第3話 お母さんが欲しい小学生
まつりはチャーハンの載ったスプーンを皿の手前に落とした。
「あああ、ご、ごめんなさい」急いで落したご飯を手で拾い集め、テーブルの上にあるティッシュボックスから一枚、紙を取り出す。
「こ、こちらこそ、おい、真冬、本当にやめろこういうこと!」
「なんでよ! まつりさんはいいよ! 絶対いいよ!」
「困ってるだろ。いつもいつも、お前は」
「え、いつも?」
「実は」
駿によると、最近真冬は「お父さんに合いそうな女性」を見つけると、駿に会わせて先ほどのように「お父さんと結婚してほしい」そう告げるという。もちろん、言われた女性は困惑する。駿も同様で、毎回、土下座するほどの深いお辞儀で娘の非礼を詫びる。
「ただ、家まで来たのは佐藤さんが初めてですし、娘を助けてくれたというので今回は違うのかと……」
「助けてくれたのはマジだよ」
「ああ、そうそう、結婚うんぬんより、そっちのほうが重要じゃない! 真冬ちゃんのお父さん、ご説明しますので、よーくお聞きください。大事な事です。いいよね、真冬ちゃん」
「まつりさんならいいよ」と、真冬は薄い手でまつりの手をぎゅっと握った。
大人しいとばかり思っていた少女の意外な積極性。戸惑いを隠せないまつりだが、少女の今後のために、しっかりと駿に向き合って、今日の経緯を説明した。
「……それは、本当にお世話になりました、助かりました。僕には生理の知識はないので」
「ほとんどの男性がそうですから。奥様がいらっしゃらないということですし、何か聞きたいことがあればいつでも」
「そんな! これ以上ご迷惑はかけられません、ここまでしていただいただけでも、感謝してもしきれません。ありがとうございます」
駿はチャーハンに前髪がつきそうなほど、深く頭を下げた。
真冬はこの説明の間にご飯を食べ終え、スプーンをテーブルに置いた。
「お父さん、私これからブラジャー買うと思うんだよね」
「あ、ああえ? ぶ、ぶら?」
「その時どうすればいい? お父さんわかる?」
「お、お店の人とお前で話し合って」
「いやだよ、初めては恥ずかしいよ。誰かいてほしい。ねえ、わき毛ってどうすればいい? お父さんわかる?」
「ええ、いやそ、剃れば?」
「お化粧もしたいんだけど、わかる?」
「あのええー、そ、それは……動画見るとか……」
駿はこれまで考えもしなかった問題を、矢継ぎ早に娘に突き付けられた。可愛がっていれば勝手に大人になるわけではないという、現実が目の前に立ちはだかって来た。何も言い返せない駿は、唇を引っ込める。
こればっかりは口を出す問題ではない。今回はまつりの心身も理解しているようで、ただ父娘の行方を見守る。
「今まではお父さんの幸せを願って、いろんな女の人見つけてきたの。お父さんと二人のままでも楽しいから、嫌なら無理に結婚しなくてもよかったんだけどさ。学校にも片親がいない子って結構いるから、いじられたりしないし。でもね」真冬はテーブルに両手を置いた。「今回の事で、お母さんがいないってこういうことなんだ、って身に染みたの。絶対、お父さんに相談できないじゃん。だからね」
真冬は勢いよく立ち上がった。
「私、お母さんがほしいの! まつりさんにお母さんになってほしい!」
二人は目を見開いて真冬に注目した。駿が口を開こうとするよりも先に、まつりが話始める。
「ま、真冬ちゃん、気持ちはよくわかる。うん、わかる。でもね、えーっと、結婚するにはその、私とお父さんが合意っていうか、好き同士にならないといけないわけで」
「だいじょぶだいじょぶ。絶対、相性いいよ。好きになるから、お互い。とりあえず結婚して」
駿も立ち上がり「何を根拠に言ってるんだ、困ってるだろ佐藤さん」
「女の勘だよ」
「小学生だろ」
「女に子供も大人も関係ないし、私、今日、より女になりましたし。だからより勘が働きます。死んだお母さんにちょっと似てるし、生きてたら同じくらいの年齢だろうし、いいじゃない」
「亡くなった奥様に似てるんですか?」
「こ、コイツが適当に言ってるだけですから、気にしないでください。それに」駿は首に手を当て、居心地悪そうにさする。「お、奥様じゃないんです。真冬の母親は僕の姉で。養子なんで親子関係はありますが、本来はおじと姪です」
真冬が5歳の時、駿の姉は事故で死亡。それから今まで、駿は一人で真冬の面倒を見てきた。両親は遠方のため、ほとんど頼ってこなかったという。
「弟さんが引き取るって……真冬ちゃんのお父さんは」
「それ、が」駿は目線を下げる。
「いいよ、正直に言って」
駿は小さくため息をつき「……誰なのか分からないんです」
「そーいうこと」と言って、真冬は自身の椅子をまつりの椅子にくっつける。椅子に正座し、まつりの腕をつかんだ。
「明日の朝もお母さんのご飯が食べたいなあ」
「オカアサン!?」
「真冬!! 勝手に」
「ねえ、うちの冷蔵庫みたでしょ? 栄養とかないでしょ? やばいよね。っていうかあ私も料理覚えたいな。教えて欲しいなあ~」
上目遣いでまつりを見上げ、チワワのようなうるうるとした瞳で甘える真冬。保護者の前で邪険にするわけにもいかず、まつりは真冬から目を離せなかった。
「いい加減にしろ、怒るぞ」
駿はテーブルを回り込み、反対側に座る真冬の後ろに立った。
「宇那木さん、子供のわがままなんですから、抑えて抑えて」
「そーだよ、子供なんだから」
「真冬!」
駿は声を荒げるも、ふんわりした雰囲気のせいかあまり怖くはないし、威圧感も全くない。真冬は意にも介さないようで、まつりの腕に自身の腕を絡めた。怒鳴っても効果がないと分かった駿は、その手をほどこうと、真冬の腕を引っ張った。
「いたい!」
駿は手をひっこめ、バツが悪そうに立ち尽くした。
「……ご飯作るの、別に構わないですよ。教えるのも、真冬ちゃんの将来の役にたつし」
「そんな、お仕事もあるでしょうし」
「お母さん無職だよ」
「お母さんじゃない。いや、あの、無職っていうか、先月末に退職して、ただいま転職活動中で、有休を消化しているようなしてないような……つまり無職です」
「ご、ごめんなさい、娘が失礼なことを」
「事実です。無職です」
「じゃあ、今日から一緒に住も!」
まつりは優しく真冬の腕に触れる。
「真冬ちゃん、さすがにそれはできないよ。私は明日、ご飯を作りに来るだけだからね。あんまりお父さんを困らせないように」
真冬の手の力がゆるむ。まつりはそのまま、彼女の手を自身の腕からはずした。後ろを振り向き、「では、どうしますか?朝ごはんでしたよね。何時頃」
「やったー!」
「も、申し訳ないですよ、朝なんて」
口ではそう言いつつ、実を言うと駿もまた、まつりのご飯が食べたいと感じていた。仕事で忙しく、掃除や洗濯が精一杯。なかなか料理にまで気が回っていなかった中で食べた、安心する味。朝起きたら食べられるのかと思うと、素直に嬉しい気持ちになった。
「無職なんで、気にしないでください」
「で、ではお言葉に甘えて。僕も真冬も、8時ごろ家を出るので」
「じゃあ、6時ごろ伺います」
「分かりました、よろしくお願いいたします」
自然と口角があがる駿。それを見逃さない真冬だった。
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