第19話 鵺の災い

「あ、台風か」


 昨晩遅くまで考え事をしていた椛は、吹きすさぶ風の音で目を覚ました。

 まだ暴風域には入っていないというのに、外はすごい風だ。

 顔を洗って、遅い朝ご飯を食べて、今日はゆっくりすごそう。そう思って階段を降りると、誰かが玄関で靴を履いていた。蒼真だ。


「ちょっと蒼真、台風だってのにどこ行くの?」


 昨日の帰り道、結局蒼真は椛の問いに答えてはくれず、気まずい沈黙の中帰宅した。


 だから椛も、ためらいがちに蒼真に問いかけた。

 それに対する蒼真の回答はシンプルなものだった。


「鵺を退治してくる」

「正気? こんな天気なのに? わかった、当てつけでしょ。私が昨日あんたにあんなこと聞いたから。いいわよ、私は気にしてないわ。例え私が死んだ紅葉姫の代わりでも――」

「――違う!」


 その声は家中に響き渡った。

 紅葉は驚いて玄関に来た両親に、大丈夫だからと説明して返す。


「違う。鵺は早く退治されなければならない。鵺はからだ」

「災いを呼ぶ?」

「そうだ。鵺が居座る街には災いがやって来る。事故が増える、病気が流行る、心が乱れる。そしてこの台風だ」

「鵺が呼び寄せているっての?」

「だろうな。珍しい進路をとっているとニュースで言っていた。この町への直撃コースだ」

「そんな……!」


 鵺は椛を狙ってこの町に現れた。その鵺が災いを呼び寄せる。この台風もそうだ。病といえば、廣瀬家の田を襲ったいもちはどうだろうか? 廣瀬巴は椛の親友だ。近しい人物が被害を受けてもおかしくない。翠梅寺川で襲ってきた蛇妖怪は? 学校の鬼火は? 嫌な事ばかりが椛の頭をぐるぐる回る。


「私も行く……!」

「だめだ、椛は家にいろ。鵺の狙いは君だという事を忘れたか?」

「でも……!」

「だめだ。だいいち呪符はもうないじゃないか」

「術式があるわ!」

「はっきり言おう、君では力不足だ、足手まといだ。一人で戦った方がマシだ」

「待って……!」


 椛の最後の言葉を聞かず、バタンと玄関は閉まった。

 力不足。蒼真の言ったどの言葉よりも、その単語が椛の心に刺さっていた。


「ねえ椛、蒼真君は?」

「知らない」


 色々と聞いてくる両親に生返事をしつつ、椛は味のしないトーストと味のしないサラダ、目玉焼きの朝食を食べた。父健人が読む新聞の一面は、『手足口病異例の流行』だ。隅には地元のプロ野球チームで怪我人が続出しているという記事も載っている。


 全部自分のせいだろうか?

 椛は自問自答する。

 憑かれやすい少女である椛が、鵺に憑かれたから。そのせいだろうか?


 さっぱりしたくて、椛は味のしないコーヒーを飲み、おまけにシャワーを浴びた。

 シャワーに打たれていると、蒼真に出会ってからの事が思い浮かんだ。


 最初は美人の転校生だと思った。淡い憧れも抱いた。一緒に住むと聞いて驚いた。正体は龍だと知ってもっと驚いた。蒼真はいつも必死だった。それは椛に向けたものなのか、紅葉姫に向けたものなのか。


「何歳なんだろうなあ……」


 少なくとも戦国時代から生きているのは確定だ。とんでもないお爺さんだ。でも正直言って、年下のクソガキにしか思えない時もある。鬼火の件の時は敵の数を見誤った。久延毘古の時はご飯食べ過ぎて爆睡していたし、蛇妖怪の時に至っては解決後にやってきた。


「ほんと、強いのに頼りにならない護衛なんだから」


 気がついた時には、椛の足は玄関へと向かっていた。



 ☆☆☆☆☆



『キュオオオン! まさか貴様の方からやって来るとはな』

「なに、決着をつけようと思ってな」


 台風接近とあって人気ひとけの無い町外れのグラウンドで、正木蒼真と鵺は対峙していた。叩きつけるような強い雨風だ。


『あの時の俺だと思うなよ。わかるだろう? あれから霊力の高い人間を三人食らった。腹の足しに妖怪や霊魂もたらふく食ってやったわ。次は貴様のせいで食い損ねた、あの女を頭から食ってやる!』

「やらせるかよ!」


 鳴った雷が戦いの始まりを告げた。

 キュオオオンと強く吠え、鵺がその凶悪な虎の前足で襲い掛かる。

 だが蒼真も純白の鞘から刀を抜き、攻撃を防いだ。


『戦い。戦いはいいよなあ』

「何を!」

『また人間どもが殺しあう時代が来ねえかな。好きなんだよなあ、悲鳴を聴くの』

「この外道げどうめ!」


 蒼真が斬りかかるも鵺はひらりとかわし、逆にその蛇の頭が付いた尾で嚙みつこうとする。


『ほんと人間ってバカだよなあ。ちょっと欲をかきたててやったら、すぐに他人から奪う』

「どういう意味だ?」

『あれ、お前知らねえの? 鵺は事故を呼び、病を流行らせ、心を乱す。元亀の頃だったか? この辺りにいた何とかって大名にちょっと吹き込んでやったら、そいつどんどん戦を起こしてさ。楽しかったなあ』


 ギリリと、蒼真は自分でも知らぬうちに強く歯ぎしりをした。

 刀を握る拳にも痛いほど力がこもる。

 それを知ってか知らずか、鵺はなおも猿の顔をニヤけさせて話を続ける。



『思い出した、ここでの戦いは傑作だったぜ。弱小領主が歯向かいやがって、最後には一族そろって自刃。姫なんて川に身を投げてやんの。なんて言ったかなあ――ブベッ!?』


 油断した鵺のニヤけた猿面に、蒼真の拳が叩き込まれた。


「教えてやる、紅葉姫だ」

『ほう、なんだ? お前も知ってんのか? まあいい。殴られた礼は倍にして返させてもらうぜ!』

「ごふっ……!?」


 鵺の鋭い一撃をかわしきれず、蒼真はまともに食らって吹き飛ばされる。

 明らかに今までより速い攻撃だ。


『前の俺と違うって言ったろ? 前の時は寝起きだったわけ。今は快調。つまりお前は死ぬ』


 冷たい雨が、動けない蒼真に降り注ぐ。

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