第14話 久延毘古と田

『ダセ……、ムスメ……!』

「お生憎あいにくだけど、巴はここにこないわよ」


 対峙する泥の人形の化け物に、椛は言い放つ。

 蒼真につきあってもらったのは言ってみれば保険だ。元々霊絡みとは思っていなかったし、一人で解決しようと考えていた。なぜなら、彼女にとって廣瀬巴は大切な親友だからだ。


(大丈夫。私一人でもやれる。だから安心して寝てなさい、巴)


 椛と巴が出会ったのは、小学三年生のクラス替えだった。

 その頃の椛は一年前に急に霊が見えるようになり、困っていた。最大の悩みは、幼い彼女は幽霊や妖怪を他人も見ることができると思っていたことだ。


 いないものをいると言う。そんな人物が周りからどう言われるか決まっている。

 

 ――噓つきだ。


『やーい、嘘つき女!』


 当時、周囲の男子はよく椛をからかってこう呼んだ。

 幸いというか、両親はのんびりした人物で、彼女の言動を幼少期によくあるイマジナリーフレンドと思い優しく見守っていた。


 だが、学校に行けば心無い人間にからかわれる日々。

 だから三年生に上がってすぐ、椛は学校に行きたくなくなっていた。

 そんな彼女に転機が訪れた。


『こら! ヤナミマリちゃんをいじめるな!』

『うわっ、ぼーりょく女が出たぞ! 逃げろ!』


 どうも柳町という名字が難しかったのかうろ覚えだったが、椛にとって文字通り彼女は救世主だった。


『すごい! 今のって?』

『大外刈りだよ。親父には使っちゃだめって言われたけど、いじめの方がずっと悪いよ。大丈夫、ヤナミちゃん?』

『ヤナミじゃなくて柳ま……いや、椛って呼んで』

『じゃあウチも巴で』


 それ以来、二人は親友だ。

 廣瀬巴は社交的な人物だが、コンプレックスのある自分の名前を呼ばせることは少ない。大抵「ヒロちゃん」や「トモっち」と呼ばせている。

 

 だが椛は違う。

 嘘つき女、暴力女とからかわれた二人は無二の親友なのだ。だから――。


『ジャマ……、トオセ……、ヤマイ……、シ……』

「なに? 呪い殺そうとでも言うの? 通すわけにはいかないのよっ!」


 大丈夫。蒼真がいなくてもやれる。それにここは深夜の田舎道。誰も通らないから巻き込む心配はない。そう自分に言い聞かせて、椛は構えた。


「清き水よ、水波能売ミヅハノメの力を借りて魔を穿て!」


 そう唱えると、近くの用水路から水流が巻き上がった。

 これは彼女がここしばらく練習していた術だ。水を司る神、水波能売ミヅハノメの力を借りて水鉄砲のように水流を放つ陰陽師の術式。


「いけっ!」

『グオッ……!?』

「よし、効いてる!」


 椛の思った通り、泥で出来たその身体に水流の効果は抜群のようだ。

 泥人形の化け物は、身体の一部が崩れ去ってうめき声をあげる。


「妖怪か幽霊かは知らないけれど、あんたの好きにはさせないわよ!」

「――え、椛? なんなん、その泥みたいなの!?」


 聞き慣れた声が聞こえて振り返る。そこにはジャージにサンダルの廣瀬巴が、驚いた表情で立っていた。


「巴!? どうしてここに……いや、あれが見えるの!?」

「え? 見えるってか普通にいるじゃん! なんなんあれ!? 起きたら椛いないし探しに……何が起きてるん!?」


 巴の出現に気を取られていると、泥人形が再び動き出した。


『タア……、タア……、シヌ……』


 相変わらず何を言っているか椛にはわからないが、巴が来てしまった以上、早く決着をつけなければまずい事になりそうだ。だから渾身の力を振り絞って、御札を構える。


「さあ、成仏なさい――」

『グオ……、ジャマ……、ムスメ――』

「――待った!」


 椛が札を放とうとした瞬間、間に銀色の影が割り込んだ。

 銀髪に白い装束。力を発揮しているときの蒼真だ。


「え、え? 蒼真君!?」

「廣瀬、悪いが説明は後だ。椛、札を下ろせ!」

「ちょっと蒼真、どうして止めるのよ!? というかあんた今まで何してたのよ!」

「邪悪な気配がなかったからな。夕餉ゆうげが美味でつい熟睡していた。廣瀬巴、特にご飯が美味しかった。ごちそうさまです」

「え、お粗末様です。ま、米の一粒は農家の汗一粒だからね」


 なぜ髪が銀色なのか、そもそもこの騒ぎはなんなのか、まるで状況はわからないが実家の米に自信のある巴はとりあえず礼を言った。


「邪悪な気配がないってなによ? 目の前のこいつは巴のストーカーなのよ!? しかも巴を呪い殺そうとしている!」

「おちつけ椛。こいつは――いや、このお方はそんな邪悪な事はしない!」

「このお方? なんなのよこいつは?」

「聞け、このお方は久延毘古クエビコ案山子かかしが神格化した、田畑の神だ!」


 蒼真の言葉に驚いた椛は「神様……?」と声を絞り出しフリーズする。

 成り行きを見守っていた巴は、田畑の神という言葉にピンときて口を開いた。


「ねえ蒼真君、田畑の神様ってことは、ウチに何か用がある系なん?」

「おそらくそうだろう。久延毘古殿、話していただけませんか?」


 久延毘古は泥の頭で首肯すると、ゆっくり喋り始める。


『タア……、タア……、ヤマイ……、シヌ……』

「タア? 田んぼってこと? 病……死ぬ……まさか!」


 何かに気がついた巴が、懐中電灯片手に田んぼに入る。

 それを見た蒼真も、思い至るものがあった。


「そうか、だ!」

「……ねえ蒼真、いもちってなんの餅?」

「餅ではない。稲の病気だ」

「お米も病気になるの?」

「ああ。だから農業は昔から難しい」


 いもち病。米の生育期間その全てで発生可能性があり、発生し広まるとその年の収穫高に深刻な被害をもたらす。米農家が最も恐れる病気とも言われると、蒼真は椛に教えた。


「じゃあこの……神様はそれを教えようと」

「ああ、幸いにして発生初期のようだ。廣瀬家は普段田を見ている父上殿が腰を痛めていると言っていた。だから発見が遅れたのを、知らせようとしてくれたのだろう」

「あの、久延毘古様……。ごめんなさい! わけも聞かず攻撃してしまって、どう謝っていいか……」


 用は済んだと踵を返す久延毘古の背に、椛は謝罪する。

 久延毘古はその言葉に足を止めると、風鳴のような声を出す。


『ヨイ……、トモ……、マモル……、シタ……、ダケ……』


 そして久延毘古はまた歩みを始める。

 その背中に、田んぼから顔を出した巴が叫んだ。


「神様ー! ありがとー!」

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