第12話
『水瓶』へは街道が敷かれている。その方向へと進んでいくと、王都で見た上水道と同じ物が街道沿いに現れた。
「後少しで着くよ」
テクトの言う通り、それから少しの時間で目的地である補修作業の現場へ着いた。大勢の人間と、数人の巨人族が働いているのが見える。
足元を見ると影が短い。半日ほどで着いたようだった。
荷車を邪魔にならないような場所に止めると、テクトはメンを伴って現場の責任者の元へと向かっていった。
「『暫くかかるから自由にしてて』って言われてもね……」
丁度いい頃合いなので食べ始めた昼食は既に食べ終わった。それでもテクト達が戻る気配は無かった。
暇を持て余したアオイは相棒を片手に荷車の外に出て、そのそばで弾き語りを始めた。曲は労働者の歌である。道中でテクトに聞かされ、やけに耳に残っていた。誰かに聞かせるというわけでもなく、気の赴くままに、アオイは楽器をかき鳴らし、高らかに歌い始めた。
すると、頭上から聞き覚えのある、腹に響く大きな声が聞こえてきた。
「良い歌を歌うじゃないか。おチビさん」
見上げると見知った顔があった。アオイは声の主の名前を呼んだ。
「レリ姐さん!あたしだよ!あたし!」
それは浴場で出会った巨人族だった。
「……その呼び方に……その声……。ひょっとしてアオイかい?」
巨人族は人の顔を覚える事が出来ない。というよりも、彼らからしてみれば小さすぎて判別する事が出来ない為、声としゃべり方で判別するしかないらしかった。
「そうだよ!ここで何してるの?」
「仕事さ」
レリは丁度休憩中らしく、アオイの話し相手になってくれた。
上水道は地形によっては高い位置に作られている場合もある。そのため、石材とそこで作業する者を上まで持ち上げる為に、巨人族が良く雇われているそうだった。レリが言うには金払いが良いらしい。
もしかしてレリが街道保安局で働いている巨人族かと思い、アオイはそう尋ねたが、レリは臨時で雇われた身だと言った。なんでも巨人族はその巨体故に書物に書かれた文字が読めず、高度な知識が要求される街道保安局に就く事は難しいらしい。
「もし本当に巨人族が局員なら、そいつは相当小さな奴さ」
突如半鐘の音が響いた。どうやら休憩の時間が終わったらしい。
「もう時間かい。……暇なら現場でも見て回ったらどうだい?高いとこに登らなきゃ危険な事は無さそうだったよ」
レリを見送った後、手持ち無沙汰に再びなったアオイはさっきの言葉とテクトの『自由にしてて』という発言を思い出し、作業現場を見て回る事にした。
「邪魔にならなかったら大丈夫よね……」
王都に来て初めて上水道を見たアオイにとって、それの補修現場を見るのも当然初めてであり、興味深いものであった。
現在補修されている部分の上水道は谷間を跨るように作られていた。上にある水の流れる水道部分を水平に保つためか谷底になるほど柱は長く、崖上になるほど柱は短い。それらの柱は倒壊しにくくする為か下部が一番太く作られており、その全てが隣の柱とアーチ状の石橋の様なもので繋がれていた。
丁度作っているので分かったが、そのアーチの造り方は、半円状の型の上に形を整えた四角い石を隙間の無いよう並べていき、最後の石をはめると、型を外すと完成する。アオイにとって意外な事に、何らかの素材や器具で固定されてはいないようだった。ただ石材の重みだけで造られていた。
「見学かい?いいけど邪魔しちゃだめだよ」
振り返るとテクトがいた。メンもいる。そして裸の男性のエルフ族もいた。
アオイはそのエルフ族に驚き、顔を手で覆った。
「何でこの人裸なのよ!」
指の隙間から見えるエルフ族の体はテクトと違い筋骨隆々というわけではなかったが、手足はすらりと長く、体に余分な脂肪はついておらず、彫刻のモデルになりそうな美しい体つきをしていた。股間の物が小さければ。
「絶対それ見えてるよね?」
「……見えてないわよ。それより早く服を着せてよ!」
半裸のエルフ族は渋々上着を羽織った。それでようやく、アオイはまともに話す事が出来るようになった。
「……それでこの変態は誰?」
警戒心を隠さず、低い声でテクトに尋ねる。この時、変態からは視線を片時も離していない。
「街道保安局の一員で名前は『ラリウス』見ての通りエルフ族だよ」
ラリウスは握手をするために手を差し出した。アオイはそれに応じなかった。
「服を着ない理由は?」
理由次第では握手に応じない事も無かった。
「彼の故郷は服を着る習慣が無かったんだ」
アオイもそういう文化の所で生まれ育てば、きっと裸で過ごしていたに違いない。そう思ったアオイは差し出された手を握った。
「――ただ、彼が生まれる前からその習慣は無くなって、今ではみんな服を着ているんだけどね」
アオイは慌てて手を振り払った。
「やっぱり変態じゃない!」
「変態ではない」
アオイの言い様に耐えかねたのか、ラリウスはようやく口を開いた。
彼に言わせれば、自分が裸なのは一族の忘れ去られた素晴らしい文化を復興させる為らしい。常に裸であれば、寒暖に耐えうる強健さや、常に人に見られているという意識の為に常に美しい肉体を維持し続ける事に繋がるのだという。
「その証拠に私の肉体を見よ!」
ラリウスが上着を脱いでまた全裸になった。
アオイは慌てて近くにいたメンの後ろに隠れた。遮蔽物にされたメンは、意外にもラリウスのぶら下がったモノに対して特に動じたりはしていないようだった。
「メンちゃんはアレ大丈夫なの!?」
「もう父のよりも見慣れてしまって……」
「……可哀想に」
ともかく、アオイはテクトを通じてラリウスに服を着させた。二度と自分の前では脱がない事を約束させて。
服を着た事を確認してからまじまじと見ると、エルフ族らしくラリウスは美形だった。他の十人の女性が見ても、十人ともがアオイと同じ意見になるだろう。
「改めて紹介するね。局員のラリウス。ここの監督をしているよ」
再びテクトの始めた紹介に合わせて、ラリウスはまた手を差し出した。
「そして吟遊詩人のアオイ。今は僕の元で臨時に働いて貰ってる」
苦々しい顔をしながらアオイは再び手を握った。
「紹介が終わってすぐで申し訳ないんだけど……ここでの用事は済んだから、次の目的地へ向けて出発しようと思ってるんだけど、どうかな?」
テクトはそう言った。この場所からというよりも、目の前の変態から一刻も早く離れたいアオイはそれに賛成した。メンも特に異議が無いようだった。
しかし、ラリウスがそれを止めた。風が湿っており、この分だと夕方になる頃に雨が降るようになるらしい。そう言われてアオイが見上げた空は、雲一つもない快晴だった。
「私は空気の変化に敏感なのだ。服を脱いで生活しているからな」
「信じがたいわね……」
アオイのラリウスの言葉を疑った。その疑いを晴らす為か、
「今脱げばもっと正確に天候の変化を予測できるぞ」
と言い、ラリウスは服を脱ごうとした。
「分かった!信じるからやめて!」
結局、ラリウスの予報を信じ、まだ日は高いが旅程は変更され、もう少し進んだ辺りで野宿する場所を探す事となった。
探すといっても、何度かここに来ているテクトに当てがあるらしい。テクトが言うにはこのまま道の通りに進み、少し道を逸れると看板に書いてあった『水瓶』に着く。そこに行けば魔物も少なく野盗の類もいない為、比較的安全なようだった。一行はそこに向かって行く事になった。
『水瓶』にはすぐについた。
「ここが……」
大きな木々が生え、鬱蒼とした森の中にあったのは、ぐるりと石壁に囲まれた巨大な井戸の様なものであった。その石壁から生えたように突き出た、街で見かけたのよりもやや細い水道部分から、絶え間なく水の流れる音が聞こえる。この水道がさっき見た補修現場の様に谷を越え、平野を越えて王都にまで続いていると思うと、アオイは人の力と技術の凄さを改めて実感した。
少し開けたところに荷車を止めると、柔らかい下草を踏みしめて、アオイは石壁の内側を覗きに行った。人の身長程ある石壁をよじ登ると中が見えた。外観から、井戸の様に暗い穴がぽっかりと開いているのを想像していたが、石壁の内にあったのは澄んだ水面に映る自分の顔だった。
「綺麗でしょ?」
テクトも同じように隣をよじ登ってきた。彼が言うには石壁で囲っているのは、この綺麗な水源が魔物や動物の死骸、或いは下賤な者によって汚染されない為らしい。
テクトはアオイが尋ねるまでもなく、水源について語り始めた。
王都に繋がる水源は他に幾つかあるが、そのどれもがここの様に独立した泉である。何故近くにある川などから引かないのかというと、水質の保証が出来ないからであった。様々な支流に繋がっている川には多くの魔人が生息しており、それを生活用水或いは飲用に使うとなると、王都でアオイが間違えて水の様な魔人であるウンディーネ族を掬ったように、誤飲或いは不慮の事故が起きてしまう可能性がある。そのため、水伝いにしか移動できない彼らがいない、どの流れとも繋がっていない泉が水源として適しているのである。また、川であれば大雨などで水が濁ってしまい、暫く使用が不可能になるが、泉ならばそうなる事もほぼ無い。綺麗な水質を保証してくれる、まさに『水瓶』であった。
テクトは石壁にかけられている、町中で見た水飲み場に掛けられていた看板と同じ看板を指差した。
「ここにおしっことかしたらあそこに書いてある通りに首が飛ぶからね。いや、僕が飛ばすからね」
その発言から強い意志が感じられた。ゴブリン族達の襲撃の対処の仕方から分かる通り必ず実行するだろうとアオイは思った。
「ん?」
アオイの腕に水滴が落ちてきた。空を見上げると昼間の快晴が嘘のようにどんよりとした雨雲に覆われていた。
「ラリウスの予報、今のところ外れた事が無いんだよね……」
アオイの時間的感覚が正しければもう夕方辺りだった。
夕食は保存食を火に通さず食べる事になった。
「……美味しくない」
荷車の中でぼそぼそとした干し肉を食べながらアオイはぼやいた。昨日の王都で食べた焼き串の味を思い出し、もう一本食べておけばという後悔の念が沸きあがってくる。
「せめて雨が降らなければ良かったのに」
そうすれば、この、口内の水気を吸って辛うじて噛み切れる程度にまでふやけて柔らかくなる塩気のある物体も、もう少し食べやすくなるだろう。そう同じ車内にいるメンに愚痴ると、
「ここの地域では焚火は禁止されています……」
と無情な一言が帰ってきた。
どうやらこの泉の周囲は、焚火どころか木々の伐採すら禁止されているようだった。なんでもテクトの父が言うには、『豊富な勇水量を永久に保ち続けたくば、泉そのものだけではなく、その周辺の木々を大切にしなければならない』らしい。
保存食をさっさと食べ終えるとアオイはすぐに寝る事にした。少しでも早く美食に出会えるようにする為に。メンの話では街道を西に真っすぐ進んでいくと村が幾つかあるらしい。
木々の葉を伝い、雨粒が幌を不規則に叩く。寝転びながら、その心地良い音を子守歌代わりに聞いていると、すぐに意識が遠のいていくのを感じた。
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