第5話 二人

喧騒が遠くから聞こえてくる。

あれほど痛んでいた頭は場を離れると幾分かはマシになった気がした。

俺の腰に腕を回した鴉丸はゆっくりとした足取りで部屋へと案内してくれている。

広大な庭からリリリ⋯と虫の鳴き声が聞こえてくるのをぼんやりと見やる。


「勝負は嫌いか?」


俺達以外誰もいない廊下にポツリと呟かれた言葉が落ち、斜め上から俺を見る黒い瞳は心配げな色を浮かべていた。

勝負が嫌いか。

そんなことを考えたこともない。

ぬらりひょんはあれでいて懐に入れた妖達には優しく甘いところがある。

勝負などと言いつつも実際の内容は平和的なもののはずだ。

しかし、自分に自信のない俺としては誰かの前に立つことが苦痛でしかない。


「嫌い、だな」


誰かと競って何になるというのだろう。

関わりを持つとそこに友情や親愛が芽生えるが、同時に軋轢も生まれてしまうのは身に染みて理解している。

わざわざ妖同士で交流を持つ意味が分からない。

沈痛な表情でこちらを見る鴉丸は俺よりも苦しそうな雰囲気をしていて、思わず笑ってしまった。


「大丈夫だ」


いつの間にか立ち止まっていた俺達。

ほんの少し背を伸ばし、鴉丸の頭を撫でた。

柔らかくて艶々とした羽毛の感触に目を細め、俺は苦い思いが込み上げてくるのを飲み下した。

こうやって心配してくれても、鴉丸は人間の顔を俺には見せてくれない。

"どうして鴉の顔をしているんだ?"と何人もの妖に尋ねられていたことを考えると、普段は人の顔をしているのだろう。

では、どうして普段と違うことをしているのか。

今まで気にしたことはなかったが、俺が見かける鴉丸の顔は全て鴉の物だ。

大体の妖が見たことのある姿を俺だけが知らない。

それは思っていた以上に俺を苛立たせた。

凪いだ水面のように泰然自若とした様でいたいのに、鴉丸の一挙一動で容易く気分が浮き沈みをする自分に呆れるしかない。

きっと鴉丸は何か理由があってしているのだろうが、聞く勇気すら出ない小心者の自分。

どうして鴉丸が俺なんかに関わりを持とうとしてくれるのかが謎だった。


「少し待っていろ」


部屋の中に押し入れられ、そう言いおいた鴉丸が去って行く。

艶やかな木の床は古くて音が鳴りそうなのに物音一つしないのはさすがだ。

木の柱に背中をつけ、ズルズルと崩れ落ちる。


ーーー疲れた。


ドッと体に疲労が押し寄せてくる。

抱え込んだ膝に頬を押し当てた。

未だに鴉丸がどうして急に俺へ良くしてくれるようになったのか、さっぱり分からないことが思っていたよりもストレスになっているようだ。

それに勝負なんてしたくない。

自分の運の悪さを嘆いても、一度言い始めたことをぬらりひょんが覆すようには思えない。

長期で山を離れたことは今まで一度もなかったが、大丈夫だろうか。

いつから勝負開始かは分からないが、面子に選ばれてしまったからには江戸に滞在することになるのだろう。

一度大急ぎで帰って近隣の妖達に釘を指しておかないと、アイツ等は俺と同じで"人間に飢えている"から問題が起こるかもしれない。

考えなくてはならないことは山のようにある。

決して俺は頭が良い方じゃないから考えることは得意じゃないというのに、どうしてこうも面倒事ばかりあるのだ。


ーーーいっそのこと、"〇〇〇しまえばいい"。


ふ、と頭に浮かんだ考えに緩慢に首を振る。

そんなことをしてはダメだ。

妖としての本能が俺を苛む。

頭が痛い。

いつになったら俺は⋯⋯。



どれくらい時間が経っただろう。



体に温かな何かが触れたのを感じ、うっすらと目を開く。

ボーッと周囲を見回すと、鴉丸が驚いて固まっていた。

顔と顔が触れ合いそうなほどの近さに目を瞬かせる。


「⋯⋯鴉丸?」


「悪い、起こしたな」


困った声にん、と返事をする。

俺は柱に持たれたままうたた寝をしていたようで、体を冷やさないように俺が身に付けていた打ち掛けを掛け直してくれたらしい。

体を包み込む打ち掛けに頬を寄せていると、まだ眠いのだと思ったのか鴉丸が言う。


「布団を引こうか」


「ん、いい」


フルフルと小さく左右に首を振ると、こちらをジッと見つめる鴉丸。

寝起きのせいで舌っ足らずな話し方になっていたようだ。

外はまだ明るくなっておらず、寝る前からそれ程時間が経っていないらしい。


「用事は終わったのか?」


首を傾げて問うと、鴉丸が苦笑する。


「まだ宴会は終わっていないから片付けは明日に持ち越しだ」


「そっか」


盛り上がった宴会を止めるような奴もいないだろうし、無礼講だと言ってもいたから明日の朝ま

で続く可能性は高い。

終わるのを待っていたら休むに休めないだろう。


「これを持って来た」


お盆の上に乗せられた酒瓶と盃。

ツマミにと皿に盛られた漬物と羊羹。


「羊羹⋯⋯」


「甘い物は嫌いじゃないんだろう?酒には合わないかもしれないが、ここの羊羹は美味いからどうかと思ってな」


鴉丸は俺のことをよく分かっている。

甘い物は嫌いじゃないし、実を言うと羊羹は大好物だったりする。


「飲む気分ではないなら、茶を入れようか」


頷きでもしたら、すぐに部屋から出て行ってしまいそうな鴉丸の服を掴む。


「酒でいいから」


⋯⋯一緒にいて欲しい。

言葉にしなかった俺の思いを汲んだのか、鴉丸は俺の腕を引いて縁側へと誘う。

片手でお盆を支えているが全く危なげないなんて、こういったことは慣れているのだろうか。

ギリリと胸が痛み、首を傾げる。


「どうかしたか?」


身を震わせた俺に気づいたのだろう。

黒々とした丸い鴉の目が俺を見つめていた。


「何でもない」


二人で縁側へと腰掛ける。

月が雲間から現れ、俺達を照らす。


「ほら」


一口大に切られた羊羹を口に押し当てられた。


「自分で⋯⋯」


喋ろうとした瞬間に強引に突っ込まれ、慌てて口元を押さえる。

口の中に広がる小豆と砂糖の甘い味。

ネットリとしたキメの細かな舌触りに夢中になって食べてしまった。


「鴉丸、無理やり入れるなんて酷い奴だな」


美味しさに絆されそうになったが文句は言っておかなくては。

唇を尖らせて鴉丸に言えば、クスクスと楽しげな笑い声が聞こえてくる。


「だが、美味いだろ?」


ムッと口を引き結ぶ。


「疲れた時には甘い物が一番だ」


確かにそうだが。

釈然としない物を感じつつ、盃の酒をあおる。

涼し気な様子で酒を飲んでいる鴉丸は随分と余裕があるように見えて悪戯心が湧き起こる。

慌てている様を見てみたい。


「鴉丸、あ~」


お返しに羊羹を竹串で切り分け、差し出してみた。

キョトンと丸い目をさらに丸くして、こちらを見やる鴉丸に胸がすく。

何をしているだとでも言われるだろうか。


「ん、食べろ」


満面の笑顔ですすめる。

しばらく無言の攻防が続き、観念したように嘴が開いたのを見計らい突っ込んでやった。

人に食べさせてもらうのがどんなに恥ずかしいのかを思い知るがいい。

ゴクリと喉仏が上下する。


「もう終わりか?」


「まだ食うのかよ」


催促するように言われて、顔を引きつらせる。


「ん」


嘴が開き、赤い舌が覗く。

艶めかしく動くそれを見てしまい、頬が熱くなる。

先程は感じなかったのに妙に気恥ずかしくなり、手が震えてしまう。


「ほら、ここだぞ」


震える俺の手を鴉丸の大きな手が包み込む。

見せつけるように羊羹を嘴がついばみ⋯⋯。


「あぁぁぁっ!俺は酒を飲む!」


見ていられなくなった俺は持っていた竹串を放り出し、近くにあった酒瓶を手に取って飲み干した。

酒が喉を焼いて胃へと流れて行く。


「おい、もっと飲むぞ!」


空になった酒瓶を振り回して叫ぶ。

そうでもしないと、俺の思考は変になってしまう。

おかしい⋯⋯俺はおかしい!

鴉丸を"欲しい"と思ってしまう自分を認められなくて、酒へと逃げる道を選んだ。


「あぁ、飲もうか」


幼子をなだめるような鴉丸の声。

そんなことも気にならないほど、俺は自分の感情が揺れ動くのが許せなくて歯噛みをする。

だから、嫌だったのだ。

自分以外の存在と交流を持つと、俺の中の何かが揺らいでしまう。

山へこもり、一人でいればこんな風には思わなかったのにどうして俺は⋯⋯。



■■■■■■



私の膝を枕に眠ってしまった"鬼"。

長い燃えるような赤髪を撫でると、心地良さそうに寝息が漏れる。

透き通りそうなほど白い肌に赤い唇。

目元にある泣き黒子は色っぽいが、笑った顔は童のように明るく無邪気だ。

醜悪に捻くれた額の二本の角。

鬼らしいのはその角だけで、体は華奢で風に吹けば飛ばされてしまいそうな頼りなさすら感じる。

コレが大江山に住む人喰らいの鬼、酒呑童子。

美しく優美でありながら、残忍で冷酷な鬼の中の鬼だと誰が信じるだろうか。

鬼と呼ぶにはあまりにもコレは純粋無垢で優し過ぎた。


『お前も一緒に飲むか?』


薄暗い山の中、ひっそりと佇む広大な屋敷の縁側でいつも酒を飲んでいる鬼のことが気になったのはいつのことだっただろうか。

いや、恐らくは初めて会った時から心惹かれていた。

痩せて目の下に消えぬ隈をつくった鬼などそうそういるものではない。

けれど、眩しい物を見るように目を細めて、私を見る視線に何故かソワソワと落ち着かない気分にさせた。

応えれば囚われる⋯⋯そんな感覚がしていたのに、ぬらりひょん様に唐突に頂いた休暇で訪ねたのはその鬼の住処だった。

宵闇に紛れ、静かに忍び寄る私を何も言わずに受け入れる、酒を提供させるその姿勢がもどかしく思った。

屋敷を訪ねる妖には全て同じ対応をしているのか?

我ながらみっともなくも嫉妬が込み上げる。


『明日は私じゃない他の奴と酒盛りをするのか?』


言わなければ良かったと後悔した。

悲しげに歪んだ顔を忘れることなど出来ない。

朽ち果てかけた屋敷で一人静かに酒を飲むことだけを楽しみとする存在。

山へこもるのは己が他者を傷つけない為なのだろうと分かってしまった。

しかし、妖の総大将であるぬらりひょんの傘下の妖として、その意向を組み、近隣の妖達を押さえつける役目を担わないといけないなど苦痛で仕方がないはずだ 。

しかし、いつだって何も言わずに伝えた伝達を受け入れる姿に理不尽にも断ればいいものを⋯などと思ってしまったことも数多い。


「ん、う⋯⋯」


寝心地が悪かったのか、私の膝にさらにのしかかってくる。

ゴゾゴゾと身動ぎをされると、いらぬ欲が刺激されそうで顔をしかめるものの、気持ちよさそうに眠る姿を見ると毒毛を抜かれてしまい苦笑した。

好きなだけ酒を飲んで、「眠い」と呟いたかと思うと人の膝を占拠するその神経の図太さに呆れると同時に、この鬼の中で私という存在が受け入れられている証拠だと笑ってしまった。


「おぅ、鴉丸。ここにいたのか」


ユラリと風の流れが変わった。

庭に佇むぬらりひょん様を前に驚くでもなく、視線だけで何をしに来たのかと問いかける。

気づくことなく眠り続ける鬼を守ろうと、自然と体に力が入ってしまう。

主でもあるぬらりひょん様に奪われまいとする己の行動に自分でも驚いてしまう。

しかし、ぬらりひょん様は嬉しそうに笑った。


「酒呑がここまで気を許すなんて珍しいこともあるものよ。どんな妖術を使ったんだ?」


近づいて来て、白い頬を指で突っつくぬらりひょん様。

不快感からか眉間に皺を寄せているのを見て、頭を撫でてやれば緩む顔。


「ふむ⋯⋯こうと知っていたら無理やり勝負に参加させなくても良かったな。悪い事をした」


くじ引きと言いつつもやはり不正をしていたのかとため息をつきたくなった。

こうもぬらりひょん様のお気に入りが選ばれるなど不正でもしなければ出来なかっただろう。

何か目的があってのことだとは分かっていても沈んだ顔をしていたのを見てしまった身としては不愉快になってしまう。


「これは内にこもりがちだ。友人の一人や二人出来るとまた変わると思ったんだが⋯⋯」


私へと向けられる咎める視線。

何故報告をしなかった、とその視線が語る。


「交友関係を聞かれたことなどありませんから」


シレッと答えた私を静かに見つめていたぬらりひょん様は深々とため息をついた。


「何だ?遅い反抗期か?」


反抗されたというのに楽しそうに笑うぬらりひょん様。


「鴉丸もようやく大人になったということか。聞き分けがないのもそれはそれで面白いものだ」


ぬらりひょん様は"個"を受け入れてくれる。

絶対に否定をしないその姿勢は好ましく、何だかんだと言いながらも私達傘下の妖を良い方向へと導こうとする心意気も有り難いと思う。


「あんなに夜泣きしていた赤ん坊がこんなに大きくなって⋯⋯」


「いえ、私達が会ったのは私が既に人間の五歳ほどに成長してからだったと記憶しておりますが?」


「お前な⋯⋯そういう冗談を冗談と受け止められない所は早急に直すべきだぞ」


拗ねてそっぽを向くぬらりひょん様はまるで子どものようだ。


「まぁ、しかし、他の妖達の前で宣言してしまったからには勝負には参加してもらわなくては。鴉丸、支えてやっておくれ」


「御意」


言われなくてもそうするつもりだった。

今にも壊れそうなこの鬼を守ってやりたいのだ。

金平糖を片手に目を輝かせ、溢れんばかりの笑顔をこちらに見せた時に抱いたモノは強烈でありながら言葉にすることは難しい。

これが何という感情から来る物かは今は分からないが、楽しげに笑う顔を見たいと思う。


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