第2話 お父さんと結婚してと言われた女性

 冷蔵室には納豆が3パック、使い切りハム2パック、袋に入った6枚切り食パン4枚、イチゴジャム、350mlのビールとチューハイ、めんつゆ、マヨネーズ。


 野菜室にはトマト大1つ。


 冷凍庫にはチョコバーの箱。


 シンク下の収納には、しょうゆボトル、サラダ油、ゴムで口が縛ってある砂糖の袋、そうめん5袋、白米の入った小さな米櫃。小鍋や大鍋、フライパンなど一通りの調理器具。


 戸棚には食器が用途や大きさ関係なく重ねられている。


 シンクには朝ご飯と思われる食器類がたまっている。


 頭では分かっているのに、まつりの体は勝手に動く。


「真冬ちゃん、洗濯物片付けて、テーブルの上もゴミ捨てて、食べる場所作って、お風呂も沸かして」


 指示しながら、まつりは米を研ぐ。


「は、はい」


 炊飯器のスイッチをいれ、「さっき近くにコンビニあったよね、私そこ行ってくるから」と、部屋を出た。


 残された真冬は、言われた通り、ソファに投げられたままの洗濯物、外にある洗濯物を取り込んで畳み始めた。


「なんか、今までで、一番……いい。まつりさん、いい……!!」


 そう、呟きながら。




◇◇◇◇◇




 父と娘の二人暮らし。仕事も多忙を極めるだろうし、食事になんて気を使えるはずがない。


 納豆とご飯なんて、健康的で素晴らしいじゃないか。


 そうめんを茹でるだけでも素晴らしいじゃないか。


 立派な家庭料理だ。それにこれは、他人の家の話。自分とは何も関係ない。


 何度も何度も自分に言い聞かせても、まつりの体は自動的に動いてしまい、止まらない。コンビニの商品棚から長ネギときゅうり、豆腐3パックセット、カットわかめ、中華だしの素、卵と次々かごに入れる。


 支払いを済ませ、まつりはマンションに戻った。




 まつりが戻ると、真冬はテーブルの上を片付けていた。


「おかえりなさい」


「ただいま。じゃあこれから私、夕飯つくるからね。真冬ちゃん、終わったらお風呂で体洗って、ナプキンの付け方分かんなかったら呼んで」


 コンビニで調達した食材をキッチンカウンターにひとまずおき、まつりはシンクの洗い物をやっつけ始めた。


「あの、テーブルの片づけってこのくらいでいいですか?」


 コップ一つ置ければいいほうの隙間しかなかったテーブルが、塩などのテーブル調味料以外、きれいさっぱり無くなっている。


 雑誌とちらしは四つある椅子のうち一つに積まれ、学校のプリントは真冬の部屋。お菓子の箱は空だったため、ゴミ箱行きになった。


「おお、きれいきれい。早くお風呂で体あらってきな」


 真冬は自分の部屋へ戻って猫のキャラクターが描かれたパジャマを手にしてお風呂へ向かい、まつりはネギとニンジンを刻み始めた。


 刻んだそれらは先ほど洗った丸皿に入れ、まつりはシンク下から小さめの鍋を取り出した。そこに水、中華だし、カットわかめと豆腐を投入し、スープを作る。次に冷蔵庫からハムとマヨネーズ、買ってきたキュウリを使ってサラダも用意した。


 


 真冬が風呂からあがりリビングにもどると、「真冬ちゃん、お腹すいてるよね?」とまつりが尋ねた。


「はい」


「じゃあこれからご飯作るから。待っててね。お父さんの分も作るからあとで食べてもらって」


 宇那木家のキッチンで女の人がご飯を作っている。


 真冬にとっては珍しい光景に、自然と、対面キッチンに足が向く。キッチンの入口に立ち、じっと、まつりが卵をかき混ぜる姿を眺める。


「何作るんですか」


「納豆チャーハンだよ。ああ、興味あるなら近くで見てていいよ」


 まつりはフライパンにサラダ油をひいて熱し、溶き卵を流しいれる。キッチンの入口から2歩ほど中に入り、真冬は卵が半熟になっていくのをみつめた。


 ご飯、納豆、ネギも加えてさっくりと炒め合わせてゆくと、真冬の体内に熱をもった納豆の匂いがしみこんでいく。


 最後に調味料で味を調えて、まつりお手製の納豆チャーハンができあがった。


「あ、お皿お皿、チャーハン入れるお皿ってどこかな」


「それなら」


 と、真冬がさらにキッチンに踏み込んだ時、リビングの扉が開いた。


「ただいま」


「お父さんだ」


 真冬の父が帰って来た。背が高く、ひょろっとした男性だ。ベージュのスラックスにストライプのシャツ、紺のジャケットを羽織っている。軽い天然パーマと少したれた目尻が、ふわっとした印象を与える。


「なあ、玄関の靴」


 そして、まつりと真冬の父、二人の目が合った。


「え、あなた」


「すいません、突然お邪魔してしまいまして、私、佐藤まつりと言いまして」


 すると、真冬がいままでの静かな態度から一変、マンション中に聞こえるような大きな声で「まつりさん! すっごい困って泣きそうだった私を助けてくれた人でね、ご飯も作ってくれた!」


 その声にまつりも、真冬の父も体がびくりとした。


「娘を助けてくれた? ご飯も作ってくれた?」


「……ご、ごめんなさい、余計な事とは思ったんですけど」


「すごくおいしそうな匂いでしょ!」


「真冬ちゃん、まずは説明を」


「お父さん、ご飯食べよ!」


「だから真冬ちゃん」


「ふ、二人同時に話さないでくれます?えーっと、つまり」


「まつりさん、これに盛り付けて!」


 真冬は冷蔵庫の隣にある戸棚からラウンド型のカレー皿を取り出し、まつりに渡した。


「真冬ちゃん」


「出来立てのうちに食べないと」そう言い、汁椀も取り出して渡す。「お父さん、早くカバンおいて、ご飯食べよ。ほら、早く。お腹すいてるの私」


 帰宅したら知らない女性がご飯を作っていた。しかも、真冬は懐いているし、これまでにないくらい強引である。不思議な光景に戸惑うも、空腹には勝てない。食欲をそそる良き家庭料理の匂いに屈し、娘の言うとおりにした。リュックをソファにどさっと置き、ダイニングテーブルの椅子に座った。


 チャーハンとスープを盛り付けたまつりは、早速食卓へ運ぶ。真冬も手伝った。


「納豆チャーハンとわかめスープ、ハムサラダです」


「すいません、ありがとうございます。すごくおいしそうで」


「絶対おいしいよこれ!」


 真冬は定位置である駿の目の前の席、まつりは真冬の隣に座った。


 3人そろって食卓につくと、真冬が真っ先に「いただきまーす!」とカレースプーンにチャーハンを乗せ、大きな口を開けて放り込んだ。


「じゃあ、僕も。いただきます」


 まつりは二人のリアクションが気になり、まだ手を付けられなかった。もぐもぐと食べる様子をじっと観察する。


「美味しい!すごい、まつりさん、すごい!!」


「うん、ほっとする味です。ありがとうございます、佐藤さん」


「よ、良かったぁ。じゃあ私もいただきます」


 まつりはスープをすすり、わかめと豆腐を口に入れた。


「佐藤さん、でしたよね。真冬の父、宇那木駿です。美味しいご飯の最中にすみませんが、状況を説明していただけると。娘を助けてくれたとか」


「ああ、そうですよね。でも……」まつりはスプーンの先をみつめ、少し考えてから「食べ終えてからお話しします。娘さんのこれからに関わる重要なことですから、きちんとご説明します」


「重要?」


「はい、女性として生きていく以上、とても大事な事です。食事しながらなんて話せません」


 とても大事とは、いったいどんな話なのか。駿には想像できなかった。小学生の女の子に何があったのだろうか。しかし、娘に深刻さは感じられない。


 もやっとした気持ちはあるものの、悪い人ではなさそうだし、と、食事を継続した。茶髪のショートヘア、丸い金縁メガネをかけた中肉中背の女性を時折、目の端で捉えながら、チャーハンを口に運ぶ。駿は、お母さんのような安心感のある味だなあ、と感じながらぱくぱく食べていった。


「お料理上手なんだね、まつりさん!」


 真冬は駿が帰宅してからというもの、目をキラキラさせ、よく響く声、しっかりした発語でまつりに話しかける。


「そんなでもないよ、これくらい普通」


「毎日食べたいよ~」大きな口できゅうりとハムを放り込む。「こんなおいしいご飯が毎日食べられる人、うらやましいな~。ほんと、おいしいな~」


「ほ、褒め上手な娘さんですね、あはは」


「いえいえ、娘の言うとおり、とてもおいしい。久しぶりに食事らしい食事をしました」


 最後に、誰かのために食事を作ったのは何年前だったか。自分が食事らしい食事をしたのはいつぶりだったか。


 まつりは納豆が良く絡んだチャーハンを口にしながら考えていた。


「あれ、そういえば佐藤さん、うちにいてもいいんですか?ご家庭は」


「独身ですから、お気になさらず。私も久しぶりに誰かと食事できて楽しいです、ありがとうございます」


 それを聞いた真冬は、まつりのほうに顔をふった。


「彼氏は?」


「いないよ」まつりはチャーハンをスプーンに乗せる。


「好きな人は?」


「こら、あんまりプライベートなことは」


「あはは、気にしないでください。そういう人も今はいないなあ。もしかして、クラスに好きな子いるの? 恋の相談?」


 真冬は体ごと、まつりに向けた「じゃあさ、まつりさん」


「げ、真冬、もしかしてやっぱり!」


 駿は立ち上がった。


「お父さんと結婚して!」


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