第33話 ふうふう


 「前も、お前は僕をかばってくれた」

数刻後、二人並んでベッドに横たわりながら、エドゥアルドが言う。

「前に……、ムーランドの人が馬車に石を投げ込んだ時」

「ああ」

気だるげにクラウスが答えた。

「そんなこともありましたね……。あなたに怪我がなくて、本当によかった」

「なぜそんな、お前は、いつもいつも僕を庇おうとする?」

 エドゥアルドは身を起こした。肩肘を突き、あおむけに横たわったままのクラウスを見下ろす。一瞬だけ、目が合った。すぐにクラウスの方で、視線をそらせた。もそもそと起き上がる。エドゥアルドと向き直って、俯いた。

「なぜ? そんなの。普通のことですよ。普通でごく、自然な衝動です。だって僕は、あなたのことを……」

はっとしたように口をつぐむ。

「クラウス。何と言った? よく聞こえなかった。もう一度、ちゃんと言って?」

エドゥアルドはクラウスの手を握った。ひどく熱い。

「大したことじゃありません」

手を取られたまま、消え入るようにクラウスが言う。

「そんなことはない。僕にはとても大切なことだ。どうか言っておくれ」

いやいやをするように首を横に振る。

「頼むから」

「言えません」

「どうして!」

 クラウスは真っ赤になっていた。目が潤み、空気が足りないというように、口をぱくぱくさせている。

「堪忍して下さい。なんだかもう、息ができなくて……」

そう言ってクラウスは、空いている方の腕で顔を隠した。



 家の中で、音がする。自分以外の人がたてる、音がする。

 ……ギルベルト?

 ……まさか。

 浅い眠りから、クラウスは目が覚めた。

 エドゥアルドの「何もしない」は、信用できない。それでも今日は、少しは手加減してくれた。と、思う。

 しずしずと、エドゥアルドがこちらに向かって歩いてきた。

 「宮殿に帰らないと、プリンス」

慌てて、クラウスは起き直った。

「あ、まだ寝てて」

 エドゥアルドは盆を捧げ持っていた。湯気の立つ器を載せている。

「ひどいものだ、お前の家の台所。燕麦しかない」

「あまり家では、食事をしませんから」

「こんなものしか、作れなかった」

「え?」

 傍らのテーブルに、盆を置いた。ベッドに腰かけ、湯気の立つ器を膝に乗せる。

「オートミールのお粥を作った。少しでも食べてくれ」

「作ったって、プリンス、あなたが?」

「そうだよ」

「嘘でしょ?」

「本当だよ。失礼だな。お前、何を驚いているんだ?」

「だって……」


 宮殿では、食事は、宮殿料理係が供していた。昔は、肉切係、献酌係、デザート係など、役割が細分化されていた。今では、そこまでのことはない。長かった戦争や、国際会議の供応のせいで、宮廷経済は常に火の車だった。だが、さすがに皇族が料理をするというのは、聞いたことがない。


「僕だって、料理くらいできるさ」

エドゥアルドは、鼻高々である。

「これからどういう世の中になるか、わからないからね。皇族だって、身分を追われれば、ただの人だ。自分のことくらい、自分でできなくちゃ」

 思わずクラウスは、畏敬の目で、エドゥアルドを見た。

 「って、ディートリッヒ先生が。料理とか服のこととか、いろいろ習うようにと。さ、冷めないうちに食べて」

木の匙でお粥を掬い、クラウスの口元に運んでくる。

「えーと、……」

「ほら!」

「皇族のあなたにこのようなことをさせるのは、勿体なくも忝く、」

 呆れたようにエドゥアルドは首を横に振った。

「さんざん、いろんなことさせておいて、今更……」

 乱れたベッドが目に入り、クラウスは思わず赤面した。

「あ! 熱いんだね! そうだ。僕が病気の時、ディートリッヒ先生はいつも、ふうふうしてくれた」

「ふうふう?」

「こうするんだよ」

木の匙に掬った粥を、一生懸命、口でふいている。

「はい。お口をあけて。あーん」

クラウスはためらった。

「ほら、あーーん」

「……」

「あーーーーーーーん」

観念して、木の匙をぱくりと口に含んだ。

「どう?」

こぼれそうな青い目が、心配そうにのぞき込んでいる。

「……おいしいです」

味なんて、わからない。

 「よかった!」

弾かれた様にエドゥアルドが笑う。

「本当はもっと、栄養のあるものを作りたかった。肉や野菜や豆を長く煮て、裏ごししたスープとか。あれは、滋養になるんだよ」

「これで充分です」

胸がいっぱいになった。

「これで充分ですから」


 「なあ、クラウス。ひとつ、約束をしてほしい」

 最後の一匙をクラウスに食べさせ終わると、エドゥアルドは言った。少しためらっている。

「お前は、あのギルベルトに会わなくちゃならないんだね。定期的に、彼の健康を確認しなくちゃならない」

「……ゲシェンクの話を聞いたのですね?」

「うん。びっくりした。そんなことがあるのだね。でも、お前の腹を見たら、それは真実だと信じるしかない」

 クラウスの腹の刺し傷は、ギルベルトと一緒に部屋に籠っていた数分の間に、跡形もなく消えてしまった。そしてギルベルトの手には、切り傷があった。そこから出た血を、クラウスに飲ませたのだ。

「お前は、彼を殺してあげなくちゃならない。それもわかった。でも……なるべく、彼に会わないで欲しいんだ」

「なぜです?」

「口ではうまく言えない。ただ、会うのは最小限にしてほしい」

「わかりました」

 クラウスは言った。どのみち、自分は、そう決意したのではなかったか。だから、あの赤いスカートの女の子……エマ……に、ギルベルトのことを知らせてほしいと頼んだのだ。

 エドゥアルドは、ほっとしたようだった。


「その代わり、私も、殿下にお願いがございます」

「なんだ」

 クラウスから言質を取り、エドゥアルドは、満足そうだった。何でも聞いてやる、とでも言いそうな顔をしている。

「アルベルク将軍のご子息とは、お会いにならないで頂きたい」

「それは……」

「お母様と将軍のことは、もう、ほっておいておあげなさい」

「でも、知りたいんだ、」

「将軍は、亡くなられました。今更ですよ、プリンス」

「でも……」

「エドゥアルド」

クラウスは言った。

 名前で呼ばれ、エドゥアルドが、はっとしたような顔になる。期待に満ちた目で、クラウスを見る。まるでしっぽを振る犬のようだ。

「もし、あなたがアルベルク将軍のご子息にお会いになるのでしたら……私は、ギルベルトに会いに行きます」

「えっ!」

「だって、そうでしょう? 私にだけ、約束させるなんて、ずるいです」

「……わかった」

とうとう、エドゥアルドは言った。

「わかったよ、クラウス」

そう言って、クラウスを抱きしめた。

「仕方ないよ。お前が好きなんだもん。誰にも渡したくないんだもん」

溜息をつきながら、小声でつぶやいた。

「どうも、僕の敵は、同じタイプが多いようだ。開けっぴろげだけど、尊大で偉そうな、不埒な輩だ。ギルベルトは、……と似ている」

「ギルベルトが、どなたに似ているんですって?」

 よく聞こえなかった。胸に顔を押さえつけられたまま、クラウスはくぐもった声で尋ねた。

「いや、なんでもない」

そっけない返事が返ってきた。



 粥を食べさせ終わると、エドゥアルドは帰り支度を始めた。

 「じゃ、僕は帰るけど……」

ついて来ようとするクラウスに気が付いた。責めるような目で見る。

「お前、寝てなくちゃダメじゃないか」

「ご一緒に参ります」

「なんで? それじゃ、さっき途中で止めた意味がない」

「はい?」

「いや。僕なら大丈夫だよ?」

「ええ。あなたなら、大丈夫です。でも」

後ろからエドゥアルドに上着を着せかけながら、クラウスは言った。

「私を刺した男は警邏に捕まったそうですが、刺客は一人とは限らない。それに、違う組織の敵がいるかもしれない。ここは宮廷ではありません。なんでもありの下町です。もし万が一、あなたを害する輩がいたら……私が、そばにいた方がよろしいでしょう」

「また、ゲシェンクの話か?」

「はい」

 エドゥアルドが、くるりと振り返った。強い目でクラウスを見すえる。

「それは拒否する。僕は絶対に、お前の血は飲まない」

「ですが、私は、殿下をお守りすると申しました」

「不要だ。いかなることが起きようとも、僕に、お前の血を飲ませるな。これは、命令だ」

「プリンス……」

「命令だ。命令だぞ、クラウス」

「……」

 足音荒く、部屋から出ていく。慌ててクラウスは、その後を追った。




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