第9話 怪奇現象
「いいか椛。俺も護衛として当然全力を尽くすが、君も自衛する手段を身につけなければならない」
休日。昼食を終えた後、椛の部屋に来た蒼真はそう語りだす。
「自衛? 訓練したってあんな虎みたいなのと戦えるわけないじゃん。私は龍じゃないのよ?」
「龍ではないが陰陽師の血筋だ。そして君は強力な霊力をもっている。これを見てくれ」
取り出したのは長方形の紙だった。
模様や文字のようなものが墨で書かれている。
「これは
「そうだ。
「マジでマンガの世界ね。それ蒼真が書いたん?」
「いいや、ご本家から送ってもらった。レターパックでな。数ダース単位で送ってもらったが、とりあえず見本で一枚持ってきた」
椛は御札を受け取ると、御札すら発送可能な日本の郵便システムの偉大さに感心しながらしげしげと眺める。
書いてある言葉の意味はわからない。霊力と言われたので椛なりに気合を込めて持ってみたものの、御札はなんの反応も示さない。
「ねえ、これちゃんと使えるの?」
「多少の練習をすればな。なに、才能のある君ならすぐにだ」
「そ、そうかな? えへへ」
どうやら蒼真は褒めて伸ばすタイプらしい。
そして椛もまた、褒められて伸びると自任しているタイプだ。
「心配はいらないさ。制作に時間のかかる強力な呪符だ。使いこなせば強力な守りに――」
蒼真の言葉は、一階のリビングで両親が騒ぐ声で遮られた。
「わわっ、母さん! 雑巾雑巾!」
「わっ! 父さん大丈夫、火傷してない!?」
状況からして、遅れて昼食をとろうとした父が何かをこぼし、母が慌てて雑巾を準備しているのだろう。そこまで察した椛は、はっと気がつく。
「ねえ蒼真、この御札は私に見せるために一枚持ってきただけなのよね? 残りはどこにあるの?」
「すぐに見せようとレターパックから一枚取り出してきたから、残りはリビングの……」
そこまで言うと、二人して慌てて階段を駆け下りる。
降りきったところで広がるのはラーメンの匂い、目に映るのは雑巾をかける母の姿。そして、
「あっ、蒼真君ごめんなさい! お父さんがラーメンこぼしちゃって。急いで拭いたけど中身は大丈夫?」
哀れラーメンの汁漬けとなったレターパックだった。
蒼真は恐る恐るといった手つきで、中身を取り出す。
「ねえ蒼真。ラーメンの汁で滲んだ御札も効果あるのかしら?」
「…………」
「もお、お父さーんっ!」
濡れたシャツを着替えた父がとぼけた顔をして洗面所から出てきたのは、絶句した蒼真に代わって椛が叫んでしばらくしてからだった。
☆☆☆☆☆
「ねえ椛、あんた良いことあった?」
週明けの月曜日。弁当を食べ終えた巴は、朝からにやけ面の友人にそう訊ねた。
「え? そう見える?」
「いや、そんだけ浮かれたオーラ出してりゃね。週末に何があったん?」
「えーっと、虎に追いかけられた」
「虎?」
「それと重要な……うーん、書類かな。それにお父さんがラーメンこぼした」
「……虎とかいう冗談は置いといて、なんの書類か知らないけどあんたのお父さんは深く反省した方が良いと思う」
「それは私もそう思う」
心配をかけたくないということで椛は鵺や陰陽師のことを両親には伝えてないが、父がラーメンをこぼして重要な書類――御札をだめにしたことは伝えた。父健人は海よりも深く反省し、蒼真に誠心誠意謝罪し、その日の夕飯は椛の好きなケンタッキーになった。
「まあお父さんも反省したし許したんだけどね。あ、蒼真。お昼なに食べたの?」
「食堂でうどんを食べた。こっちのうどんは柔らかいんだな。中々に美味だったぞ」
他愛のない昼食に関する雑談。和やかに(もっとも蒼真はほとんど無表情だが)会話する二人を見て、巴はぎょっとした顔をする。
「いやいやいやいや」
「どうしたの巴。遅れてきたイヤイヤ期?」
「いや、急に仲良くなりすぎじゃない君ら?」
「え、私と蒼真のこと?」
「それ以外の何があるんよ。金曜は壁あったじゃん。ベルリンの壁があったじゃん」
「うーん、秘密」
そうはぐらかす椛は、実際の所機機嫌が良かった。
御札は汁浸しだが、彼女に心強いボディーガードがいるのに変わりないし、今日の登校なんて早速デート気分を楽しんだ。
巴はそんな姿を見て、深く長い溜息を吐いた。
「はーもうやってられんわ。こっちは土日の練習に謎の幽霊騒ぎがあったってのに」
「幽霊騒ぎ?」
「お、蒼真君興味ある? ポルターガイストっての? 楽器が空中浮遊したとか後輩たちが騒いでさ」
巴の話を蒼真が興味深く、椛が適当な相槌をうちながら聞いていると、男子生徒が「事件だ!」と慌てて教室に駆け込んできた。
「おい、本多先生の愛車のフロントガラス割られたってよ!」
おいおい昭和の学級崩壊か。日曜の昼の再放送で見たドラマの知識で椛が内心ツッコミをいれていると、蒼真が周囲に聞こえないよう小声で耳打ちした。
(感じたか椛?)
(何を?)
(この感覚。霊の仕業だ)
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