第4話

 村への道のりはそこまで遠くは無く、太陽が殆ど動かないぐらいの時間で着いた。


「へぇーゴブリン族の村なんだ」


 村に入ると中央の広場に罪人を見せしめるためか檻があり、その周りでゴブリン族が幾人か屯しているのが見える。


 古い大人達であるならば、昔実際に争っていた事もあり、ゴブリン族に対して未だに嫌悪感を抱いている者も多い。だが、若いアオイには平和になって以降の記憶しかない。彼らには何の悪感情も抱いていなかった。


 アオイは村の中央にある広場に行き、そこで屯しているゴブリン族達に話しかけた。


「こんにちは」


 返事は無かった。種族が違うとはいえ、村を作れるほどの知性と社会性があるならば言葉は通じるはずである。しかし、彼らは黙ってじっとアオイを見つめるだけだった。


「……あのー。この村の宿屋ってどこにありますか?」


 また返事は帰ってこなかった。言葉自体は喋れるようで、耳打ちし合って何かを相談している。気付けばアオイの周りにゴブリン族の人だかりができていた。


 アオイは嫌な雰囲気を感じ取った。村人を刺激しないように作り笑いを浮かべながら、この場を離れる事にした。


「……きゅ、急用を思い出したので帰ります!それでは!さようなら!」


 体の向きを村の出入り口の方に向け、アオイはこの村を立ち去ろうとした。しかし、ゴブリン族に飛び掛かられてしまった。それも一人ではなく四人一斉に。ゴブリン族の身長はアオイの腰のあたりしかなく力も女性のそれとあまり変わらない。それでも四人に飛び掛かられたら、戦闘訓練を積んだ男性でもなければ容易く引き倒されるであろう。現にアオイは容易く引き倒された。そして、数十本の緑色の小さな手に両手足を押さえつけられる。アオイはうつぶせの状態で必死に抵抗しようとしたが、手足は微動だにしなかった。


「ちょっと何す――」


 唯一自由に動かせる口で抵抗を試みようとしたアオイだったが、それも棒状の猿轡を噛まされた事によって不可能となった。


 抵抗する事も出来ずアオイは高手小手に縛られ、広場にあった檻の中に入れられた。背負っていた楽器は没収され、どこに行ったのかも分からない。


 アオイは自分がなぜこんな目にあったのか考えたが見当もつかなかった。この村には来たばかりで何も悪い事はしていない。それなのに何故、罪人のような扱いを受けねばならないのか。


 そう思うとアオイの心に沸々と怒りの気持ちが沸き起こってきた。


 沸き起こった怒りのままに、アオイは縄を解こうと暴れた。しかし、固い縛りは緩む事はない。アオイは手首がすりむける痛みに負け、解くのをあきらめた。


 次にアオイは檻の外でこちらに背を向けている、おそらく見張りであろうゴブリン族に、抗議の呻き声を上げた。


 すると、その見張りが灰色く濁った眼でこちらを一瞥してきた。体毛が一本もない緑の肌が陽光に照らされ鈍く光っている。ゴブリン族は何も言わず何の表情もしていなかったが、アオイは人とは全く違うその姿に恐怖を覚えた。それは各地を旅してきて、初めて異種族に恐怖を覚えた瞬間だった。


 自分の死を強く実感すると、怒りが恐怖に上書きされ、視界が滲んで来た。アオイは泣いたら何か負けた気がすると思い、上を見上げた。そこには低い檻の天井があった。


 両親から善き行いをすれば、必ず良い事があると幼い頃から言われてきて、それを信じ、今日まで生きてきたがその結果がこれである。こんな事になるなら川で財布ごと盗んで何処か遠い町で豪遊しておけば良かったとアオイは思った。しかし、そう思うとなんだか両親の思いを裏切り、否定しているようで申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 死の恐怖と両親への思いは心の器の許容量を超え、溢れた分は涙となって零れた。


 ひとしきり泣き、泣き疲れると、徐々にアオイの意識は遠のいていった。


 


 アオイはハっと目を覚ました。目覚めてすぐに目に入った太い格子が、すべて夢であったなどと都合の良い事を思わせなかった。辺りを見ると街並みが赤く染まっている。どうやらもう夕方の様だった。


 一度寝て、冷静さを取り戻したアオイは、脱出の手段が何かないかと辺りを見わたし始めた。


 まずは屋根。この牢の唯一の出入り口で取り外しできるようになっているが、今は閂が通され、びくともしない。


 その次に床。木の板が敷かれ、穴が掘れないようになっている。何か使える物は無いかと探ってみるが、寝床としてか、ほんの少しだけ敷かれた藁以外何も無かった。


 最後に格子。鉄製ではなく木製だが、太い。例え縛られていなくても道具の無い状態ではどうもしようもないだろう。それでも諦めず、朽ちたり、ヒビが入っていたりしている格子がないか細かく探していると、村の入り口の方から、見覚えのある荷車が来るのが見えた。


 片手でそれを牽いてきた者は、囚われているアオイに気づいたのか、適当な所に荷車を止め、近づいてきた。その者は荷車同様見覚えがあった。


 逃げて。そうアオイは言葉を発したが、猿轡はそれを意味不明な音の羅列に変えた。


 テクトは檻のそばにいた見張りのゴブリン族に事情を尋ねた。 見張りは片言の言葉でアオイがこの村で罪を働いたという嘘を吐いた。


 違う。そういう意味の呻き声をアオイは上げた。しかし、テクトにはその思いは届かなかったようだった。


「あらー遂に捕まっちゃったかーいつかやるとは思ってたけどねー」


 檻のそばでしゃがみ込み、テクトはそう言った。


 見張りはテクトにアオイとの関係性を尋ねた。テクトは気付いていないようだが、いつの間にか、他のゴブリン族が何人か遠巻きに様子を伺っている。もし、アオイと知り合いであったというのなら、ゴブリン族達は、今ここでテクトもろとも捕まえる気であろう。


「え?知り合い?違うよー。彼女は僕の物を盗もうとした泥棒でーそれ以外の関係は無いよー」


 アオイはテクトが嘘を吐く時の癖が分かった気がした。とはいえ、今はそれどころではない。アオイはもう一度、逃げてという意味を込めた呻き声を発した。それも一度では無く何度も繰り返し呻いた。これで意味が通じなくとも、何かを知らせようとしているのは伝わるだろう。


 そんなアオイの意図を察したのか、それともただ単に五月蠅かっただけなのか分からないが、アオイを黙らせるため、見張りは手にしていた棒で牢の屋根を叩いた。それにより牢内にけたたましい音が鳴り響いたが、アオイはひるむ事なく呻き続けた。


 その様子を見て腹ただしく思ったのか、見張りの手にした棒は、今度はアオイに向かって飛んできた。アオイは咄嗟に身構え目を閉じたが、来ると思っていた衝撃はこなかった。


「やめなよ」


 なぜなら、テクトが棒を掴んでアオイを庇っていたからだった。


「各村での自治は認められてるけど、それはあくまで統一法の範囲内でのはずだよ。僕の記憶が正しければ囚人への虐待は禁止されているはずだけど?」


 ゴブリン族は法を破らない為というよりも、ただ生物として格上の力量を持った相手の言う事を聞きいれるかのように、しぶしぶ棒を収めた。


 テクトはその後、アオイを助けるでもなく、近くにいた別のゴブリン族から宿の場所を教えてもらいそこに向かった。遠巻きに見ていたゴブリン族達はこの様子を見て耳打ちし合っていた。テクトがただものではないと見抜き、万全を期すため寝込みを襲うつもりなのだろうとアオイは思った。


 

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