第6話
アオイは急いで入り口に駆け寄り、扉を閉め、鍵をかけた。そして木戸を開け、窓からテクトの様子を見る。
テクトは縦横無尽にゴブリン族の群れの間を走り回っていた。剣の間合いに敵の急所が近づくと最小の力で的確にそれを斬り、そしてまた走り出す。一旦距離を離して追いかけさせ、バラけたところを狙ったり、敢えて群れに突っ込み隊列を乱したりもしていた。そうして包囲されないようにしているのだろう。
斬られたゴブリン族の数が徐々に増え、やがてその数が二桁を越えた頃になると、最初はテクトが追いかけられるようにしてコントロールしていたゴブリン族達の動きは、テクトが追いかけるようにしてコントロールしていくようになった。
まるで牧羊犬の様に、テクトは緑色の羊の群れを追い立てていく。逃げ遅れたゴブリン族は一人また一人と血を流して倒れていっている。このまま勝つかもしれない。そう思ったアオイの元にテクトの叫びが届いた。
「扉開けて!扉!」
アオイはすぐにそうした。開けた内開きの扉の裏に隠れ、テクトが来るのを待った。
開けてすぐ何者かが宿に入った。それがテクトかと思い、アオイは急いで扉を閉めた。そして鍵を掛けようとしたところで、ふと中を見ると、それがテクトではない事に気づいた。
ゴブリン族が灰色く濁った眼でアオイの方をじっと見ている。アオイは短く悲鳴を上げた。少しでも距離を取ろうと壁沿いに移動し、扉から離れる。もしかしたら見逃してくれるかもしれないという淡い期待は、ゴブリン族が錆び付いた剣を構えた事で霧散した。無防備な獲物を狙わない理由など彼らにあるわけが無かった。
殺される。そう強く実感すると、逃げねばならないのに足が竦んで動けなかった。
ゴブリン族はアオイにゆっくりと近づいていき、やがて扉の前まで来た。その瞬間、扉が勢いよく開いた。ゴブリン族はその扉に全身を打ち付け、悲鳴を上げるまでもなく動かなくなった。
「何で……開けて……くれ……なかったの……?」
肩で息をしながら、扉を開けた者はそう言った。そして素早く扉を閉め、鍵をかける。
その後、床にのびているゴブリン族に気づくと、隅で安堵しているアオイに、ゴブリン族を指しながら、
「もし……かして……知り合い……?」
と尋ねた。アオイは首を横に振った。
「じゃあ……なんで……入れたのさ……。まあ……いいか……。ちょっと……休むから……外の……様子を……見て……て」
テクトは息も絶え絶えにそう言い、兜を脱いで椅子に座り込んだ。どれほど鍛えていようとも武具を身に着け、ひたすら走り回れば誰でもこうなるであろう。
アオイは少しでもテクトの負担を減らす為、見張りをし、何か動きがあれば逐一テクトに報告するようにした。
ゴブリン族達はテクトの強さを警戒しているのか、宿を遠巻きにするだけで近づいてこようとはしなかった。
「今のところ遠巻きにこっちを見ているだけで、何かしようとする動きは無いわ」
「……うん」
アオイの報告にテクトは頷いた。
相手の動きが無い間に、アオイは念のために床にのびているゴブリン族をベッドのシーツで拘束しておいた。これでもし目覚めても何もできないだろう。
アオイはまた見張りに戻ったが、先程と特に違いは無かった。
「特に変わりは無いわね」
テクトは頷いた。
それから暫くして、ゴブリン族達が何かを相談するためか一か所に集まり始めた。一か所に集まると相手の数がよく分かる。アオイがざっと数えたところ、既に二十人を切っていた。
「あいつら何かを相談し始めたわよ」
テクトは頷いた。というよりも転寝をしていた。恐らくゴブリン族を拘束している時には既に寝ていたのであろう。
「……頑張りすぎね」
テクトの寝顔はあどけなさがあり、まるで少年の様だった。
「もし弟がいたとしたらこんな感じなのかしら?……多分年上なんだろうけど」
ゴブリン族はまだ相談しているみたいだった。余程白熱しているのか時々もみ合いになったりしている。
アオイはこの睨み合いの状態が長くなると思い、一度見張りから離れ、窓際に椅子を運んだ。戻った後も見える光景はやはり変わっていなかった。何をそんなに熱心に話し合っているのかそんな事を考えていた時、急に宿の中で物音がした。
拘束したゴブリン族が目を覚ましたのかと思い、アオイは身構えたが、すぐに、そうではなくテクトの脱いだ兜が転がった音だと分かった。兜の音は寝ている者の聴覚も刺激したようで、テクトははっと目を覚ました。
「……ごめん。寝てたようだね」
テクトは転がっている兜を拾い、被った。
「いいわよ別に。寧ろもっと寝てもらってもよかったわよ」
「もう十分寝たよ」
テクトはそう言ったが、まだ疲労が残っているのがアオイにも見て取れた。
「なんか変わった事は無い?」
「何か熱心に相談し合っているようだけどそれ以外は特にないわ」
「へぇ。相談ねぇ……」
テクトも窓に近づきアオイと一緒にゴブリン族達の様子を見始めた。暫く一緒に見ていると、ようやく意見がまとまったのか、遂に彼らは行動を始めた。何人かが松明を持ったまま散らばり、残りの十数人が宿の入り口を固め始めた。
「やっぱり作戦でも考えてたのかしら?」
散らばっていく彼らを見ながら、アオイはそう言った。
「案外僕たちの食べ方でも決めてたんじゃない?」
「真顔で言うべき言葉じゃないわよ……それ……。――ん?なんか焦げ臭くないかしら?」
アオイは辺りを嗅ぎまわりながら臭いの元を探った。臭いの元はすぐに分かった。というのも、宿全体が臭いの元になっているようだった。ゴブリン族達は、火攻めか丸焼きかどちらを選んだのかは分からないが、宿に火を放ったらしい。
「丸焼けになりたくないから急いで出るしかないけど、今の僕じゃ君を庇いながら戦うのは厳しいかも」
散らばった者達も合流し、敵は全員で宿の出入り口を固めていた。二人が出て来た時を狙うつもりだろう。
「まあ、やるだけやってみるかな。僕が先に出るから君は頃合いを見て逃げてね」
そう言い、扉に向かうテクトの動きに、最初の様な軽快さは無かった。
「待って」
鍵に手を掛けたテクトの手をアオイは掴んで止めた。
「どうしたの?早く行かなくちゃいけないんだけど」
このやり取りの間にも火は勢いを増し続け、壁が炎に包まれ始めた。室内の気温はかなり高くなっており、肌寒い季節なのにも関わらず二人は汗をかいている。
「『グラサナギ叙事詩』って知ってる?……って知っても知らなくてもいいわ!裏から出ましょう!」
アオイは、出入り口とは反対の燃え盛る壁を指し示した。
「裏から出るも何もここからしか――いや、なるほどね」
テクトはアオイが何を言おうとしたのか分かると、すぐに盾を構え、燃え盛る壁にぶつかっていった。
燃えて一部が墨化した壁は、アオイの予想通り脆かった。テクトはぶつかっていった勢いそのままに宿の外に飛び出していった。アオイも忘れ物が無いようにして、その後に続いた。
涼しい。外に出て一番初めにアオイはそう思った。西へ傾いている満月が明るく輝いているのが見える。いつの間にか、深夜も過ぎ、明け方が近づいているみたいだった。
「『グラサナギ叙事詩』なんて知らなかったけど、それには燃え盛る建物から脱出するくだりがあるの?」
「ええ、そうよ。火の神に一方的に愛されてしまった男の話で、最後が衝撃的だから今度話してあげるわ。……特別に無料でね」
宿の中で轟音が響いた。屋根まで燃え移った火が梁か何かを落としたのかもしれない。
「ここは近すぎるから少し離れよう」
テクトの提案にアオイは頷き、移動する為、拘束してあるゴブリン族を担いだ。
「ちゃんと連れて来たんだ……。自分を殺そうとした相手を」
「……何よ?いけない?」
アオイ自身でも分からない。何故、態々助けたのか。
「どうせ生かして裁判にかけても、死刑か終身労働だと思うよ?無駄骨じゃない?」
「そうかもしれない……けど、焼け死ぬよりはマシでしょ……多分」
この一連の問答でテクトは何故か上機嫌になった。
「君って本当善い人だねぇ」
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