第22話

 日が沈んだ。月は無い。


 魔物は夜目も利く。夜間に襲われる可能性が高い為、その備えとして荷車を囲むように用意した篝火が唯一の光源だった。


 逃げても見張りが付いている以上、どこまでも追いかけて来るらしい。それなら闇雲に移動するよりも、開けたこの地形で彼らを迎え撃った方が良いというテクトの考えにより、襲撃された場所から動くことはしなかった。


 二台の荷車の間で焚火を始め、三人ともそこに集まる。見張りはいらないのかとアオイはテクトに尋ねたが。自分が起きているうちは、篝火の灯りの下行われる見張りなどは不要とのことだった。エルフ族は感覚が鋭敏らしく、闇夜の中でも何かが近づいて来るのが分かるらしい。


「ラリウス程じゃないけどね」


 あの裸のエルフ族はどうやら特異な存在らしかった。アオイはそれを意外には思わない。


 アオイ達が囲む焚火の爆ぜる音が、時たま鳴る。


 まだ日は沈んだばかりであり、夜を明かすにはまだ長い時間を要する。テクトは暇つぶしまでにと、魔王が如何にして人魔界全土をその手に収めようとしたのか話し始めた。アオイは神話や物語などは両親からよく聞かされていたが、こういう歴史の話はあまり聞いてこなかった。その為、新鮮な気持ちでテクトの話に耳を傾けた。


 魔界には人間よりも戦闘に適した種族が多くいる。巨人族、エルフ族、リザード族、その他沢山。魔物はリザード族にも蹴散らされるような強さであり、それよりも更に強い巨人族もいる。にも拘らず、どのようにして大半の部族を服従させたのか。


 それは、魔物の持つ機動力を最大限に生かしたのだった。決して強い種族と正面切って戦うようなことはせず、守りの弱い村や町を襲撃しては、助けが来れば退いていく。そうしていると、何年も襲撃され続けた村の中に自分達の居場所を守る為、助けに来てくれる者達を裏切り、自分達を襲う存在である魔王に服属を誓うものが出て来る。最初の村が魔王の手に落ちると、我も我もと他の村も同じ様に従属を誓っていった。


 魔王は従属した者達には優しかった。約束通り村を襲わない上に、その見返りも魔物達の食糧として村の余剰生産物を僅かに求めるだけであった。それどころか、魔王は襲った他の村から強奪した金品を分け与えたりもした。我が身の可愛さだけで裏切った者たちはそれだけで懐柔された。初めは村を守る為であった形だけの服従が、何時しか心からの崇拝に変わっていった村もあった。『魔王の下につけば富を得られる』そんな風評が、人間界魔界を問わず、巡った。


 そこで一旦区切りをつける為か、テクトがお茶を啜った。


「……まるで見てきたように話すのね」


「そっちの方が臨場感あって良いでしょ?」


 或いは本当に見たのかもしれない。とアオイは思った。長命のエルフ族ならあり得る話である。


 またテクトは語り始めた。


 巡った噂は、魔王に、人間と魔人が混成された軍勢を与えた。中には戦うのを避けていた巨人族やリザード族などもいた。それでもその時の魔王の勢力は、魔界の五分の一にも満たない。残りの部族や、人間界の王国の力を合わせれば容易に勝てるはずであった。しかし、当時は交通網が整備されておらず、人間界から魔界に軍勢を派遣するのは極めて困難であり、魔界の部族達も日和見しようとする所が多く、力を結集して戦う事は実質的に不可能だった。


 魔王軍は各地を攻撃して回った。力の合わせられない部族達は各個に撃破されていった。そうして遂に有力な巨人族の里がその手に落ちた時に、


「僕の父さんが王都に流れ着いたんだよねぇ」


 テクトが自慢気に言った。


 またか。とアオイは思った。よく聞かされるテクトの父親の自慢話と分かり、半ば聞き流した。話によれば、流れ着いた後に王に謁見。その後、魔界まで続く軍勢の通れる簡易的な道の作り方を指導し、すぐ魔界へと単身移動。各地の部族の長に話をつけて、その力を結集し、やってきた人間界の軍勢と共に、魔王軍と戦い、魔王を倒したらしい。しかも自らの手で。


 創作にしても、もう少しその強さを抑えるべきだろうとアオイは思った。


「もしかして信じてない?」


 テクトがそう言った。アオイの顔を覗き込みながら。自分では無意識だったが胡散臭いものを見るような目をしていたのであろう。


「……ええ」


 何故信じないのかテクトが尋ねてきた。


「……まず話に現実味が無い所ね。それに、そんなに凄い人なのに何故あまり語られないのかしら?」


 テクトが言うには、父自身がそれを望まなかったらしい。


「……それならあまり人に話さない方が良いんじゃないかしら?」


「……それもそうだね」


 それでも色んな人に知ってほしかったんだよね、とテクトは言った。


「そこまで息子に愛されるなんて、父親冥利に尽きるわね」


 また焚火が爆ぜる音がした。


 魔物の群れが襲ってくるのは、今晩とも限らない。もしかしたら明後日かもしれない。その為、持久戦に備えてアオイ達は交代で見張ることにした。


  


 結局、その晩に魔物達は襲ってこなかった。


「どうしようかなぁ」


 昨日と同じく荷車の間に集まり、焚火の後を囲んで朝食を食べている最中に、テクトがそう言った。アオイが聞くと日中の内に移動するか、このまま動かずにいるか迷っているという。


「このまま進むと森に入るんだよねぇ」


 テクトが地図を見せてきた。確かに進行方向に森の表記があった。森の中は視界が狭まる。そこで奇襲がある可能性が高いとテクトは言う。


 アオイはチラリと後方を見た。自分達と同じように交代しているのか、それとも一匹で一晩中張り込んでいたのかは知らないが、昨日見つけたところと同じ場所に魔物がいた。呑気に寝そべりながらあくびをしている。


「進みましょう。このままここに居ても埒が明かなそうだし……」


 テクトもメンもそれに賛成した。


 視界の悪い森を通り抜けるまで、奇襲に備えてテクトが荷車を牽いていく事になった。アオイはそれまで荷台の上に乗っていくだけである。重しにしかならない自分が情けなかった。


 坂の頂上を過ぎると、すぐそこに森があった。森の中は背の高い木しか生えておらず、意外にも視界を狭めるような茂みは殆どなかった。


「……何かいるような気がする」


 テクトはそう言いながら周囲を見回しながら荷車を牽いていく。アオイも周りを見たが、魔物が隠れられるような遮蔽物は無かった。


 テクトが歩みを進める度に、乾いた落ち葉を足と車輪が踏む音がする。それが非常に小気味いい。アオイはそんな場合では無いと分かっていつつも、つい、遊覧気分に浸ってしまった。


 アオイは改めてゆったりと辺りを見回した。この辺りの樹木は針葉樹林が多いようだった。針葉樹林は寒さに強い種であると両親が言っていた。確かに、出発前にテクトに言われた通り、アルビオス山脈の麓に近づけば近づくほど気温が低くなっている。そんな事を思い返しているとアオイの手に冷たいものが落ちてきた。それはアオイの体温によって溶けて水滴になった。


「雪ね……」 


 アオイは空模様を見るために上を見上げた。空がどんよりとした雲に覆われているのが木々の隙間から見えた。そしてその木々の枝が風も無いのに動いているのも。いや、枝にしてはうねうねと柔軟性を持って動いている――


「――上にいるわ!」


 アオイは咄嗟に叫んだ。その叫びは、魔物が樹上から飛びかかって来るのよりは早かった。間一髪のところでアオイの声に反応したテクトが、自身目掛けて飛びかかってきた魔物に剣を突き立てる。


 これで残り十二匹。と数えた時、別の木の上に潜んでいたのであろう魔物が、アオイの真横に飛びおりてきた。アオイはその魔物と目が合った。その極端に白目の大きな眼を見て、すぐ友好を結べそうな相手では無いとアオイはすぐ悟った。


 逃げる。そう思った時には既に、魔物の攻撃は繰り出されていた。四足歩行の動物であるならば尻尾のついている辺りであろう場所から生えたトゲのついた三条の触手をアオイに向けて叩きつけてきた。


 叩かれた箇所に激痛が走った。しかし、ジェベル夫婦から貰ったポンチョのおかげで肉を引き裂かれては無かったようだった。


 魔物がアオイを見ながら唸ってきた。それは自分の攻撃が効いてない事に苛立ちを感じているようにも見えた。アオイは助けを求めようと、一瞬、テクトの方を見たが、数匹の魔物に囲まれており、そんな余裕は無さそうだった。恐らく後方にいるメンも同様だろう。二人の内のどちらかが魔物を片付けるまで、一人でこの状況を切り抜けていくしかないようだった。


「……落ち着いて……。……いい子だから……。……ね?」


 言葉が通じない相手だとしても、アオイには語りかけて宥めることしか出来ない。魔物の方は獲物の隙を伺っているのか、それとも語り掛けて来る獲物が珍しいのか分からないが、小首を傾げながら暫くアオイを見つめていた。その様子が妙に愛嬌があるように感じられ、『もしかして』をアオイに思わせた。


 しかし次の瞬間、アオイは飛びかかられた。首元に鋭い牙が向かってくる。アオイは魔物の首を掴んで必死に抵抗した。何度か避けた口から、魔唾液が滴ってきてそれが顔にかかる。それからは肉を腐らせたような臭いがした。


 逃げ出そうにも魔物の足がアオイの胴体を押さえつけている。ポンチョのおかげで鋭い爪がアオイを傷つける事は無かったが、強く圧迫されて痛い。


 もうだめかもしれない。そう思った時に、魔物が短い悲鳴を上げてアオイに覆いかぶさってきた。動かなくなった魔物から抜け出すと、魔物の胴体に投げ矢が刺さっているのが見えた。


「大丈夫?大分じゃれつかれてたようだけど」


 投げ矢の持ち主がそう声を掛けてきた。彼の周りには魔物の死骸が転がっていた。


「ええ……助かったわ」


 メンの方も丁度片付いたようで血の滴っているハンマーを携えて後方からやって来た。


「こっちも終わりました……!」


 少し興奮しているのだろう、頬が上気していた。


 荷車の周囲に散らばった魔物の死骸を数えると昨日の分も合わせて十七匹となった。結局、魔物は最後の一匹になっても、逃げることなく襲い掛かってきたようだった。


 魔物の死骸を道の端に寄せてから、またアオイ達は道を進み始めた。死骸は雪に埋もれる前に森の獣が片付けてくれることだろう。

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