第4話
*
丸美の家では、先々代から八十年にもわたって和菓子屋を営んでいる。庶民的な和菓子から贈呈用の高級菓子に至るまで、『瀬宮甘味屋』は地元の甘味処として長年にわたって親しまれてきた。
父親のこだわりは自家製餡だった。細かく吟味された原材料はもとより、その日の気温や湿度を見極めて、小豆のゆで方、ゆであがりの硬さ、そして小豆の甘みの仕上がり具合を自分の目と舌で見極める。餡は瀬宮甘味屋の誇りであり、譲れない精神であり、命そのものであった。
毎朝、丸美の起きるずっと早くの時間から父親は厨房で支度をはじめ、豆をゆで上げていた。甘みを含んだ豆の香りがもうもうと立ちあがる蒸気とともに寝室まで流れ込み、この匂いが丸美の起床の合図となっていた。ああ父親が働いているんだなあという、ふっくらとした幸せの匂いだ。一階におりて店をこっそり覗くと、厨房で汗を流しながら父親が真剣に働いている。月明かりに照らされているような餡の艶光を真剣に見つめる父親は、丸美が愛してやまない職人としての姿でもあった。
付き合いを大切にし、ひいき客が増え、そのお陰で経営は成り立っていたものの、それでもその将来を楽観視はできなかった。その原因の一つともなるのが、若年層ですすむ和菓子離れだった。和菓子は格調高い気がするだの、気軽に食べられないだのと言われ、若い人――それはたとえ丸美の友達であっても、和菓子よりも洋菓子、饅頭よりもチョコレートと、どうしても洋菓子の方が好まれてしまうことが多かった。
クラスの遠足でみんながチョコレートを食べているのを見るたびに丸美は悲しくなった。チョコよりも羊羹を食えと本気で願った。でも本当は自分だってチョコが好きなのだ。とはいうものの一生懸命に餡を作り続ける父親のことを思うと、チョコを好きだなんてとても口に出せない。チョコと餡と和菓子、みんなで一緒に食べてくれればいいのにと、丸美は幼いころから心の中で健気に祈り続けていた。
そんな丸美の心の救済者となったのが、『焼きドー・ザウザウルス』だった。店の起死回生を図って、父親が大阪本社の
この焼きドーナツは評判を呼び、様々なメディアに紹介されて人気商品となった。県外から買い求めるファンも多かった。さらにはザウザウルスオタを自他ともに認める「北寄ススム」という、世界的に有名な人気漫画家がこの商品をいたく気に入ってくれて、自分の漫画にまで登場させてしまったのにはさすがに驚いた。「百歌祈祷師」という漫画のサイドストーリーで、ザウザウルスが焼きドー・ザウザウルスを食べているだけのシーン、それが延々十五ページにわたって続くという、シュールで摩訶不思議なものだった。逆にそれが面白いと巷で話題となり、ツイッターやインスタにもアップされて、焼きドー・ザウザウルスは一気にメジャー商品となった。お取り寄せネット通販も開始し、福井県内のスーパーや土産物店舗、関西圏のお店でも販売されるようになった。
焼きドー・ザウザウルスは丸美にとってのお宝だ。だから「ザウザウなんとか」などという不届き千万なカフェ野郎を、どうしても許すことができなかった。お洒落だかなんだかは知らないけれど、周りからちやほやと持て囃されているカフェ店にも無性に腹が立っていた。丸美には創業八十年という和菓子屋の跡継ぎとしてのプライドがあった。得体のしれない、そこら辺の流行りの店にはどうしても負けたくなかった。
彼との出会いは人生最悪の災難であったなと丸美は思っている。
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