第3話

 しばしの時間を掛け、ある程度進むと、アオイが見た橋の欄干らしきものは、欄干そのものだったという事が分かった。


 更に進み、川のせせらぎが聞こえてくる橋の袂まで行くと、その橋の全容が見えた。


 谷に、欄干の間隔からいって間道の二倍近い広さのある、この道とは不釣り合いな橋があった。立派であったであろうというのは、橋がその半ば程で壊れており、橋桁が谷底に落ちていたからであった。


 アオイは袂の近くで荷車を止め、落ちた橋を眺めながら佇んでいるテクトの元へと、身一つで向かった。向かう途中、自分の体というのはこんなに軽いのかと少し感動を覚えた。


 アオイが近づくとテクトはポツリと呟いた。


「この橋は去年架けられたものだったんだよね……」


「あー……まあ、橋が落ちていたのは残念だけど仕方ないわ。遠回りになるけどこっちを通りましょ」


 アオイはそう言い、間道に繋がっている川の下流の方に進む道を指差した。立て看板によれば、そちらの方に行けば近くに村があるらしい。テクトはその提案に曖昧に頷いた。 


 アオイはテクトが落ち込んでいると思っていたが、近づくとそうでない事が分かった。寧ろ何かを怒りを感じさせられる表情で、落ちた橋を眺めていた。


「ちょっと見て来るよ」


 突然テクトは目の前の谷を降り始めた。


「え!?ちょっと待ちなさいって!」


 アオイもテクトの後に続き、谷を滑り落ちた。谷は人の背丈よりも少し深い程度であり、谷底へはすぐについた。


「一体何しに降りたのよ?」


 服に着いた土を払いながらアオイはテクトに尋ねた。尻がやや痛い。


 返事は無かった。テクトは何か考え事をしており、アオイの声が耳に入らないようだった。そして考えがまとまったのか、一つ頷くと、テクトは服を脱ぎ始めた。


「急に何してんの!?」


 慌ててアオイは手で顔を覆った。


「いや、何って。橋が落ちた原因を探す為に、川に入るから裸になろうかと」


 テクトは当たり前のように答えた。


「あんた正気!!?もう春とはいえまだ寒いわよ!?」


「大丈夫だよ。慣れてるから。……ってそれ、見えてるよね」


「……見えてないわよ」


 僅かに開いた指の隙間から見えるテクトの肉体は、よく鍛え上げられているようで筋骨隆々としており、服を着ている時の、一見少年のようにも見える顔の幼さと背の低さからくるイメージとは大きな隔たりがあった。


 下着と履物を残し、他を全て脱ぎ終えるとテクトは川に入った。狭い川幅のわりに深いようでテクトは腿の辺りまで濡らしながら、橋の瓦礫の元へと向かった。


「そんなの、それこそ街道保安局に任せればいいじゃない!下手するとあんたのせいにされちゃうわよ!」


 川べりに立ち、アオイは大声でそう言った。橋や道路などの破壊行為は基本的には死刑となる重罪である。テクトの身を案じての発言だったが、返事は無かった。


 アオイはテクトが落橋の原因を調べているのを暫く眺めていたが、とうとう焦れてきた。


「あたしはどうしたらいいのよ!?」


 そう怒鳴るように聞くと指示が帰ってきた。


「荷車を置いて先に村に行ってて!そこで宿を取ったら今日の仕事はそれで終わりでいいから!」


「宿を取れって言われても!あたしお金ないわよ!」


 自分で情けないと思うが、アオイはそう訴えるしかなかった。


「荷袋に財布があるから!二人分の宿代と君の今日の給料分そこから持って行って!」


 テクトの言う通り、脱ぎ捨てられた衣類の近くに置かれた荷袋の中には、茂みの中から見た硬貨がぎっしりと詰まった財布があった。アオイが中を見ると鉄貨や銅貨や銀貨そして何枚か金貨があるのが確認できた。


「また盗ろうとしちゃだめだからねー!」


 川の方からそんな声が聞こえる。


「盗ったりしないわよ……」


 盗ろうとしたといっても、未遂というよりかは自分で止めたのだが、それでもアオイの心に罪悪感が少し沸き起こってきた。


 アオイはすぐに頭を横に振り、その罪悪感を振り払った。気を取り直して財布から銅貨を数えながら取り出していく。


「七枚、八枚、ああ!もう何で四種類とも一緒くたなのよ!せめて鉄貨と銅貨、銀貨と金貨で分けなさいよ!九枚十枚十……一枚と」


 アオイの給料が銅貨五枚に宿代が一人当たり三枚、十一枚で丁度である。念のためアオイはもう一度数えなおした。


「――十枚、十一枚。よしこれでいいわ」


 取り出した銅貨を自分の財布である空の巾着袋に入れる。


「そういえば言い忘れてたけど!君は銅三枚より高い宿に泊まっちゃだめだからね!僕はいいけど!」


「本当に財布ごと盗ろうかしら……」


 魔が差しそうになる自分の悪い気持ちを抑え込み、アオイは谷を二、三度滑り落ちながらも登った。


「ああ……やっと登れた……」


 このまま村の方まで向かってもいいが、この物騒なご時世、身一つで財布だけ持って歩くのは心許なさを覚える。


 やっぱり『相棒』を背負っていくかとアオイは荷車の方に歩き、荷台から旅の初めに買った中古の弦楽器を降ろし、そのぽっかりと開いた穴の中に財布を隠した。


「頼りにしてるわよ」


 アオイは弦を軽く弾いた。相棒は安っぽい音色で応えた。

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