第4話 朝ご飯に感動するお父さん

 久しぶりに早起きしたまつりは、冷蔵庫からプラスチック容器に入った市販のだし入り味噌を取り出した。それをエプロンとともにトートバッグに詰め、家を出た。


 乱雑に自転車が突っ込まれているアパートの駐輪場から、自分の白い自転車を見つけ出したまつりは、かごに荷物を入れ、自転車にまたがる。宇那木家の冷蔵庫の中身を思い出しながら自転車を漕いだ。




◇◇◇◇◇


 


 宇那木家のインターホンを鳴らすと、紺色のパジャマを着た駿が玄関を開けてくれた。まだ眠たそうな顔をしており、たれ目がよりぼんやりしている。昨夜はかけていなかった眼鏡が顔に付属している。


「おはようございます、すいません朝早くから」


「無職なんで、お気になさらず。じゃ、お邪魔します」


 まつりはまっすぐにキッチンへ向かい、まっさきにお米を洗って早炊きモードで炊飯器にセットした。それからエプロンを着け、おかず作りを開始した。


 冷蔵庫をあけ、昨日の残りの卵、ハム、豆腐、ネギ、トマトを出し、ワークトップに置いた。シンク下から小鍋と丸いフライパンをつかみ、フライパンはそのままIHコンロの上に乗せた。小鍋は水をいれてからコンロに置いて、加熱ボタンを押した。


 IHコンロ脇に追いやられているプラスチックまな板をワークトップに、そしてシンク下扉に付属の包丁差しから三徳包丁を出す。まな板にネギを寝かせ、緑色の葉身の部分を、白の下部と混ざり合った部分からざくっと切り落とし、土の入り込んでいる間などを水で洗った。それからざくざく横切りをし、小鍋に投入した。


 駿は洗濯籠を手にしばらく立ったまま、この様子を見ていた。昨夜、姉とまつりは似ていないと言ったが、この台所で最後に料理をした女性である姉の姿を重ねていた。


「おっと、マヨマヨ~」まつりは料理に集中し、他人の家であることを忘れ、自然に独り言が出ていた。「タマゴ割るお皿ないかなー、これでいっか」


 フライパンにマヨネーズを絞り出し、魅惑の香りが漂い出す頃、真冬がパジャマ姿でリビングにやってきた。開けた瞬間に香るマヨネーズ、左手の台所に立つまつり。全身に巡る喜びを大きな声に乗せた。


「おはよう、お母さん!」


 真冬は駆け足で台所に入り、まつりをきらきらした瞳で見上げる。


「おはよう、だからお母さんじゃないから、名前で呼んでよ」


「ご飯作るの見てていい!?」


「いいけど」


 娘の登場で、駿ははっと気が付いた。洗濯物を干していない。


「真冬、あんまり迷惑かけるなよ。見たいなら着替えて準備してからにしろ」そう言い、ベランダに出た。


 父の言うことが聞こえているのかいないのか。真冬は駿を全く見ず、まつりの側を離れない。


「真冬ちゃん、お父さんの言う通りだよ。見学は着替えてからにしてくれない?」


「わかった!!」


 真冬はダッシュで部屋に戻り、あっという間に桃色のひざ丈プリーツスカート、白のトレーナーに着替えて戻ってきた。


「次、何作るの!?」


「もうほとんど終わり。トマト切るのと、味噌入れるだけ。トマト切ってみる?」


 お気に入りのアトラクションに乗るようなご機嫌さで、真冬は包丁を持ち、トマトに刃を入れた。


「へえ、包丁ちゃんともてるんだ」


「何等分にすればいい?」


「8等分かな。これ大きいし、そのほうが食べやすいでしょ」


 まつりは真冬の切ったトマトをハム卵炒めの載ったプレートに添え、「真冬ちゃん、これテーブルに運んで」


 その間に、まつりは小鍋に味噌を溶かしいれた。


 そして、ご飯、味噌汁をよそい、それも真冬にテーブルへ持っていくよう指示した。


 洗濯物を干して戻って来た駿は、食卓に並ぶ朝食に目を奪われた。


 つやっとした白ご飯、湯気の立つネギと豆腐の味噌汁、ハム卵炒め。トーストとコーヒーで終わらせる日常ではない。まるで非日常だった。


「宇那木さん、あったかいうちにどうぞ。食後にコーヒーとか飲みます?」


「そ、そう、いや、おかまいなく、朝ご飯ありがとうございます。いただきます」 


 駿と真冬は席についた。二人は包丁や鍋などを洗っているまつりを待つ。


 その様子に気付いたまつりは「先にどうぞ」


「ええ、お母さんもいっしょがいい」


「お母さんじゃない。学校行かなきゃいけないんだから先食べて」


「じゃあ、いただきます」


「いただきます」


 駿は味噌汁を一口すする。就寝で水分を失い、まだ十分に潤っていない体が蘇るようだった。また、すする。次は幸せを感じた。


 ハム卵炒めを口に含み、ご飯も追って食べた。自然と涙がぽとり、と落ちていた。


「お父さん? どうしたの?」


 娘に声を掛けられ、駿は目に涙が溜まっていることに気が付いた。急いでパジャマの裾でぬぐった。


「まつげ入ったみたいだな、うん、もう大丈夫」


「お味はいかがですか」


 まつりがエプロンを外しながらリビングに入って来た。


「おいしー! 朝はいつもパンだから、ご飯って新鮮」


「そりゃよかった」まつりも椅子に座り「いただきまーす」と、ハム卵から手を付けた。「私もお二人と一緒に出ますね。8時だっけ」


「うん。一緒に学校まで行こうよ」


「あはは、それはちょっと。知らない大人といたら、先生びっくりしちゃうでしょ」 


「じゃあ迎えに来てよ」


「うーん、同じじゃない?」


 ぐいぐい来る真冬に苦笑いで返すまつり。たまたま出会い、あの場だけの付き合いのはずだった。どこまで付き合うことになるのだろう、もしや下着や化粧品も一緒に買いに行くのか……などと想像した。


 別に子供が嫌いなわけではない。けれど後の事を考えると、これ以上懐かれるのは避けた方がいい。例えば、まだ娘には紹介していないけど、実は駿にお付き合いしている人がいたとしたら……まつりは邪魔な存在だ。


 上手に真冬を遠ざけるには、と考えながら米を嚙んでいると、「さ、さ、佐藤さん」駿が呼びかけた。


 まつりは米を飲み込み、返事する。「はい」


 駿はがちゃっと箸を置き、背筋を伸ばした。


「ゆ、夕飯も、作ってくれます、か?」


 最後は消え入るような声だった。


 彼らの今後のために離れることを考えていたのに、父親の方から食事を依頼され、まつりは耳を疑った。


「す、すいません、む、娘が喜ぶと思って! ご迷惑なら」


「全然、迷惑じゃないですよ! ほら、無職だから! あはは!」


「やたー! 親子丼食べたい!」


「OK、親子丼ね」


 また彼らとの接点を持ってしまった。まつりは困惑しつつも、嫌な気はしなかった。




 3人は一緒に玄関をでて、マンションの下までやって来た。駿は眼鏡からコンタクトレンズに、真冬は昨日同様ポニーテールに結っている。


「ねえ、今日、学童なんだ。迎えに来てよ。一緒にスーパー行こうよ」まつりの黄緑のカーディガンのウェスト部分をちょこちょこ引っ張る。


 まつりをは迷う瞳を駿に向けた。


「俺が迎えに行くだろ」


「一緒に来ればいいじゃん」


「家族じゃない大人が学校や学童には入れないんだよ」


「お母さんなのに?」


「だから、お母さんじゃないってば。真冬ちゃん、私は部外者なの。じゃあ、学童終わったら、うちの前の公園で待ち合わせてスーパー行こう。いいですか、宇那木さん?」


「ええ、構いません。真冬」


 真冬は嫌そうに眉を寄せ、下唇を噛む。


「……分かった」


 真冬の通う小学校は、あの公園から歩いて5分ほど。毎朝、駿と真冬は公園まで一緒に歩き、そこで別れるという。


「そうだったんですか。もしかしたら、近くですれ違ってたかもしれませんね」


「確かに」


 まつりは自転車を押しながら、二人は歩きながら、公園へ向かって出発した。


 


 公園の前に到着すると、真冬は「絶対だよ、絶対スーパー、一緒に行くよ」と念を押して、小学校へ向かっていった。


「じゃあ、家に帰ります。お仕事頑張ってください」


「ありがとうございます。それでは、のちほど」


 自転車を転がすまつりの後姿に美味しい親子丼が見えた駿は、駅に足を向けた。

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