし態度もデカいから、嫌ってる人、きっと多いと思うんだ。結構、口も悪いしさ」

 馬頭さんがチラリと私の方を見る。

 うん、確かにハヤトくん絡みで私にも結構ひどいこと言ってたもんね。私は全然気にしてないけど。

「そんな……でも、悪いのは圧倒的に絵を持ち去った人じゃないか。まだ持ってるかもしれないし、他の先生にも相談して探してもらえば――」

「いいよ、いいよ! そんな大事にする気ないし。それに、さ。誰にも気付かれずに絵を剥がしてどっか持ってくような犯人だよ? きっともう、ぐちゃぐちゃに丸めてどこかのゴミ箱にでも捨てられてるよ」

 ――残念ながら、私も馬頭さんと同じ考えだった。

 悪意をもって絵を盗んだ犯人が、いつまでも「証拠」を抱えたままでいるわけはない。

 モノは画用紙なのだから、小さく折りたたんでどこかのゴミ箱の底の方にでも捨てられたら、もう分からない。

 もちろん、学校中のゴミ箱をひっくり返して探す、という手もある。

 でも、「誰かが盗んだ」という証拠はない。そんな不確かな話で、学校中を巻き込むわけにもいかない。

 馬頭さんは、ああ見えて他の同級生よりもちょっぴり大人だ。

 だから、根拠もなく大騒ぎなんてできないと考えたのだろう。


「うん。だから、この話はこれでおしまい」

 馬頭さんが寂しそうに笑う。

 ハヤトくんは、うつむいて悔しそうな表情を見せる。

 先生は「あらあら~困りましたね~」等と、のんびり構えている。

 ……仕方ない。無駄に終わるかもしれないけど、ここは私が風向きを変えてみるか。

 実は馬頭さんのこと、そんなに嫌いじゃないしね。

「馬頭さん。諦める前に、ちょっと悪あがきしてみない?」

「はっ?」

 馬頭さんが「何を言っているんだこいつは」みたいな顔をする。

 ……正直、ちょっとむかついたけど、今は許してあげることにした。

「先生。私、気になってることがあるんですけど……元々、美術室に飾ってあった、あの『ムンクの叫びみたいな絵』は、どこに行ったんですか?」

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