第3話 迎え
あっさりと鴉丸が帰って行ってしまい、幾日も過ぎて会合の日時が近付いてきた。
そろそろ向かい始めないと間に合わないのだが、どうしたものか。
行きたいような行きたくないような何とも言えない気持ちに胸がモヤモヤとする。
鴉丸はきっと部屋を用意してくれているだろう。
約束を違えるような奴ではないから、会合での接待が一段落したら俺との時間を設けてくれるはな違いない。
しかし、どうにも鴉丸に関われば関わるほど、この屋敷の広さに孤独を噛み締め、奴から離れがたく感じてしまわないかと不安で堪らない。
俺はこの屋敷で一人でいる方がいいのだ。
色々なことを考えたり、気分の浮き沈みに翻弄されるのは苦手だ。
閉じた狭い世界に引きこもっていたい。
今までの生活が崩れることを恐れていることを自分自身で理解はしていた。
何よりも鴉丸がいつ俺に飽きるかも分からないのが一番怖くて怖くて堪らないことも⋯⋯。
初めから温もりを知らなければ絶望することもないのを知っているからこそ、関わりを持つことが嬉しくも楽しみでもあり、怖くて苦しい。
どう言い訳をして会合行きを回避しようかと頭を悩ませること数日。
名案が浮かばないままに日が経ってしまった。
今日の空は随分と澄んでいるなぁと縁側でゴロゴロと寝転んで日向ぼっこをしている俺は目を細めた。
そして、彼方の空にポツンと豆粒大の何かが見えたことで体を起こす。
それは段々と大きくなり、何かが空を飛んでこちらへと向かって来ていることに気付く。
俺の秀でた耳と鼻が微かにガラガラと車輪の音がして、炎特有の臭いを感じる。
こちらへ向かって来るのが何かを理解し、俺は顔を引き攣らせた。
あれは初めて見たが輪入道という妖ではないだろうか。
本来なら炎に包まれた片方の車輪の真ん中に男の顔がついている妖なのだが、何故か人が乗せれるように牛車の形をしている。
しかも、厳つい髭面の中年男の顔はすごい必死の形相をしていることに驚き、つい目の前に来るまで見入ってしまった。
「ぬらりひょん様の命により、お迎えにあがりました」
しばらく、ゼェハァと息を切らせていた輪入道。
あまりにも疲れた様子に台所から持って来た水を渡すと、車輪から生えた手が湯のみをかっさらってゴクゴクと飲み干す。
何故そんなにも急いでいたのかは謎だが、落ち着いた輪入道は口上を告げた。
輪入道はどこか緊張した様子で俺の前でさぁ、乗れ!とばかりに待っている。
輪入道もぬらりひょんの傘下の妖で、会合の度に大事なお客様の送迎に駆り出されるようなのは伝え聞いていたがまさか俺を迎えに来るとは。
これは逃げられないやつだと悟り、頭を抱えた。
ぬらりひょんがここまでするなんて、今までこんなことはなかったのにどうしたのだろう。
無言で輪入道を見つめると、ダラダラと冷や汗をかいている。
別にこれは怒って睨んでいる訳ではなく、元より目つきが悪いだけである。
「どうぞ、お乗り下さい」
促すように恭しく告げられ、溜息をつく。
別に輪入道が悪いわけではない。
輪入道は命令を受けてわざわざこんな山奥まで来ているだけで、どんなに睨んでもどうしようもない話だろう。
ここで俺が拒否をして逃げたら、ぬらりひょんに輪入道が怒られてしまうに違いないし、あとの報復も恐ろしい。
行くのが面倒だと感じて欠席することに心が傾くことまで見通されていると思うと、ぬらりひょんの慧眼には恐れ入る。
飄々として明るく妖達に寛大な態度を見せるが、ぬらりひょんは妖の総大将であり、そう簡単に見逃すつもりはないのだろう。
反旗を翻したが故にぬらりひょんの手によって消え去った妖達を思い出し、その数の多さと行われた粛清方法にブルリと体が震えた。
「荷物を持って来る」
渋々、屋敷の中へと一度戻る。
自室の隅に用意してあった風呂敷を手に持ってから引き返す。
ついでに下の屋敷の使用人へ外出することを伝える為に隠れるように仕事をしていた猫耳と三本のシッポが特徴の妖、猫又の使用人へと言付けることにした。
俺が見下ろすとビクビクと体を竦ませて返事をする使用人の姿に溜息をつきたくなる。
取って食いやしないのにどうしてそんなに怯えられるのかが未だに分からないが、逃げ出さないだけマシだろうか。
「俺がいない間のことは頼むぞ」
俺がいないからと近隣の妖達が暴れなければいいのだが⋯⋯。
毎日のように騒動を起こす妖達を思い出し、頭が痛くなってくる。
何度痛い目にあっても人間を食いたいと考えるのは妖の性なのだろうが、こうも頻回だといっそのこと、存在自体を消してしまいたくなる。
まぁ、俺が出かけている間に何かを仕出かしたら⋯⋯考えてもいいだろう。
そんなことを考えているとは知らない使用人は目を輝かせて、自慢の猫耳をピコピコと小刻みに動かし、大きく頷きながら答える。
「分かりました。酒呑童子様がつつがなく会合を楽しめますよう励みます」
「行ってらっしゃいませ」とそのまま頭を下げる使用人を見下ろして言葉を飲み込む。
ブンブンと勢い良く振られるシッポは喜んでいるようで、そんなに主人が外出でいなくなることを喜ぶのかと複雑な気持ちになった。
本当は行きたくないなどと言えそうな雰囲気でもない。
いつの間に集まったのか、他の使用人達も総出で頭を下げている。
「⋯⋯行って来る」
そんなに早く追い出したいのかと悲しく感じているのは伝わらなかったようだ。
きちんとお見送りをしてもらっただけ、有り難いと思わなくてはならないと強く自分に言い聞かせる。
俺がさっさと輪入道の牛車へと乗り込んだ後に、声をかけた猫又が「声をかけて頂けた!」と感涙に咽び泣いていたこと、他の使用人達が口々に猫又を羨ましがっていたことを俺は気づくこともなかった。
■■■■■■■■■■
御簾越しに外を眺める。
村などのはるか上空を牛もいない牛車が飛んでいるなど、誰も考えないのだろう。
平和に畑や田を耕す人間達を見下ろし、俺は姿勢を崩して肘置きを使って頬杖をつく。
正座なんかしたことがないから、初めから足は胡座をかいているのだが。
「寒くはありませんか?」
不意に掠れた男の声がかけられ、目を瞬かせる。
ほとんど揺れを感じさせることなく走り続ける輪入道の声だ。
空の上は寒いものらしい。
だが、俺は寒さや暑さをあまり感じない質だ。
「大丈夫だ」
鷹揚に返すと安堵したようだ。
「これで酒があったら最高だな」
口寂しくなった俺は頬杖をついたまま独り言ちたが、それが聞こえたらしい輪入道へ焦ったようだった。
「申し訳ございません!」
輪入道自身が焦っても揺れもしない牛車の中は酒がないことを除けば快適だ。
至れり尽くせりなどなかなか出来ない話だ。
趣味趣向の把握などする間もなかったのだろうし、口寂しさくらいは堪えられる。
「謝る必要はない。それよりも俺の屋敷によく来れたな」
下の屋敷ではなく、俺が過ごす屋敷がどうして分かったのだろうか。
存在感を消すように方陣を組んで建てられた屋敷。
こうもあっさりと見つかるようでは居場所を変えた方がいいかもしれない。
ぬらりひょんほどではないが、俺の命を狙っている妖は山のようにいるのだから、余計な戦いはしたくない。
そんな俺の内心を知らない輪入道は弾んだ声で言う。
「鴉丸様が貴方様の屋敷について教えてくださりました。大事なお方なので丁重にお連れしろと仰っていました」
「鴉丸が⋯⋯?」
屋敷の方陣は屋敷があることを認識していたら、意味がないものだ。
そもそも鴉丸が屋敷を見つけられたこと自体がすごいのだが、会えたらどうやったのかを聞いてみよう。
「鴉丸様がそのように言う方は少ないので緊張をしておりましたが、お優しい方で良かった⋯⋯」
妖の中には輪入道が小物の妖だからと無理難題をふっかけることも多いのだとか。
時には走行中に中で暴れられて苦労することもあるらしい。
「送迎するのも大変だな」
「時には素晴らしい人柄の方にも相見えるので自分は気に入っております」
顔は見えないが、輪入道が笑ったのを感じた。
妖の中にも素晴らしい人柄の奴がいるというのだろうか。
「どうぞ、ゆるりとお過ごしくださいませ」
そう言うと輪入道は話しかけてくるのを止めた。
再びぼんやりと外を眺めていると車輪の回る音が聞こえてきた。
規則的なその音を聞いていると段々と眠気が来て、クアリと欠伸を噛み殺す。
例え迎えの車の中でも無防備に寝るなんて、寝首をかかれても文句は言えない話だ。
しかし、緊張感が緩和された今、襲って来た眠気には勝てなかった。
ユラユラ、ユラユラ⋯⋯。
誰かに肩を揺すられている。
揺れの心地よさに自分の近くにある熱に擦り寄ると、触れた布地の向こうでビクリと筋肉が強ばったのを感じた。
急激に意識が覚醒していく。
それを勿体なく思う自分に困惑しつつも、重い瞼を押し上げた。
「久しぶりだな」
目の前にあったのは鴉の顔。
ボーッとその顔を見つめていると、バツが悪そうに目が泳いだのを感じ、不意に笑いが込み上げてきた。
「鴉丸だ」
ニコリと笑いかけると、鴉丸が息を飲む。
どうやら本気で眠ってしまっていたようで、鴉丸に抱き起こされる形で目覚めた。
眠気が残る気怠い体を起こす。
触れていた温もりが離れることが少し寂しく感じる自分に苦笑する。
欠伸をして、首を傾げた。
鴉丸がいるということは⋯⋯。
「ぬらりひょんの屋敷に着いたのか?」
問いかけると、コクリと頷いた鴉丸は俺の頭を撫でた。
こんなに快適な道中を過ごしたのは初めてだ。
牛車から鴉丸の手を借りて降りる。
こういう時にサッと手を差し出すところが鴉丸のすごい所だと思う。
そのまま鴉丸に促されて歩き出しかけた時、言い忘れたことを思い出して振り返った。
「輪入道、ありがとう」
述べた感謝の言葉に何故か牛車が揺れた気がして、首を傾げる。
輪入道からの返事はなくて残念に思ったが、ムッスリと黙り込む鴉丸が目に入ったことでそんな考えは霧散した。
「どうかしたのか?」
鴉丸の羽毛に包まれた頬に指先を伸ばす。
俺は何か粗相でもしてしまったのだろうか?
柔らかくて艶やかな羽毛の感触。
ずっと触れていたいと思うほどに温かくて、目を細める。
「⋯⋯別に何でもない」
拗ねたようにそっぽを向く鴉丸に驚く。
何で拗ねてしまったのかが分からない。
ただ、輪入道にお礼を言っただけなのに、何が気に入らないと言うのだ。
考えに考えて、俺は鴉丸の大きな手に触れた。
剣を持つ人特有のゴツゴツとした手は温かかった。
「輪入道に迎えに寄越してくれて、本当に助かった。ありがとう」
「お前のことだから約束を破ることはないとは思ったが念の為にな」
「ははは!」
やはり鴉丸が気を回して、輪入道に頼んでくれたらしい。
よく俺のことを分かっていると感心してしまう。
「部屋に案内しよう」
「あ~⋯⋯そうだな」
ほんの少し俺の先を歩く後ろ姿に見惚れる。
ゴロゴロと寝てばかりの俺とは違い、鴉丸は日夜鍛錬を行っているに違いない。
「あ~!鴉丸ったら、サボってる!アタシはいっぱい仕事をしてるのにぃ!」
向こうから来た女の妖が不満気に言って、鴉丸の腕に抱き着いて喚いた。
距離感の近さに驚くが、当たり前の顔をしている所を見るといつものことなのだろう。
何なら、二人は恋仲なのかもしれない。
胸にモヤモヤとした物が広がるが、俺は遠巻きに二人を眺める。
心なしかヒンヤリとした空気が周囲を漂い、それが女から発せられるものだと気づく。
そして、いつぞや絡まれた雪女だと分かった俺は顔をしかめる。
「来客を案内するのも私の仕事だ。責められる謂れはない」
ピシャリと言い返された雪女は不満気なまま、苛立たしげな視線を俺の方へと向けて来るものだから、体を強ばらせた。
「あら、あらあらあら?酒呑童子じゃないの!久しぶりねぇ!」
目を輝かせ、こちらへと詰め寄って来る雪女から後退る。
先程までの機嫌の悪さはどこへ行ったのか、ニンマリと弧を描く唇が怖い。
シャラリシャラリと雪女の髪を彩る銀の簪が音を立てる。
「相変わらず、綺麗だわぁ。氷漬けにしてしまいたくなるわ。私の氷に包まれた貴方はもっと綺麗だと思うの」
ウットリと白い頬を赤く染めて呟く雪女に鳥肌が立つ。
このままだと俺は氷像にされてしまうのではないだろうか。
妖は自己中心的な考え方の者が多い。
自分がやってみたい!と思ったら即実行なんて話はよく聞くし、身を守る為とは言え雪女と戦ってぬらりひょんと揉めるのも嫌だ。
どうしたものかと戸惑う俺を前に出ることで背中に隠し、雪女と距離を空けさせたのは鴉丸だった。
「冗談はほどほどにしろ」
あまり感情的にならないはずの鴉丸の声は固く、どこまでも冷ややかだった。
後ろにいるから分からないが、鴉丸の顔を見た雪女がより一層青白い顔になったから怖い顔をしているようだ。
「来客だと言っただろう。これ以上囀るなら⋯⋯」
不自然に切れた言葉尻は想像をかきたてる。
恐怖に飛び跳ねた雪女は挨拶もそこそこに慌てた様子で逃げて行く。
鴉丸が深々とため息をつくのを聞き、その顔を覗き込んでみた。
「俺は大丈夫だから、許してやってくれ」
あれくらいの言葉に怯える俺が悪いのだ。
俺だってれっきとした鬼なのだからドッシリと構えていないと。
俺の言葉に鴉丸の視線が泳ぐ。
それに雪女も冗談で氷像の話をしたのだ、うん、きっとそうだ。
そうじゃなかったらあまりにも怖過ぎるのだが、鴉丸は何も言わずに頷いた。
「⋯⋯分かった」
ああやって絡んで来る所を見ると二人の仲は普段は良いのだろう。
俺が加わることで関係が悪化したなら申し訳ない。
渋々だが頷いてくれた鴉丸に心底ホッとした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます