第16話 Re.翠梅寺川の戦い
「ごぼぼっ、――むぐ!?」
苦しい。水を飲んだ。意識が遠くなっていく。
下半身が蛇の女妖怪に水中に引き込まれ、椛は苦しんでいた。
(御札は――ない!? 術も……)
御札はきっちりとジャージのポケットに突っ込んでいたが、どこかに流されたようだ。だがどのみち持っていてもラーメンの汁でだめになる耐水性だ。使えなかっただろう。
水波能売神の力を借りて水を操る術式も、気を失いそうなこの状況では集中できず使えない。万事休すだ。
(蒼真は……?)
護衛の蒼真はどこまで行ったのだろうか。この状況に気づいていれば助けに来てくれるだろうが、残念ながらその気配はない。そして椛は知る由もないが、霊を見ることができない巴もまた、椛のピンチには気づいていなかった。
『サア食ベヨウ、スグ食ベヨウ』
(痛っ……!)
妖怪の水かきのついた指先が、椛の肌に食い込む。口には牙が見え、眼前のごちそうを前に目が爛々と輝いている。
(餌になんてなるもんか!)
そう強がって見せても、蛇妖怪の力はものすごく彼女の力では振りほどくことができない。目の間に凶悪な牙が迫る。意識が遠くなる。助けて、そう祈りを捧げた時だった。
『グアッ!?』
蛇妖怪が苦痛の声をあげ、椛の身体が楽になった。そして彼女は何かに引っ張られて急浮上する。
「ゲホゲホ、あ、ありがとね」
『なんの。礼なんぞ不要でござる』
ござる? 自分を助けてくれたのはてっきり蒼真だと思っていた椛は、その語尾に疑問を覚える。河原に運ばれ呼吸を整えた彼女は、そこで初めて自分を救った存在を目にした。
「――って、あんたなんとか左衛門!?」
『左様。大丈夫でござるか、椛殿?』
それはボロボロの鎧武者――落ち武者の霊、かつて椛にタクシー感覚でとり憑いたなんとか左衛門だった。
「あんた、なんでここに!? というか成仏したんじゃ?」
『ハハハ、ワールドカップで日本が優勝するまで、成仏はできんでござるよ。それにこの地は我が終焉の地。彷徨うておったら、椛殿が妖に囚われていたので候』
それを聞いて椛は思い出す。目の前の落ち武者は、確かに翠梅寺川の戦いで討死にしたと言っていたと。二人が話していると、水面が割れて追ってきた蛇妖怪が飛び出した。
『下がっておられよ椛殿』
『生胆寄コセ!』
『我が名は
決して顔が良いとは言えない髭面の佐藤義親はそう決めると、刀を抜いて蛇妖怪に斬りかかる。蛇妖怪は意外にも俊敏な動きと、するどい爪と牙で迎え撃った。
「ちょっと椛、あんた大丈夫?」
「うん巴、とりあえず」
それまで見えなかった椛が突然河原に打ち上げられたのを見、巴は急いで駆け寄った。
「もしかして溺れてたん? 探したんだよ。……もしかして、陰陽師絡み?」
「うん、そう」
「ちなみに今はどうなってんの?」
霊が見えない巴には目の前の戦いは見えず、ただ不自然に水面が跳ね、河原の石が転がっているようにしか見えない。
「えーっと、目の前で落ち武者の霊と下半身蛇の女妖怪が戦ってる」
「なにその
実際B級映画染みているが、その攻防は激しかった。
義親が鋭く斬りかかると、蛇妖怪は硬い鱗に覆われた尾で防御し爪で反撃。対する義親もそれを完全に見切り、鱗の薄い部分に果敢に斬りこむ。
『邪魔ダアッ!』
『この三郎左衛門義親、決してこの地で狼藉は許さぬぞ!』
椛は知る由もないことだが、冴えないおっさんといった具合の義親の剣技は、そのレベルだけで言えば正木蒼真のそれをはるかに凌ぐものだった。
義親は生前から蹴鞠と甘味が好きなだけで、特技は武働きだったのだ。そういった事情もあって、戦闘は次第に義親が押していく。
『椛殿、拙者が抑えておくゆえとどめを!』
「わかったわ! 水流よ、
『グヌアッ!?』
椛の放った水流が命中すると、蛇妖怪からはみるみるうちに霊力が霧散していく。やがて霊力が無くなりきった時、蛇妖怪はただの蛇となって、茂みの中へと逃げていった。
『奴はもう普通の蛇に戻ったでやんす。これで一安心でやんすな』
「うわっ、豆腐小僧!?」
いつの間にか椛の足元には、網傘に一つ目の豆腐小僧が立っていた。
『戦いの気配を感じて駆けつけたでやんすが、もう終わったようでやんすな。ええい、間に合っていたらおからを投げつけて戦ったでやんすが……』
「おからじゃ無理でしょ」
鵺との戦いで震えるばかりで役立たずだったのは、椛の記憶に新しい。
「え、なにおから? もしかして新しい妖怪がいんの!?」
「あー、そうだけどごめん巴。後で説明するから。助けてくれてありがとね、何とか左衛門。あんた強いんだ」
『なんのこれしきでござる。お、豆腐の。お主も来ておったのか』
『姫の危機とあらば当然』
えへんと胸を張る豆腐小僧。しかし彼は何もしていない。
一方椛は、親しく話す義親と豆腐小僧の姿に素朴な疑問を持った。
「え、なんなの。あんた達知り合い?」
『左様。拙者と豆腐のは拙者がまだ生きて時からの顔なじみでござる。昔は人と
そして義親は、しげしげと椛の顔を眺める。
『しかし言われてみれば姫によく似ておられるなあ』
『そうでやんすよね?』
「あんた達の言う姫ってなんなの?」
椛の言葉に、義親は少し遠い目をして答えた。
『姫は拙者が生前お仕えしていたお方でござる』
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