第11話

 出発は、日が出てすぐだった。


「出発!」


 テクトの出発の号令と共にアオイはハンドルを掴み、荷車を押し出した。もう一台の荷車はメンが牽く。全力を出せないようアオイの牽く荷車の後ろから。


 二台の標準荷車の車列は最初の目的地である、王都に繋がる上水道の補修工事の現場へと向かうため、アッピア街道を西へと進んだ。王都に来た時の道を暫く逆進し、そのまま街道から折れずに進み続けたところにあるらしい。


 実際に自分で牽いてみて分かったが、街道はやはり間道の何倍も進みやすかった。凹凸がほとんどなく、一定の力で荷車を動かし続ける事が出来た。何より嬉しいのは、大きな窪みが全く無い為スタックしそうにないところだった。


 空は雲一つもない快晴。街道沿いには春の暖かさを鋭敏に感じ取った花や木が蕾を開いているのが見える。アオイはこの仕事もそこまで悪いものじゃないと思えてきた。今まで自分の行った事の無かった土地に行ける上に、宿代も出る。


 なんなら空いた時間があれば通りかかった村などで演奏をしてもいい。そうすればその土地の有力者に目を掛けられ、支援者となってもらえるかもしれない。そう空想し始めた矢先、後ろから聞こえて来るテクトの声で現実に引き戻された。


「最初の難所が見えて来たね」


 気付けば進行方向に小高い丘が待ち構えていた。坂は短いが角度はかなりきつい。登り切るには相当の体力が要求されるに違いなかった。


 しかし、丘一つぐらいならどうという事も無いとアオイは思った。坂というのは基本的に登れば次は下りである。何とか頂上に到達できれば後は楽な下りが待っている。


「応援の気持ちを込めて一曲弾くね」


 坂に差し掛かると、安っぽい音と微妙に外れた調子の演奏が後ろから聞こえてきた。その曲はアオイも知っている人間界で最も有名な歌だった。題は『労働者の歌』である。労働者の歌と言っても内容は、執拗に鞭打たれながら重い馬車を牽いていく老いた馬車馬の心境を綴った歌詞を、陽気な伴奏で歌いあげるものである。今の状況のアオイにピッタリな曲だった。


「……いいチョイスなのがムカつく」


 坂を上り始めると、荷車が強い力に押され始めたのをハンドル越しに感じ取った。昨日言った通りメンが手助けしてくれているのだとすぐに分かった。アオイは心の中でメンに感謝した。とはいえ、そのやさしさに頼り切るのはよくないと、少しでも迷惑をかけないようにする為、アオイは微力ながら全力を振り絞った。


 丘の頂上が近い。あと少しで向こう側の景色が見える。そこまでくれば後は下り。そう自分を励ましながら、やっとの思いで登ったアオイの視界にはもう一つ丘が聳え立っていた。


「ここが最初にして最大の難所。中々クるものがあるでしょ?」


 アオイは休憩を申し出た。テクトはそれを承認せず先へ進ませた。


 連続した丘を越えると後は平坦な道のりだった。暫くゆったりと進んでいるとアオイは再び周囲の景色を楽しむ余裕が出てきた。辺りを見回しながら、目に入る動植物達から春の訪れを見出していると、白い山肌がむき出しとなった山を見かけた。直線的に削られている事から人の手によるものだと分かる。


「ああ。あれは採石場だよ。あそこから切った石は建物や上水道、そしてこの街道の路面など様々な用途に使われるんだ」


 アオイの目線に気づいたのか、後ろからそう解説する声が聞こえた。


 人間界にある石切り場は、昔は個人がそれぞれ所有していたが、テクトの父親がその能力に見合った社会的地位を得た時に全て国有化にしたという。街道保安局が出来てからは局の管轄下に置かれていて、そこの石材の売買によって発生する利益も局の運用に使われているらしい。統一連盟から提供される資金に次ぐ財源らしかった。


 アオイは荷車を牽きながら、後ろを振り返った。


「この道ってあそこに繋げる為に敷かれたのよね?」


「よく知っているね。正確にはあそこと他の三ヶ所の石切り場を王都までつなげるために敷かれたんだ」


 その用途と、初めて出来た石の路面の道路から、当時は『石の道』とも呼ばれていたともテクトは言った。


「……あんたのお父さんってどこから建築技術を学んできたのよ?やっぱりドワーフ族?でも、そういう話は聞いた事ないのよね……」


 ドワーフ族は優れた技術力を有している。特に石等の使い方については他の追随を許さない。これは誰もが知っている常識である。ただ、非常に排他的な為、もし、他種族の者が何らかの技術を伝授されたとすれば、その希少さ故に必ず伝承となり、後代にまで語り継がれるはずだった。しかし、アオイはそのような物語を聞いた事が無い。


「父さんが言うには遠くの……本当に遠くの故郷で学んだらしい」


「ふーん……」


 アオイはテクトの父親が魔界の北側生まれなのだと思った。そこなら確かに未知の技術があるかもしれない。テクトは人間とのハーフエルフ族である。確かに自分でそう言っていた。という事は、父親はそこのエルフ族なのだろうと考えている途中、前方から大きな荷車が来た。


 アオイはその荷車を避ける為、道の脇によった。その横を、六頭の大型の馬に牽かれた大きな六輪の取り付けられた荷車が通り過ぎていく。その上には石切り場から送り出されたばかりであろう石柱が一本、積載されていた。


 アオイは何も聞いたりして無いが、後ろから勝手に解説が聞こえ始めた。


 なぜ石材の状態ではなく石柱に加工してから運ぶのかというと、少しでも輸送の負担を減らす為に余分な部分を削っておきたいからだという。そのため、石切り場には山肌から石を切り出す石切工が居るだけではなく、石材を注文通りに加工する石工も常駐しているらしい。


「道を通って来るからあの石柱は小さめだったけど、川を流れて来る場合はもっと大きいよ」


 それから、道の分岐点に着いた。行先はこのまま真っすぐか、石切り場のある右へ曲がるか、である。


 テクトは真っすぐに進むよう言った。アオイは言われた通りに進んだ。分岐点に立てられている看板には『この先、王都に住まう全ての者の水瓶』と書かれていた。

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