第10話

 翌朝、メンに宿まで迎えに来てもらい、アオイは街道保安局へと向かった。


 局は王都の端、殆ど郊外と言ってもいいような場所にあった。大量の資料だったり機材だったり荷車だったりを置いておける場所が王都内には無く、それに働いている巨人族もいる為王都内では不都合も多いからとメンは言った。メンが『働いている巨人族』と言った時、僅かに感情に揺らぎがあったように感じられた。


 大量に並べられた標準荷車の列をすり抜け、入り口に向かう。荷車は売り物らしく、値札が張られていたが、話に聞いた通り割高だった。こんな値段では、どれだけ推進しても市井には浸透するはずもない。


 大きく改築された痕跡のある入口を開けると、巨人族が働いているという割に、中は思っていたよりこじんまりしていた。町中で見た水飲み場の様な噴水が部屋の隅に置かれ、真ん中には、恐らく会議用であろう十数人が囲める大きさの大理石のテーブルが鎮座していた。しかし、テーブルの上には、他に作業机が無いのか資料らしき書籍や設計図、何らかの機材が散乱している。


 席にはテクトともう一人ゴブリン族がついていた。テクトは入ってきたアオイに気づくと手招きし、ゴブリン族に紹介した。


「この人が昨日話してたアオイ。アオイ、この人がうちの一番の古株のグナリ爺さん」


 グナリ爺さんと呼ばれたゴブリン族の老人は、アオイに手を差し出し握手を求めた。あの一件以来ゴブリン族に苦手意識を持っているアオイは、恐る恐るそれに応じた。


「同族が君にひどい事をしたらしいな。変わって謝罪する」


 グナリはアオイの持っていたゴブリン族への印象が変わるほど流暢に、そして紳士的にそう言った。


 アオイはグナリが本当にゴブリン族かどうか疑わしく思えた。現に体毛の生えない種族であるのにも関わらず白い豊かな眉と髭が生えている。


「ああ。これが気になるのか?」


 アオイの視線から意図を読み取ったのか、グナリは眉と髭を取り外した。


「年長者としての威厳を保つために必要なのさ」


 そう言い、グナリはいたずらっぽく片目を閉じてみせた。


「さて!紹介も終わったところで、これからする仕事の説明を始めよう!」


 テクトはそう言って隣室に入って行った。『資料室』と書かれている看板が入り口の上にある。アオイが適当に空いている席に座ると、テクトは大きな地図を持って戻ってきた。


 テーブルの上に散乱する物を押しのけ、テクトが広げた地図には、人魔界全土が鳥瞰で描かれていた。


 人魔界は主大陸と呼ばれる丸い大陸と、その周りに点在する幾つかの諸島で構成されている。


 主大陸は、その中央付近に東西に連なる『アルビオス』と呼ばれる山脈で南北に分断されており、南側は人間界、北側は魔界となっており、アオイが今いる王都は人間界にあった。大陸の端から端まで連なるこの山脈のせいで人間界と魔界双方の領域を行きするには今のところ海路で時間をかけて移動するか、険しい山道を進むかしかない。


 故に、大陸を横断する巨大な山塊にトンネルを南北に貫き通し、人々の往来を快適にする事は、街道保安局の悲願であり、果たさなければならない使命なのだとテクトは力説した。


「そして、遂に!その悲願が果たされるかもしれない!何故ならここに!ドワーフ族の穴倉があり!噂によれば既に開通している坑道があるらしい!」


 テクトが示した位置は山脈の西の方、山が薄くなっている箇所だった。一番厚い箇所と比べて三分の二程であろう。それでも人の足で横断するには三日ほど必要そうではあった。


「そこのドワーフ族の町は確か……。やはり、そうだ。統一連盟に加入していないな」


 書類を手にしながらグナリはそう言った。


 統一連盟という言葉聞き、アオイはそれについて両親が言っていた事を思い出した。


 統一連盟とは正式名称『人間界と魔界の者達が平穏に暮らせるために制定された統一法を遵守する連盟』といい、街道保安局設立とほぼ同時期に二度と争いが起きない事を目的として結成された。これに加入すると年に一度、税収の一割を連盟機構に収めなければならないが、街道保安局による将来的なインフラの建設と、連盟間での相互の安全の保障が約束される。


 逆に言えば、これに加盟していない都市や集落には街道を敷く事が出来ない。


「問題はそこなんだよねぇ……」


 連盟が発足された当初、人魔界の殆どの国や都市や村は加盟した。税収の一割の支出は少なくないが、それでも整備された街道が繋がれば安いものである。更に連盟の相互扶助関係にも加入できる。寧ろ入らない方が損であるとアオイの両親は言っていた。


 それでも加盟していないという事は、よっぽどの曲者が指導者なのだろうとアオイは思った。


「私が話を着けに行こうか?」


「うーん……。……いや。グナリ爺さんには壊された橋の再建をしてほしい。あいつらは権威主義者だから、局長の僕じゃないと話を聞かないだろうし……」


 橋を壊し、人を殺めた者達と同等の呼び方で、ドワーフ族の事を呼ぶテクト。その顔は険しかった。


「……ドワーフ達と何かあったの?」


 アオイは隣にいるメンに小さな声で尋ねた。


「いえ、何も……。ただ、エルフ族の血がそうさせるみたいです……」


 しょうもない。と叫びたい気持ちをアオイはグッと堪えた。


「それに、道中の作業現場も監督しておきたいから僕達で行くよ」


 『僕達』と言った時にテクトはアオイとメンの方を見てきた。きっと王都に来た時と同じ面子なのだろう。


 その後『僕達』はドワーフの元へと向かう旅の準備の為、王都へ買い出しに行った。テクトが言うには、旅の行程はそこそこ長く、道中に村等は少ないらしい。本格的な野宿の準備が必要だという。三人分の保存食、寝具、水源を見つけた時に水を保存して置ける水瓶。それに気温の低い山脈地帯に向かうために防寒着も揃えた。


 それらを全て荷車に載せ、土工具や機材も載せるとなると荷車が二台必要な量になった。


「よし。後は柱を立てて幌を張るだけだね」


 初日の様に防水布を積載物に掛けるだけでなく、幌を張れば荷物を雨風から守れるだけでなく野宿の時の生活空間にもなる。実際、幌の張った荷台に乗ると居心地が良く感じられた。これも流浪の者の性かもしれないと思うとアオイはなんだか誇らしくなった。


「……これで終わりと。明日早くに出発するから今日はこれで解散しよう」


 幌を張り終えるとテクトはそう言った。和やかな雰囲気で家路につこうとするテクトとメンをアオイは慌てて止めた。


「馬は!?この荷車はどう見ても馬が牽くべきよ!」


 幌を張った荷車はもはや馬車である。人が牽いている所など見た事が無い。


「ごめん……馬は苦手なんだ……」


 テクトは遠い目をしながらそう言い、去っていった。


「馬となんかあったの?」


 アオイは傍らにいたメンに尋ねた。


「局長は昔……馬に蹴られて大怪我を負ったらしいです……」


「……それなら……まあ……」


 トラウマがあるなら仕方ないとアオイは思った。


「私、後ろから押しますから……。一緒に頑張りましょう……!」


 頼もしい励ましに礼を言い、アオイはメンと別れた。




 その後、アオイは宿へは戻らず、明日からの過酷な労働に備えるため、鋭気を養おうと美食に耽る事にした。通りに立ち並ぶ屋台の、彩りと香りに目移りしながら、これと思った物を買い、舌鼓を打つ。所持金が少ないのが残念だが、その限られた予算をやりくりするのもまた楽しく感じられた。


 そうして街を散策していると、ふと、路地に人間の子供が数人立っているのが見えた。子供達は皆やせ細っており、格好もみずぼらしいものであった。アオイが今まで見てきた地方の村々では見る事の無かった光景であった。


「あまり関わらない方が良いよ」


 その声は、まるで次にする行動を予見したかのようにアオイを制止した。


「……何であんたがここにいるのよ」


「家が近所なだけだよ。それよりも、あの子達と関わり合いになっても多分気が沈むだけだよ」


 テクトは苦虫をかみつぶしたような顔をしながら、彼らの置かれている事情を話し始めた。


 魔王が倒れてから人魔界は当時と比べてだいぶ豊かになったが、その恩恵にあずかれない者は必ず出て来る。貧しさのあまり親から捨てられた子供が都市部では後を絶たなかった。昔であればそれらは奴隷として売られ、劣悪な労働環境に送られない限りは、最低限の衣食住の確保は出来た。しかし、統一法施行後、それに書かれている『人の自由と平等の為の奴隷の禁止』の条項によって、親の庇護を失った孤児達は、心優しい大人によって実の子供の様に扱われるか、もしくは邪な大人に見返りを求められながら自立できるようになる日を待ち続ける、或いは顔も思い出す事のできない親を思いながら餓死していくしかなくなった。最近になってようやく王都ではそのような境遇の子供達を集めて養育する孤児院が設立されたが、増え続ける子供の数に対して、国から与えられる運用資金は少なく、孤児たちを辛うじて飢えさせないようにする事で精一杯という現状であった。


「彼らに一時的に施しを与えても、何の根本的な解決にもならないよ。それでもするのかい?」 


 確かに自分のする事は偽善かもしれないとアオイは思った。しかし、だとしてもやらないという考えには至らなかった。


 アオイは近くの屋台で焼き菓子を子供達と同じ数だけ購入すると、すぐさま路地に持っていき、渡した。


 子供達はおずおずとそれを受け取ったが、一向に食べる気配がなかった。何故食べないのか理由を聞くと、院にはまだ自分より小さな子共がいるから持って帰るのだという。


 アオイはその言葉に感極まった。だが、取り出した財布の重さは人の支援をする余裕が無いほど軽かった。


 どうしようも出来なくて立ち往生するアオイの横を、甘い香りのする大きな包みを抱えたテクトがすれ違う。


「はいこれ。皆の分もあるからね」


 子供達の反応は、アオイの時と違って慣れ親しんだ者に甘えるような感じだった。礼を言い、嬉しそうに立ち去る子供達。それを笑顔で見送るテクトをアオイは訝しんだ。


 元気に遠ざかっていく足音が聞こえなくなると、振り返ったテクトと目が合った。


「……何その顔は?さっきは一時的な施しが根本的な解決にはならないと言っただけで、局としても僕個人としても継続的な支援はしてるけど?」


「そうだったのね。ごめんなさい。それに……ありがとう」


 自分が何かされたわけではないが、自然と感謝の言葉が口から出た。


「どういたしまして」


 テクトは満面の笑みでその謝罪と礼を受け取った。しかし、中身が無くてヘたったアオイの財布を見るなりその笑みはすぐに引いた。そして、その代わりに冷たい目線をアオイに向けた。


「……それより、人に施しを与えるのは良い事だけど、それはあくまで生活に余裕のある者がするべきだよね?」


「その通りね……」


 アオイは痛いところを衝かれた。現在のアオイは相場よりも低い給料で働いている身の上である。人助けは素晴らしいが、それで助ける側が犠牲になるのは助けられる方も望まない。


「そんなに人助けがしたいなら。……君、街道保安局に入らない?」


 アオイはテクトのその言葉を冗談として受け取った。人助けと街道保安局に入る事に何の関係性も見いだせなかった。


「お断りするわ。吟遊詩人として成功を収めたいの」


「……そう……頑張ってね……」 


 そう言って去って行くテクトの背中が、アオイには何故だか小さく見えた。

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