第5話

 それから陽が沈んだのはすぐだった。


 陽が沈んだとはいえ満月から降り注ぐ光は明るく、それで十分町中が見通せた。


 テクトを警戒させないようにするためか、今広場にいるのはアオイ一人だけである。牢の見張りすらいない。今しかないとアオイは縄を解こうとした。しかし、日中と同じく徒労に終わった。


 諦めてなるものかと、屋根を体当たりで破ろうとした時、宿から一つの人影が忍び出るのが見えた。


 その人影は幾つかの物置や納屋らしき建物を出入りし、五軒目の建物から出た後、アオイの方へと向かってきた。


「しー。静かにね。今出してあげるから」


 人影の正体はテクトだった。テクトは屋根の閂を抜き、アオイを牢から出した。そして、猿轡を外し、縄を解いた。


「ありがとう。助かったわ」


 普通に喋れる事の有難みを実感しつつ、アオイは礼を言った。


「話は後でするから、とりあえずあそこに入ってて」


 そう言いながら、テクトは宿を指差した。アオイは了解し、足音を立てないようにして宿へと入って行った。


 テクトの借りた宿は、よくある一部屋ずつ貸し出す方式ではなく、小さな一軒家を丸ごと貸す方式のものだった。もしかしたら、この村には空き家が多いのかもしれない。


 ゴブリン族達を警戒してか、明かりは最小限しかなく中は薄暗かった。そんな明かりの中、部屋を見て回って分かったが、内装や家具は立派だったものの掃除や手入れは行き届いていないらしく、所々埃がたまっていたり床にシミが出来ていたりした。まるで宿泊客の事などどうでもいいと思っているようだった。


 アオイが宿に入ってから少しして、荷物を抱えてテクトが入ってきた。テクトはその荷物をベッドの上に広げた。兜に鎧に籠手に脛当て。そして短い両刃の剣に四角い大きな盾。投げ矢もいくつかあった。


「……あんた、これは一体なんなのよ」


 手際よく武具を身に着けながらテクトは答えた。


「それは兜で今着けてるのは脛当てで――」


「――そうじゃない!何で商人のあんたがこんなの持っているのよ!?」


 護身用にしては大袈裟な装備を持つテクトに対し、つい先ほど助けてくれたとはいえ不信感が募る。


「……最近物騒でさー商人でも護身用にさー……通じなさそうだね、うん。僕は自分が商人だなんて一度も言った事ないよ」


 誤魔化しが通じないと悟ったのか、テクトは自分の本当の職業を明かした。


「……僕は、実は街道保安局の者なんだ」


 テクトはそう言い、懐から小さな木札を取り出し、アオイに渡した。アオイがその木札を見ると『街道保安局』という文字と人間界の王の印が彫られていた。王の印が彫られているという事はテクトが公的な身分であるという事を証明する。


「……というと、道中ずっと足元を見ていたのは?」


「路面の状態を見るのと歩測を図る為だね」


「途中で道から外れて茂みの中を歩いていたのは?」


「道路周辺の地形を見る為だね」


「橋を調べてたのは……別に聞かなくてもいいわ。どうしてそんな武器とかを持っているのよ?」


 先ほどまでのやり取りの間にテクトは、兜と盾以外のすべての装備を着装し終えていた。着装されて初めて分かったが、その装具は所々傷つきへこんでいる。明らかに何度も実戦で使われた形跡だった。


「ここに来る途中、『街道保安局には強い権限が与えられる』って言ってたよね?」


「……ええ」


 アオイは自分がそう言った事を覚えていた。その後に局員に聞かせるべきではない事を言ったのも。


「その権限の一つに『インフラを脅かす存在の排除』が認められているんだ」


「……その権限を行使する時に必要だから持ってるって事ね」


 テクトは大きく頷いた。


「あの橋の瓦礫に工具での切断の跡があったんだ。使用したらしき工具もさっき見つけた。あの橋は彼ら――いや、あいつらによってこの村に旅人をおびき寄せるために破壊されたんだ。……それに君には見せれないけどひどい現場もあった。……だからあいつらはここで始末する」


 テクトの顔が今までにないぐらい険しくなる。その直後、テクトの耳が微かに動いた。


「来たみたいだね」


 外からゴブリン族達の怒気が混じった喚声が聞こえてきた。アオイが助け出されている事から、もはや取り繕う意味は無いと臨戦態勢に入ったのだろう。


 素早くベッドから立ち上がり、テクトは足音を殺しながら窓際に駆け寄った。そして、降ろしておいた窓の木戸を少し開け、外の様子を伺い始めた。テクトの白い顔が一部、炎の色に染まる。どうやら、ゴブリン族達は松明をもって宿の周りを取り囲んでいるようだった。


「三十……いや四十人近くいるかな?」


 敵の数を数えたテクトは木戸をそっと閉め、ベッドの方に戻り、兜と盾を身に着けた。


「どうするつもり?」


「討って出る」


 剣の握り具合を確かめながらテクトは言った。


「無茶よ!」


 ゴブリン族族は多数での戦闘に長けている。一人で戦うのは死にに行くようなものだった。


「あんただけならきっと逃げれるでしょ!?さっさと逃げなさい!」


 逃げろと言われたテクトは、まるで珍しいものでも見るようにアオイを見た。


「あいつらに捕まったら、その後どうなるか分からないわけじゃないよね?」


「……分かっているわ」


 ゴブリン族の中には、人を好んで喰らう者もいる。魔王が倒れて以降は統一法によって禁止されているが、それでも、密かに一部の間で人食は続けられているという噂は今でも囁かれている。アオイは今までたかが噂だと思っていたが、今日の出来事によってそれが事実だったという事を認識させられていた。


 自分の末路を想像して、足が震え始めた。それでも、二人とも死ぬよりは一人だけでも助かった方が良いとアオイはそう思っていた。


 テクトはそんなアオイの様子を見た後、扉の方へと向かっていった。外にはゴブリン族達が武器を携え、犇めいているであろう。


 テクトは扉の前で振り返ってアオイを見た。そしてこう言った。


「君みたいな善い人を見捨てたら、父さんに申し訳が立たないよ。――あ、鍵は閉めといてね」


 テクトはそう言いながら扉を思いっきり引いた。勢いよく開け放たれた入り口から差し込む、松明の明かりと武器の煌めきが眩しく、アオイは一瞬目を閉じた。開いた時には、既にテクトの姿は無かった。宿の中にいるアオイから確認できたのは、入り口付近にいたゴブリン族が血を噴き上げている事だけだった。

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