第7話


 友人と一緒に教室で弁当を食べ終わったあと、篠原はいつも図書室に行く。

 越士高校の図書室は蔵書が豊富で、篠原にはありがい場所だった。将来パティシエとして海外留学を考えているため、海外の小説を原本で読み、少しずつ語学力を鍛えることにしている。今は ”The adventures of Sherlock Holmes” を読み進めていた。


 蛇がミルクを飲むというホームズの推理に首を捻って、読み間違えかと思い何度か翻訳しなおした。でもどうやらそれで合っているらしい。ホームズも随分と面白い解釈をするものだと思わず微苦笑した。翻訳されたものも読んではいたが、細かい内容は随分と忘れているものだ。たとえ犯人が分かっていたとしても、名作には読むたびに新しい発見があり、何度読んでも飽きさせない魅力がある。逸る心を抑えつつ次のページをめくろうとする指を、自分を呼ぶささやき声が止めた。


「篠原先輩、ちょっとだけいいですか?」

 相手を見て途端に不機嫌になった。

「なんか用?」

「そんなに嫌な顔せんといてください。ほんっと篠原先輩って、腹が立つくらい顔の表情が素直で雄弁ですよね」


 滑り込むように隣の席に座った丸美は、限りなく小さな声で応戦した。篠原は再び本に視線を戻した。


「嫌な時には嫌だってはっきり態度で示さないと、こっちが疲れるからね――悪いけど忙しいし、あとにしてくれる?」

「今じゃないとダメなんです。ちょっとだけ来てください」


 丸美は立ちあがり、篠原のそでをぐいと摘まんだ。


「ちょっとなにすんの」

「お願いですから来てください」

「嫌だ。困る」

「はっきり断りますよね。でもこっちだって、はっきりとお願いしてますから。こういうときも負けませんよ」

「意味分かんね。俺には関係ないし」

「関係あるから来てほしいんです」


 丸美は引っ張る力をぎゅっと強くする。


「……分かった、分かったから腕を離して」

 ぱっと袖を離してくれた袖には、どこかの山脈のように握り皺ができていた。どこまで念が強いんだ。自分のパーソナルスペースへ無頓着に侵入してくる丸美の行動が、篠原はどうにも苦手である。皺を伸ばし、席を立つ。さっさと用事を済ませてしまう方が安全だ。今日は人生で一番憂鬱な日になりそうだと、篠原は深々と長嘆息をついた。

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