第33話 ふうふう
「前も、お前は僕をかばってくれた」
数刻後、二人並んでベッドに横たわりながら、エドゥアルドが言う。
「前に……、ムーランドの人が馬車に石を投げ込んだ時」
「ああ」
気だるげにクラウスが答えた。
「そんなこともありましたね……。あなたに怪我がなくて、本当によかった」
「なぜそんな、お前は、いつもいつも僕を庇おうとする?」
エドゥアルドは身を起こした。肩肘を突き、あおむけに横たわったままのクラウスを見下ろす。一瞬だけ、目が合った。すぐにクラウスの方で、視線をそらせた。もそもそと起き上がる。エドゥアルドと向き直って、俯いた。
「なぜ? そんなの。普通のことですよ。普通でごく、自然な衝動です。だって僕は、あなたのことを……」
はっとしたように口をつぐむ。
「クラウス。何と言った? よく聞こえなかった。もう一度、ちゃんと言って?」
エドゥアルドはクラウスの手を握った。ひどく熱い。
「大したことじゃありません」
手を取られたまま、消え入るようにクラウスが言う。
「そんなことはない。僕にはとても大切なことだ。どうか言っておくれ」
いやいやをするように首を横に振る。
「頼むから」
「言えません」
「どうして!」
クラウスは真っ赤になっていた。目が潤み、空気が足りないというように、口をぱくぱくさせている。
「堪忍して下さい。なんだかもう、息ができなくて……」
そう言ってクラウスは、空いている方の腕で顔を隠した。
◇
家の中で、音がする。自分以外の人がたてる、音がする。
……ギルベルト?
……まさか。
浅い眠りから、クラウスは目が覚めた。
エドゥアルドの「何もしない」は、信用できない。それでも今日は、少しは手加減してくれた。と、思う。
しずしずと、エドゥアルドがこちらに向かって歩いてきた。
「宮殿に帰らないと、プリンス」
慌てて、クラウスは起き直った。
「あ、まだ寝てて」
エドゥアルドは盆を捧げ持っていた。湯気の立つ器を載せている。
「ひどいものだ、お前の家の台所。燕麦しかない」
「あまり家では、食事をしませんから」
「こんなものしか、作れなかった」
「え?」
傍らのテーブルに、盆を置いた。ベッドに腰かけ、湯気の立つ器を膝に乗せる。
「オートミールのお粥を作った。少しでも食べてくれ」
「作ったって、プリンス、あなたが?」
「そうだよ」
「嘘でしょ?」
「本当だよ。失礼だな。お前、何を驚いているんだ?」
「だって……」
宮殿では、食事は、宮殿料理係が供していた。昔は、肉切係、献酌係、デザート係など、役割が細分化されていた。今では、そこまでのことはない。長かった戦争や、国際会議の供応のせいで、宮廷経済は常に火の車だった。だが、さすがに皇族が料理をするというのは、聞いたことがない。
「僕だって、料理くらいできるさ」
エドゥアルドは、鼻高々である。
「これからどういう世の中になるか、わからないからね。皇族だって、身分を追われれば、ただの人だ。自分のことくらい、自分でできなくちゃ」
思わずクラウスは、畏敬の目で、エドゥアルドを見た。
「って、ディートリッヒ先生が。料理とか服のこととか、いろいろ習うようにと。さ、冷めないうちに食べて」
木の匙でお粥を掬い、クラウスの口元に運んでくる。
「えーと、……」
「ほら!」
「皇族のあなたにこのようなことをさせるのは、勿体なくも忝く、」
呆れたようにエドゥアルドは首を横に振った。
「さんざん、いろんなことさせておいて、今更……」
乱れたベッドが目に入り、クラウスは思わず赤面した。
「あ! 熱いんだね! そうだ。僕が病気の時、ディートリッヒ先生はいつも、ふうふうしてくれた」
「ふうふう?」
「こうするんだよ」
木の匙に掬った粥を、一生懸命、口でふいている。
「はい。お口をあけて。あーん」
クラウスはためらった。
「ほら、あーーん」
「……」
「あーーーーーーーん」
観念して、木の匙をぱくりと口に含んだ。
「どう?」
こぼれそうな青い目が、心配そうにのぞき込んでいる。
「……おいしいです」
味なんて、わからない。
「よかった!」
弾かれた様にエドゥアルドが笑う。
「本当はもっと、栄養のあるものを作りたかった。肉や野菜や豆を長く煮て、裏ごししたスープとか。あれは、滋養になるんだよ」
「これで充分です」
胸がいっぱいになった。
「これで充分ですから」
「なあ、クラウス。ひとつ、約束をしてほしい」
最後の一匙をクラウスに食べさせ終わると、エドゥアルドは言った。少しためらっている。
「お前は、あのギルベルトに会わなくちゃならないんだね。定期的に、彼の健康を確認しなくちゃならない」
「……ゲシェンクの話を聞いたのですね?」
「うん。びっくりした。そんなことがあるのだね。でも、お前の腹を見たら、それは真実だと信じるしかない」
クラウスの腹の刺し傷は、ギルベルトと一緒に部屋に籠っていた数分の間に、跡形もなく消えてしまった。そしてギルベルトの手には、切り傷があった。そこから出た血を、クラウスに飲ませたのだ。
「お前は、彼を殺してあげなくちゃならない。それもわかった。でも……なるべく、彼に会わないで欲しいんだ」
「なぜです?」
「口ではうまく言えない。ただ、会うのは最小限にしてほしい」
「わかりました」
クラウスは言った。どのみち、自分は、そう決意したのではなかったか。だから、あの赤いスカートの女の子……エマ……に、ギルベルトのことを知らせてほしいと頼んだのだ。
エドゥアルドは、ほっとしたようだった。
「その代わり、私も、殿下にお願いがございます」
「なんだ」
クラウスから言質を取り、エドゥアルドは、満足そうだった。何でも聞いてやる、とでも言いそうな顔をしている。
「アルベルク将軍のご子息とは、お会いにならないで頂きたい」
「それは……」
「お母様と将軍のことは、もう、ほっておいておあげなさい」
「でも、知りたいんだ、」
「将軍は、亡くなられました。今更ですよ、プリンス」
「でも……」
「エドゥアルド」
クラウスは言った。
名前で呼ばれ、エドゥアルドが、はっとしたような顔になる。期待に満ちた目で、クラウスを見る。まるでしっぽを振る犬のようだ。
「もし、あなたがアルベルク将軍のご子息にお会いになるのでしたら……私は、ギルベルトに会いに行きます」
「えっ!」
「だって、そうでしょう? 私にだけ、約束させるなんて、ずるいです」
「……わかった」
とうとう、エドゥアルドは言った。
「わかったよ、クラウス」
そう言って、クラウスを抱きしめた。
「仕方ないよ。お前が好きなんだもん。誰にも渡したくないんだもん」
溜息をつきながら、小声でつぶやいた。
「どうも、僕の敵は、同じタイプが多いようだ。開けっぴろげだけど、尊大で偉そうな、不埒な輩だ。ギルベルトは、……と似ている」
「ギルベルトが、どなたに似ているんですって?」
よく聞こえなかった。胸に顔を押さえつけられたまま、クラウスはくぐもった声で尋ねた。
「いや、なんでもない」
そっけない返事が返ってきた。
粥を食べさせ終わると、エドゥアルドは帰り支度を始めた。
「じゃ、僕は帰るけど……」
ついて来ようとするクラウスに気が付いた。責めるような目で見る。
「お前、寝てなくちゃダメじゃないか」
「ご一緒に参ります」
「なんで? それじゃ、さっき途中で止めた意味がない」
「はい?」
「いや。僕なら大丈夫だよ?」
「ええ。あなたなら、大丈夫です。でも」
後ろからエドゥアルドに上着を着せかけながら、クラウスは言った。
「私を刺した男は警邏に捕まったそうですが、刺客は一人とは限らない。それに、違う組織の敵がいるかもしれない。ここは宮廷ではありません。なんでもありの下町です。もし万が一、あなたを害する輩がいたら……私が、そばにいた方がよろしいでしょう」
「また、ゲシェンクの話か?」
「はい」
エドゥアルドが、くるりと振り返った。強い目でクラウスを見すえる。
「それは拒否する。僕は絶対に、お前の血は飲まない」
「ですが、私は、殿下をお守りすると申しました」
「不要だ。いかなることが起きようとも、僕に、お前の血を飲ませるな。これは、命令だ」
「プリンス……」
「命令だ。命令だぞ、クラウス」
「……」
足音荒く、部屋から出ていく。慌ててクラウスは、その後を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます