第29話

「おかえり。決心はついた?」


 病室に入るなり、テクトはそう言った。彼の言う通り、アオイは既に決心がついていた。


「二つ条件があるわ」


 ベッドのそばに立ち、アオイはそう言った。テクトはその条件を言うよう促してきた。


「一つは、局員としての仕事の合間に吟遊詩人としての活動を認める事。もう一つは、何時でも辞めて良いという事」


「うん、いいよ」


 テクトは二つとも快諾した。その様子から察するに、両方とも元から許されているようだった。


「……それじゃあ――」


「――待って待って!」


 アオイはテクトの言葉を遮った。自分でも意外だったが、未だに心の準備が出来ていないようだった。


「……何?」


「……具体的にあたしはどんな仕事をしたらいいの?……まさかずっと荷車を牽けっていうわけじゃないでしょうね?」


「……それもありかもしれないけどね。でも君にはもっと適した役割を果たしてもらうよ」


 その役割とは、現地の有力者との交渉だった。街道を敷かれるのを喜ばない村や町はあまりないが、それでも快く思わない、或いは何か条件を提示してくる者もいるらしい。その時にアオイに交渉、或いは現地の住民と仲良くなって工事を円滑に進められるようにしてほしいとの事だった。


「謁見の間で良い感じに話をまとめてくれたでしょ?あれ凄く助かったし、今後もああいう感じの事をやってほしいんだよね」


 自分ではそう思わなかったが、どうやら会話の上手さが評価されているようだった。


「それに……僕が言うのもなんだけど、局には曲者だったり、人と話すのが苦手だったりする人が多いから……」


アオイは裸になりたがるエルフ族を思い出したり、メンをチラリと見たりした。


「……確かにそうね」


 それらと比べると適任だった。


「……もういい?」


「……きゅ、給料は?一月幾ら貰えるのよ?」


 もう少し時間的猶予を稼ぐため、さして気にしてない事を聞いた。


「……そんな事聞きたいの……?……まあいいや、月当たり金貨二枚かな」


「金貨二枚!?」


 金貨十枚で四人家族が一年生活できる。雇われの身としての月当たりの給与としては破格だった。「まあ、暫くは見習い扱いだから金貨一枚だけどね」


 半分になったが、それでも見習いとしては破格である。一人で食べて暮らしていくには十分すぎる額であった。しかし、テクトの様子を見ると、それを多いとも感じていないようだった。


「こんな話聞いたら、少し前まで敵意を持っていた立場だったのよね……。あたし……」


 それなのに、自分が庶民から敵意を持たれる立場になるとは夢にも思っていなかった。


「……それは聞かなかった事にするよ。ところで、もういいかい?」


「……ええ、いいわ」


 そんなつもりは無かったが、人というものはやはり現金なようで、給料の額を聞いたら、寧ろ入らない方が損なように思えてきた。


 アオイの返事を合図にテクトが右腕を差し出した。動きに支障は無いようだが、擦り傷や切り傷だらけで痛々しかった。アオイはその手を刺激しないようにそっと握った。


「ようこそ!街道保安局へ!」


 テクトの手が、アオイの手を力強く握り返してきた。


 テクトとの握手が終わると次はメンと握手をした。大きく分厚いメンの手にアオイの手は包み込まれた。


「これからよろしくね!メンちゃん!」


「私の方が先輩になるので馴れ馴れしくしないで貰っていいですか……?」


「……案外そういうの気にする人だったんですね……」


 アオイが先輩としてメンを敬い始めると、メンはクスリと笑った。


「冗談です……。いつも通りでお願いします……」


 メンは可愛く舌を出した。


  


 翌日、アオイ達はドワーフの町を後にした。家財を載せたトルクルの牽く荷車が最後方に加わり、車列は三台となっている。先頭は行きと変わらずアオイの牽く荷車だった。怪我をして歩けないテクトも変わりなくその荷車に乗っている。


 この地域では珍しい快晴の下、三台の荷車は未舗装の路面をゆっくりと進んで行く。気温の低い地域とはいえ、日が顔を出していると暖かい。その温かさを春だと認識したのか道中にある幾つかの蕾が花を開いている。


「あ、そうだ」


 アオイは腰に付けた巾着袋を思い出した。中にはその命を費やしてアオイに光を与え続けてくれたタイヨウボタルの死骸が入っている。


 テクトに一言断ってアオイは荷車を止めた。アオイは道端の花が密集して咲いているところを選ぶと、手で穴を掘り、タイヨウボタルをそこに埋めた。


 虫も殺さない程お人よしでもないが、かと言って自分の為に頑張ってくれたものをその辺に捨てていく事が、アオイには出来なかった。


 そんなささやかな善行を、テクトは微笑みながら荷車から見ていた。そして初めてアオイと会った時の事を思い出した。


 間道で人の気配を茂みに感じて、何気無く始めた試し行為。茂みの中にいた者は財布には手を伸ばさず、果実に手を伸ばした。そしてそれすらも途中で自制して、その手を引っ込めようとしていた。飢えているにもかかわらず、果実一つすら盗る事をためらう善性を持った者。それこそが街道保安局局員に何よりも必要な素質だと父は言っていた。虫の命にすら感謝しているアオイを見て、思わずその手を掴んでしまった当時の自分を、テクトは褒めたくなった。


 アオイは手に着いた土を払うと荷車の方へと戻って行った。巾着袋を忘れずに持って。


「お待たせ。ほら、返すわ」


 アオイはテクトに巾着袋を投げて返した。テクトはそれを受け取る。


「律儀だねぇ」


 アオイは改めて荷車を牽き始めた。山から離れていっている為、来た時とは逆の下り坂である。そこまで力を籠めずとも荷車は動き出してくれた。


 車列はまたゆっくりと進んで行った。


 荷車を牽きながら何気なくアオイは空を見上げた。その視線の先に、雲一つない青空を、鳥の群れが編隊を組んで、同じ進行方向に向かって飛んでいっているのが見える。


 アオイは大空を軽々と飛んでいく鳥達を羨ましく思っていた。なぜ人は、苦しい思いをして地を移動しなければならないのか。昨日までのアオイであればそう思うしかなかっただろう。しかし、今の自分は羨ましく思うだけでなく、移動をいかに快適にできるかという事を考えていた。今はそれが実現できる立場にある。アオイは一つ案が浮かべば、その度に、後ろにいるテクトにその案の是非を尋ねていった。テクトはそんな素人丸出しのアオイの発想を一つ一つ面白そうに吟味しては、良い点と駄目な点を指摘していく。


「いっそ荷車を全部一つに連結するっていうのはどう?」


「悪くない発想だけど、その重量を牽くのに巨人族か大量の馬が必要な所と、その連結された荷車を制御する方法が今は無いってところが難点だね」


 そんな問答をしながらアオイは荷車を牽いていく。後ろからテクトの楽しそうな声が聞こえてきた。


「いやぁ。十四年生きてきたけど今が一番楽しいや」


 街道を目指していく荷車を、荒れた路面の凹凸が激しく揺らす。街道保安局の仕事が及んだ範囲は人魔界全土からすれば極僅かにすぎない。


 今はまだ。

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