第2話 朝餉
目が覚めるとまだ早朝だった。
大体は昼過ぎまで寝ることが多いのに、こんな時間にスッキリと目覚めてしまってため息が出た。
気分は最悪だ。
せっかく鴉丸が一緒に飲んでくれていたのに、些細なことで怒った挙げ句にふて寝など恥ずかし過ぎる。
子ども扱いされても仕方のない所業だ。
反省しつつ、モソモソと着替えをする。
と言っても、俺は着物に女物の色鮮やかな打掛を肩に羽織るだけである。
そして無駄に長い赤髪を適当に三つ編みにする。
さすがに会合の時は簪やらで纏めあげるのだが、屋敷ではラフな格好が過ごしやすいのだ。
「おはよう」
台所の扉を開けると、鴉丸が鍋の前に立っていた。
小皿にとった鍋の汁を味見していたようだ。
「おぅ、おはよ⋯⋯って何でいるんだ!?」
普通に挨拶を返しかけ、俺は絶叫する。
あの後に帰ったのではなかったのか!?
当たり前のような顔をして、台所にいる意味が分からない。
て言うか、俺は鍋を空にしていたはずだし、ホカホカと湯気が出ている鍋の中身は鴉丸がつくったものなのだろう。
「朝餉の支度をしていた」
見て分からないのかと言いたげな鴉丸。
普通、人の屋敷にお邪魔をして朝餉の支度などしないだろう?
鴉丸は真面目そうな雰囲気なのに、考え方が明後日と言うか独特な感性をしているようだ。
しかも遠くを見る俺に小皿を渡して来る。
「どの部屋を借りてもいいか分からなかったから、縁側の一番近くの部屋を借りた。この山は朝は冷えるな。次は布団を用意して貰えると助かる」
まさか泊まると思わなかったから、客用の布団を用意し忘れていた。
「⋯⋯分かった」
次の機会があるのかと驚きつつも小皿に口をつけてみると、中身は味噌汁で、出汁の効いた上品な味だった。
料理も出来るとかすごい。
俺なんか適当に切って焼くか煮るかくらいしか出来ないから、味も大雑把になってしまうというのに。
「美味い」
「そうか」
フッと笑う気配。
鴉の顔では表情はほとんど分からないが、機嫌はかなり良さそうだ。
「卵焼きと漬物もある。もう朝餉にするか?」
「ご飯まで⋯⋯飯の材料なんかなかっただろ?」
自炊をほとんどしないから食事の用意をするのは大変だろうくらいしか分からない。
しかも食材から調達しないといけないなんて、苦労したのではないだろうか。
申し訳なさに頭一つ分高い鴉丸を見上げると、クシャリと髪を撫でられた。
昨日から思っていたが鴉丸は距離が近いと言うか、スキンシップが多い。
「食材を集める程度、お前が考えているよりは簡単だ。私が勝手にしたことなのだから、お前は気にするな」
な?と顔を覗き込まれ、鴉丸の圧に負けた俺は小さく頷いた。
“お利口だ”と微かに聞こえた言葉に俺は唇を尖らせる。
やはり子ども扱いをされている気がする。
「飯を食ったら、江戸へ帰るのか?」
「何だ、寂しいのか?」
からかう言葉に眉を寄せる。
寂しいのか⋯⋯と聞かれたら、寂しいに決まっている。
しかし、そんなことを言えるような仲でもない。
つい先日までつれなくされていたことを忘れることは出来なかった。
そうだ、今のこの穏やかな空気は今だけかもしれない。
きっと、何かがあって、俺にかまってくれているだけなのだから期待をしない方が傷つかなくて済む。
「寂しくなんかない」
「⋯⋯そうか」
鴉丸に背を向けて吐き捨てると、どこか困ったような声で相槌を打たれた。
俺は嘘が苦手だ。
たぶん、寂しがっているのが分かりやす過ぎて、鴉丸も反応に困ったのだろう。
俺は自分でもどうしたいのか分からない。
鴉丸と仲良くなりたい、のは確かだ。
断られても酒に誘うなど、他の妖にはしたことはない。
けれど、この山と江戸とは随分と離れていて、羽根を持たない俺は遊びたくてもすぐに行くことなんて出来ないのだ。
つまりは、鴉丸に来てもらうのを待つことが多いだろうし、縁側でずっと鴉丸を待つ自分が簡単に想像出来て嫌になった。
この年で人恋しいなど、欲求不満なのだろうか。
花街にでも行くか?
そんな考えが浮かんだが、それは何か違う気がした。
屋敷の部屋の一つで朝餉を初めて共にする。
ふっくらとしたご飯、塩味の卵焼きにキュウリの漬物と具沢山の味噌汁。
ガツガツと貪るようにして食べる俺を鴉丸が笑って見ていて、頬についた米粒をとってくれたり、卵焼きを分けてくれたりと至れり尽くせりだ。
腹を満たされて、食器を片付けた俺達は縁側で座って過ごしている。
「この屋敷は静かだな」
整えられた庭を見つめつつ鴉丸が呟く。
広大な敷地と大きな屋敷に似合わず、使用人はほとんどいない上に姿すら見せない。
そうであるように俺が指示をしているのだ。
臆病な俺は周囲に妖を置くことさえ怖い。
目を伏せ、顔を俯かせていた俺は次の鴉丸の言葉に顔を上げた。
「だが、居心地がいい。家主に似ているのかもな」
横から伸びてきた手がまた頭を撫でる。
「それにお前の髪は艶やかで撫で心地がいい」
腰まである長い赤い髪。
人であった頃に皆と同じ色ではないと虐げられたが、夕暮れを思わせる自分の髪が俺は好きだった。
「⋯⋯ありがとう」
褒められて嬉しい。
モジモジと体をさせる俺に鴉丸が息を飲む。
いい歳をした大人がすると気持ち悪いのだろう。
それを口にしない鴉丸に感謝をしなくは。
「来月に会合が開かれるが、来るのか?」
来月の会合と言えば江戸の屋敷で行われる酒宴のことだろう。
会合にはなるべく出るようにぬらりひょんが言っていたのを思い出し、憂鬱になる。
交友関係のほとんどない俺は一緒に行く相手もいないし、行って挨拶をする相手もいないに等しい。
淡々と酒を飲み、つまみを食い、賑やかなのを眺めるのは存外退屈なものだ。
ジッと俺を見る鴉丸の目から目を逸らす。
「行くには行く、と思う」
ぬらりひょんに挨拶だけ済ましたら、さっさと酒宴を退席しても誰も気づかないだろう。
「曖昧な返事だな」
「ああいう席は苦手だ」
前回の会合では雪女が横に座って、人の体にペタペタ触って鬱陶しかったから、放り投げた。
その前は青鬼が赤鬼と目の前で何故か戦い始めて、美味しい酒が全部ダメになったものだから二人共をぶん殴って止めさせた。
俺は細いと言っても鬼だから怪力であり、わりと腕っ節も強いのだ。
「誰も彼もがお前と懇意になりたくて血眼だから、それも仕方のない話しか」
何故か納得する鴉丸だがその内容は俺の理由とは違い、目を瞬かせる。
俺なんかと懇意になりたい奴がいるとは思えないのだが?
嫌がらせなのか酒を少し飲めばまた注がれて、また飲んで⋯⋯結局は俺の返杯によって酔い潰れる妖が周囲には山積みになるのだ。
「今度の会合が終わったら、屋敷に部屋を用意しておくから、泊まっていったらいい」
ぬらりひょんの屋敷は俺の屋敷よりも広く、たくさんの妖が会合の後には泊まることは知っているが俺まで泊まる必要を感じたことはない。
「何でだ?」
酔いが回るほど飲んでいないから、毎回酒宴がお開きになったらそのまま山へと帰って来ていた。
何故、泊まりがけで行かなくてはならないのだ。
他者の気配のある屋敷は居心地が悪いではないか。
渋い顔をする俺を見て、鴉丸が言う。
「当日、私は接待準備や屋敷の警備で酒宴に参加することが出来ない」
使用人のリーダー的存在の鴉丸の多忙っぷりは何となく理解は出来ている。
疲れた顔一つ見せないからすごいと思う。
「つまり、お前と話すことも出来ないから、翌日にでも話せないかと思ったんだが⋯⋯嫌なのか?」
悲しげに揺れた声に俺は慌てて首を横に振った。
「嫌じゃない!嫌じゃないが⋯⋯その、泊まるのは初めてだから、迷惑をかけるかもしれないぞ?」
「ぬらりひょん様の許可はとっている。むしろ、毎度引き留めようとしているのだ。大喜びをしていた」
ぬらりひょんが大喜び。
白銀と闇色の髪に金色の瞳をした線の細い男を思い出し、何とも変な気分になった。
何せ、俺がぬらりひょんの傘下に入ったのは酒の飲み比べに負けたからで、腹も膨れた様子もなかったし、ぬらりひょんの体のどこにあの量の酒が入ったのか未だに謎なのだ。
確かに感情表現は大仰だったから、涙を流して喜ぶことも簡単に出来るだろう。
それにしてもいつの間に許可を得たのかと不思議だが、いいと言っているのなら言葉に甘えてみよう。
「どこかに泊まるなんて初めてだ⋯⋯何か持って行った方がいい物はあるのか?」
「着の身着のままでもいいぞ」
冗談かと鴉丸を見るが本人は至って本気のようで、俺の方が戸惑ってしまう。
「さすがに着替えはいるんじゃないのか⋯⋯?」
「着替えくらい私の物を貸すが?」
俺は自分と鴉丸の体格を見比べて、肩を落とす。
どう考えても大きくて着物を引き摺ってしまうだろう。
「着替えは持って行く」
そうか、と鴉丸は笑う。
湯呑み片手に縁側で日向ぼっこをして、のんびりとした時間が過ぎて行く。
―――あぁ、夜が来なければいいのに。
そうすれば、鴉丸はここにいてくれるだろうか。
こうやって一緒に過ごしてくれているのだから、鴉丸友人と呼んでも構わないはずだ。
誰かが傍にいる心地良さを知ってしまったら、一人になった時の孤独感は増してしまう。
分かっているのに、鴉丸の優しさが温かくて、今までの孤独感が癒されていくのを感じる。
そして、同時に感じる彼への渇望を。
フルフルと頭を左右に振って、変な考えをしないように自分自身を戒める。
鴉丸が何を考えて昨夜に俺の元を訪れたのか、どうして傍にいてくれているのかは分からないが、珍しい珍獣を見に来ただけに違いない。
あまり深く関わらない方が身の為だ。
「使何かあれば、遠慮なく私に言え」
俺が思い悩んでいることを目ざとく気づいた鴉丸が言う。
場の空気を読むことに長けているからこそ、ぬらりひょんに重宝されるに違いない。
苦笑し、俺は返事をせずに青く澄んだ空を見上げる。
次の会合から帰って来たら、一人に戻ろう。
そう強く思った。
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