あやかし物語~鬼と鴉の話~
アキ猫
第1話 誘い
妖である鬼となって、どれくらいの月日が経っただろうか。
“盗賊の首領”。
“人喰らいの鬼”。
俺を表す通り名はいくつもある。
俺が根城にした山は人どころか、獣も恐れて近づかない場所となっていった。
しかし、人から人へと伝わる俺の存在は恐れを呼び、それを糧に力を持った妖となったのは自分でも意外だった。
我を忘れたら暴れ回る性なのは鬼だから仕方ないと諦めて欲しいし、いつもの俺はのんびりとしていて平和に一日を終えることに感謝するような小物である。
何がどうして、こうなったとは俺の台詞だ。
力の強い妖は弱い妖がすり寄ってくるし、何なら近隣の妖を束ねることもしないといけない。
誰が決めたんだ、そんなことを。
面倒臭いと思いつつも、今日もまた我慢出来ずに人を喰らった妖を半殺しにしたのだった。
今夜の風は随分と落ち着きがない。
突然止まったかと思うと、音を立てて吹き込んでくる風に首をひねる。
何かいつもと違うことが起こりそうな予感に胸がざわめく。
心なしか額からはえた二本の捻れた角も微かに疼いている。
こういった時の予感は違えることはないが、何が起こるのか分からないのだから対処のしようもない。
そうなると、いつも通りに過ごすべきかと思い直し、屋敷の縁側で酒盛りをしようと酒瓶と盃を用意してきたのは一刻前のこと。
三度の飯よりも酒が好き。
むしろ俺の場合は酒さえあれば生きていける、そんな妖でもある。
バサッバサッ!
夜の闇の中で羽ばたきの音が聞こえて来た。
だらしなくも片膝を立てて座り、盃を片手に月見酒を飲んでいた俺は目を細めて、来訪者を迎えた。
「おぅ、来たのか」
盃の中身を飲み干しつつ声をかけると砂利を敷きつめた庭へ音もなく降り立った男。
男は均整のとれた逞しい体を山伏の装束に包み、その広い背中に漆黒の翼をはやしていた。
そして、何よりも特徴的なのは頭が鴉ということ。
静かにこちらを見つめる丸い目は物言いたげに光っている。
幾度となく会ったことのある相手。
けれど、いつだって俺の誘いは無視されてきた。
「一緒にお前も飲むか?」
今日もまた盃を掲げて誘いをかけ、唇を歪めるようにして笑う。
どうせ、俺が誘っても聞こえなかったふりをして、言いたいことだけを言って立ち去るのだろう。
鍛え抜かれた体つきに見合う美丈夫と評判の男は鴉の顔と人の顔を持つらしいが、長い付き合いになるが未だに人の顔は見たことがない。
感情の読めない鴉の顔しか見せてもらえないのは俺が信用出来ないからか。
"鴉丸"と男の名前を呼ぶと、鴉の黒い嘴からため息がこぼれ落ちた。
「また酒を飲んでいるのか」
俺は"酒呑童子"と呼ばれる鬼の妖である。
無類の酒好きでも有名で、俺と仲良くなりたい妖は美味い酒を手土産に持って来ることがほとんどだ。
ちなみに酒を飲んでも飲んでも酔いにくい為、浴びるほどの量を飲んでしまうのはご愛嬌である。
酒の樽くらい飲めばさすがの俺でも酔っ払うはずだ。
鴉丸のぶっきらぼうでヒヤリとした声音の奥にあるのは、呆れか心配か。
俺のことなんてコイツが心配するはずもないか。
まぁ、会う度に酒を飲んでいる俺に呆れるなという方が正解かもしれない。
酔っているわけでもないのにまとまらない思考に軽く頭を振る。
どうやら思わぬ来訪に動揺しているようだ。
話を逸らすように俺は笑った。
「今日は綺麗な月だからなぁ」
目を細め、空に高々と浮かんでいる月を見上げる。
月はいつだって静かで、どことなく鴉丸に似ている気がした。
月に照らされているおかげで闇に溶け込みそうな鴉丸の姿も良く見えてしまい、俺に釣られるようにして空を見てから微かに笑ったのを感じ、首を傾げる。
随分と今日はまとっている雰囲気が柔和だ。
何があったというのだろう。
「そう、だな。今日こそは相伴に預かろう」
唐突にこちらを真っ直ぐに見て告げられた言葉にパチリと瞬きを一つ。
今までに何度も誘ったが、一度たりとて誘いを受けたことなんてなかったのにどうしたことだろう。
わずかな羽音と共に俺の横へ腰かけた鴉丸は固まる俺に向けて不思議そうに顔を覗き込んできた。
「どうした?」
その声は穏やかで急かすような色もなく、ただ俺のことを心配する色が多くて頬が熱を持つ。
どうしたって、お前の方がどうしたんだ!?と叫んでしまいたい衝動に駆られる。
誘いを受けただけでなく、こんな近くまで寄って来て、想定外のことばかりで困ってしまう。
しかし、それを鴉丸に気づかれるのは嫌だった。
「盃の用意をしてくる」
慌てて立ち上がる俺にフッ⋯と声に出して笑った鴉丸は俺が膳に置いた盃を手に取った。
「別にこれでかまわないが?」
鴉の顔なのに意地の悪い顔をしているのが手に取るように分かる。
俺の口付けた盃を鴉丸が使う?
「俺がかまうんだよっ!」
顔を真っ赤にして怒る俺を見つめる鴉丸の目は優しい。
ドタドタと足音荒く屋敷の中へ引っ込み、忙しない心臓の音を抑えるように胸を掴む。
今日は一体何なんだ。
誘いに乗るのもおかしいし、あんな風に機嫌良く笑っている鴉丸なんて初めて見た。
あぁ、でも⋯⋯これがひと時の夢幻であってもいいと思ってしまう。
胸は激しくざわめいていて、鴉丸の言動を嬉しく感じている自分が恥ずかしい。
それでも鴉丸が一緒に酒盛りをしてくれるなら、精一杯のおもてなしをしなくては。
酒に強いのかは分からないが、酒瓶はありったけ持って来よう。
他には何が必要だ?
俺はツマミはいらないが、鴉丸は何か腹に入れたいかもしれないが、漬物と魚の干物は嫌いじゃないだろうか。
お盆の上にあれこれと乗せる俺。
「あまり構わなくてもいいぞ。酒が飲めればそれでいい」
ヒョコリと台所の入り口から顔を出した鴉丸に驚きのあまり飛び上がる。
「おま、な、何でここに!?」
よく台所の場所が分かったな。
俺の屋敷は無駄に広く、迷路のように入り組んだ造りになっていて、初見では迷子になることが多いのだ。
山の天辺にあるこの屋敷は、昔は偉い人が住んでいて、暗殺者や妖を防ぐためにこんな複雑な造りにしたのだとか。
鴉丸には何の役にも立っていないことに舌打ちをする。
「酒がなくなったから貰いに来た」
俺が飲みかけていた酒瓶を振る鴉丸だが、いつもより丸い目は潤んでいるようにも思えた。
もしかして、酔っているのだろうか。
どうやら酒瓶からそのまま酒を飲んだらしい。
俺が自分の盃を使わせるのを戸惑ったことを気にして、わざと盃を使わなかったのだろう。
そういった相手に対する配慮が出来る妖は少ない。
妖には欲望に忠実で、自分が良ければそれでいいと思う理性とか協調性なんてない奴が山のようにいるのだ。
「それにお前が遅いのも悪い。一緒に酒盛りをするのじゃないのか?」
酒瓶の半分以上を一気に飲んだから酔っているのだろうか?
「一人で飲んでも楽しくないだろ?」
拗ねたような口調。
いつもの鴉丸なら絶対にそんな言い方はしないし、上目遣いで言われて息が止まるかと思った。
以前までのどこか冷ややかな鴉丸はどこへ行ってしまったのか。
心臓の急な負担に息が苦しいような気さえしてきた。
「ほら、早く戻るぞ」
俺が用意したお盆や酒瓶を片手に身を翻す鴉丸の後ろを慌てて追いかける。
この屋敷の主人は俺のはずなのに仕切っている鴉丸に納得はいかないものの、これはこれでおもしろいと思う自分に笑ってしまった。
「何か楽しいことでもあったのか?」
不思議そうに問われ、俺は更に笑う。
鴉丸が俺のことを気にかけてくれるなんて変な気分だ。
何よりも今夜の鴉丸は俺に質問ばかりしているのが、俺を知りたいと思ってくれているようで浮かれて口が滑った。
「今日は鴉丸が酒を一緒に飲んでくれるから嬉しい」
素直に思っていることを言うと、鴉丸が足を止め、俺はその背中に突っ込んでしまった。
広くて硬い背中に打ち付けた額と鼻が痛くて、抗議しようと顔を上げると、感情の見えない丸い目がマジマジと俺を見下ろしていた。
「な、何だよ?」
聞いているのにピクリとも動かなかった鴉丸は目を細め、ゆっくりとした動きで俺へと背を向けた。
「いや⋯⋯それならいい」
先程よりもゆっくりとした足取り。
機嫌が良さそうに見えるのは気のせいだろうか。
縁側に着くと、ササッと飲む支度をする鴉丸の動きは手慣れている。
差し出した盃に酒をついでくれる鴉丸にお礼を言うと、また見つめられて居心地が悪かったがすぐにその視線は外れて、ホッとした。
何だか、あの視線を向けられると「喰われる!?」なんて本能的な恐怖が湧き起こるのだ。
どちらかと言うと細くて喰いごたえのなさそうな俺を鴉丸が食べるとは思えないのだが⋯⋯。
「鴉丸は明日はお役目はないのか?」
鴉丸の盃に酒を注ぐと、勢い良く仰ぎ飲む。
ペースが早い気もするが、普段の鴉丸を知らないから何とも言えない。
飲ませ過ぎて二日酔いになったら困らないのかだけは確認しておかなくては。
もし、酔い潰れたら適当な部屋に布団を敷いて寝かせてやればいいだろう。
「ない。たまには休めと総大将に屋敷を叩き出された」
鴉丸は江戸で妖の総大将であるぬらりひょんの側仕えをしている。
会合で行ったことがあるが、広大な屋敷には多くの妖がいて賑やかで笑いに溢れていた。
その中でぬらりひょんの世話をして、他の妖達に指示を出している姿は男から見ても格好良かった。
真っ直ぐに前を見る力強い目、冷静沈着を絵に描いたような態度は憧れるしかないだろう。
俺の屋敷を訪ねて来る時は大体がぬらりひょんからの言伝があったり、確認事項がある時だ。
今日は特に何も指示は受けていないようなのに、どうしてわざわざ来てくれたのかは謎である。
たまたま休みで暇だから、無視しても無視しても毎回酒に誘う変な妖のことを思い出しただけなのだろう。
「お前は明日の予定はないのか?」
何を思っているのか、ジッと俺を見る目に静かな焔が見えた気がした。
予定、予定?
記憶を思い起こすが特に何か特別なことがあったようにはない。
顎に手を当てて考え込む俺。
なかなか答えない俺に肩を竦めながら鴉丸がポツリと呟いた。
「明日は私じゃない他の奴と酒盛りをするのか?」
何だか、その架空の酒盛り相手に嫉妬をしているみたいな声だ。
確かに俺は酒盛りするのは好きだが、相手は誰でも良い訳ではない。
むしろ、元来は静かに一人酒をするのが好きで、この屋敷でどんちゃん騒ぎをしたことはないのだ。
来客を呼ぶ時はもっと集落に近くに建ててある小屋を使うし、この屋敷は使用人もほとんどいない完璧な個人的な空間となっている。
しかし、それをわざわざ鴉丸に教えてやるのも癪で、唇を尖らせつつもそっぽを向く。
「俺の所に来る奇特な奴は鴉丸くらいだ」
実際にここ数年でこの俺の屋敷を訪ねて来たのは鴉丸だけだ。
大体の妖が山の下にある屋敷を訪ねて言伝をそこの使用人にして帰って行くのは、誰も彼もが俺を恐れているからだろう。
ボソボソと呟く。
もう慣れてしまい寂しいのかも分からないが、酒を共に飲む友と呼べる相手すらいないのが恥ずかしい。
しかし、鴉丸は何をどう解釈したのか、変なことを言い出した。
「お前ほど美しい鬼に頻回に会うと魂が抜かれそうで、尻込みをしているのだろう」
不意に慰めるように頭を撫でられ、全身に鳥肌が立った。
嫌悪というわけではないが落ち着かない感情の揺れに反射的に後退った。
しかも、鴉丸は何と言った!?
美しい鬼って褒め言葉だよな?
鴉丸の目から見ても俺が美しいだなんてありえない。
こんなヒョロヒョロの酒ばかり飲んでいる引き籠もりの俺が美しいはずがない。
これが所謂社交辞令というやつなのか?
「お前は頭を触れられるのが嫌なのか?」
「は⋯⋯え、いや、角はゾワゾワするから嫌だが、髪に触れられても別に⋯⋯」
「お前は角か。私は羽根の付け根に触れられるのが苦手だ」
俺の角と一緒で羽の付け根は神経がたくさんあるから敏感なのだろうか。
「ちなみに触られたらどんな風になるんだ?」
好奇心には勝てず問いかけた俺に、鴉丸は口元に盃を運んでいた手を止め、ゆっくりと首を傾げてこちらを見た。
「どうなると思う?」
滴りそうなほどの色気のある声だった。
甘く蕩けさせる声を前に俺は二の句が告げれなくなって、口をパクパクと金魚のように開閉させるばかり。
質問に質問を返すなと突っぱねることも出来ずに頬を赤く染める俺を見て、鴉丸は何を考えているのか、盃を置いた手で俺の頬に触れた。
「強固に築いていたはずの理性が役に立たなくなって、狂おしいほどの衝動が身を襲うんだ。自分でも制御出来ないなど、獣に戻ったようで私は好きではない」
ひんやりとした大きな手に頬を押さえられ、近付いてきた顔は真剣な色合い。
しかし、その近さに激しく鳴り響く鼓動に耐えられなくて、俺は手を振り払った。
「そこまで言うなら、絶対に触んねぇよ」
人の嫌がることはしたくない。
ましてや、たまにであっても俺に構ってくれる鴉丸相手なら尚更だ。
挑むように鴉丸を見つめると、何故か鴉丸は動きを完全に止めていた。
振り払った鴉丸の手が彷徨うように揺れた。
「お前は⋯⋯まだ子どもだな」
「はぁ!?ガキが酒をこんなに飲むはずねぇだろ!」
もどかしそうにため息をつく姿にカチンッと腹が立った。
何故、こんなにも鴉丸に子どもだと言われて腹が立つのだろうか。
俺よりも歳を重ねているのは分かっているし、確かに感情のままに怒鳴ったりする俺は子どもっぽいと評されても仕方ない。
「もう知らねぇ。俺は寝る!」
家主として有るまじき態度だ。
客人がいるのにふて寝など、本当に子どものようで目尻に涙が浮かぶ。
しかし、口に出した言葉は返っては来ないのはよく分かっていた。
どうせ、さっさと江戸の屋敷へ帰って行くのだ。
鴉丸の居場所はここではないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます