第5話
*
一度カフェへ偵察に行こう、そう丸美に提案してくれたのは、同じかるた部で親友の高木
「え、嫌やって。なんで行かなあかんの?」
「ほやかって、丸美、ミスコン終わったときからずっと機嫌悪いよ。口の下に、梅干しがくっついたまんま」
顎に指を当てて笑実は笑いかけた。笑美は笑うと頬に小さなえくぼができて、名前の通り笑顔が可愛らしい女の子だ。
「せっかくミスコンで優勝したのに、そんな不機嫌なままやったら勿体ないよ。来週のかるたの県大会が終わったら、一度一緒に食べに行こっさ。前から私も行きたいと思ってたし。一人では行きにくいから、丸美がいてくれると嬉しいんやけどな」
「嫌やー。カフェなんて流行りもの、私は興味ないもーん」
頬を膨らませてプイと横を向く丸美の顎には、再びまん丸の梅干しがぽっこり膨らんでいた。
「ほらあ、また怒ってる。怒ってるだけやったらなんも変わらんで。敵を知り己を知れって言うやん。相手のことが何も分からんから余計に不安なんやないの? 行ってみたら、何か新しいことが分かるかもしれんよ」
痛いところを笑美に指摘されて、丸美はうう、と低く唸った。無知や盲目が余計な苛立ちを育てるというのは、確かにある。窓の向こうの遠くの山と相談しながらしばらく考え込んで、丸美は腹を括った。
「……分かった、笑美の言うとおりにする。いっぺんくらいは、あいつの店へ敵情視察したいと思ってたし」
「よし、オーケー。県大会の次の日、決行日にしよ」
笑美は再び小さなえくぼを作った。
春にできたばかりの ”Jardin d’iris” とかいう新しいお店に、丸美は興味がないわけではなかった。雑誌や地元のローカルニュースで目にするたびに、心の底からもやっとした黒い感情が入道雲のように沸き上がるのを感じて、その店に対して一方的な敵愾心を抱いていた。だから行く機会がなかったし、一人で行こうとも思わなかった。でも行きたくないのかと問われれば、多分それは違う。むしろ本当は気になって仕方がないのだ。カフェへの同行を頼んでくれた笑美の気遣いに、丸美はほんの少しだけ感謝した。
六月の、爽やかな晴天の日だ。自転車を走らせると少し背中が汗ばんでくる。首筋を撫でていく風が心地よかった。
丸美の家からJR芦原温泉駅を挟んで自転車で二十分ほど、竹田川沿いの道路を真っ直ぐ南へ走っていくと、川のほとりにログ風のお店が見えてきた。篠原の働いている ”Jardin d’iris” だ。予想していたよりもかなり民家の少ない場所で、周りには田んぼしかなくて、こんなところでどうして店が流行るのだろうと丸美は少しばかり驚いた。駐車場にはすでに六台ほど車が止まっている。
「丸美、昨日は大会お疲れ」
先に着いていた笑美が店の前で待っていた。
「お疲れー、あれから爆睡しちゃって起きるの遅くなっちゃった。ごめんね」
「私も今来たからいいよ。早いのにお客さん結構来てるんやね。座れるといいなあ」
三角屋根の下には童謡で歌われそうなほどの古い時計が掛かっており、十一時を指していた。ドアにはツタを絡ませた手作りの大きなリースが飾られている。脇には薪やブリキのジョウロ、クリーム色のペチュニアの花が植えられた鉢があり、ウエルカムボードにはおすすめランチとスイーツメニューが、鮮やかなチョークの色で客を華やかにもてなしていた。
店の横には小さな庭があり、手入れされた芝生と草花、常緑樹や落葉樹、ミニバラなどが植えられている。ウッドデッキにはテラス席が設けられていて、白いテーブルと椅子が客の訪れを控えめに待っていた。
「こんなに田舎やのに、めっちゃ可愛いお店なんやねえ。ビックリした」と、笑美が感心するように呟いた。丸美も同感だ。
のんびりとした田舎だから逆にいいのかもしれない。外観が周りの川と田園風景に見事に融け込んでおり、まるで魔法の国か、おとぎの国に迷い込んだような気分になった。時計を持ったウサギがどこからかぴょこんと飛び出してきそうな、なにか特別なことがこれから始まるようなワクワク感をもたらしてくれた。
おとぎの国といえば王子様やなあ、などとぼんやり考えていると、カラン、という鈴の音とともに店のドアが開いて一組のカップルが出てきた。
ドアを開けた店員が、客に大きなケーキの箱を手渡して恭しく礼をしている。
「ありがとうございました」という聞き覚えのある男性の声に気が付き、帽子を被った店員の顔を見て、丸美の口から思わずあっと息が漏れる。同時に店員がこちらへ視線を向けた。
理想とは程遠い、おとぎの国の王子様――篠原が、露骨に嫌そうな顔をした。
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