第6話 ささくれ笹かまぼこ
「あ、おはー椛」
「おはよう巴」
「お、正木君もじゃん。おはー」
「ああ、おはよう廣瀬」
元気に手を振る廣瀬巴にたいして蒼真は淡々と挨拶を返すと、椛の方を見た。だが椛が顔を逸らすと、すぐに目線を外して真っすぐ自分の席へと向かう。
「あれ? 椛ったらもしかして正木君と一緒に登校しちゃったりして?」
「はあ!? そんなわけないでしょ!」
「冗談に決まってんじゃーん。なにその食いつき方、逆にびびるんですけど?」
「うっ……、ごめん」
「というか正木君におはようを言わなくてよかったん?」
「なんで私が正木君に挨拶する必要があるわけ?」
「なんでって、昨日はあんなに恋する乙女の顔してたじゃん」
「あはは……、まあ気分みたいな」
実のところ、蒼真には朝食の時に顔を合わせ挨拶した。完璧に無視をするほど椛は子どもではなくて、かといって状況を受け入れられるほど大人じゃない。
怪しまれたくないし学校では普通に振舞おうとも思っていたのだが、昨晩伝えた「登校時間をずらすこと」という要望を、蒼真はわかっていないのか聞く気はないのか、今朝の登校では五メートルほどあけてきっちり後ろを歩いていた。おかげで顔を合わす気にもなれない。
「なーに? 一晩でベルリンの壁でも建っちゃった?」
「なにそれブルボンのお菓子の名前?」
「いや違うし。ドイツにあった壁のことだし」
「へえ、巴ってば時々変な事知ってるよね」
「一般常識でしょ……」
☆☆☆☆☆
その日の放課後、椛は近所の公園に来ていた。
はっきり言って家に帰りたくないからだ。
椛の中には複雑な感情がせめぎあっているのに、正木蒼真ときたらいつも通りの涼しい美人顔だった。特に悩みなんてないですみたいな調子で、今日も勉強もスポーツも完璧だった。それがまた椛をいらだたせる。
「で、なんであんたがいるわけ?」
金曜日の夕方。公園内は浮ついた気分の会社員や、大学生が目立つ。陰鬱な雰囲気を放ちブランコに座る椛は浮いている。そしてその目線の先には、網傘を被った一つ目の妖怪――そう、どこかへ行ったはずの豆腐小僧だ。
『ふむ。冷静に考えてみれば、たまたまとり憑いた相手に豆腐をねだるなどカツアゲも同然でやんす』
「同然じゃなくてカツアゲね。ゆすりね」
『あっしとて妖怪の端くれ、受け取った恩の分くらいは返そうと戻ってきた次第でやんす』
なかなか殊勝な心掛けだ。だがはっきり言って――。
「せっかくだけど結構だわ。不要、無用、いらなーい」
『そんなあ、あっしがいると役に立つでやんすよ?』
「役に立つって、例えばどんな?」
当然の疑問だ。椛は霊的な何かにとり憑かれることはあっても、力を借りることなんてなかった。仮にも人に見えない超常的な存在であるし、もしかしたらめちゃくちゃすごい能力があるのかもしれない。
『例えば、豆腐の質がわかるでやんす』
「……まあ豆腐小僧って名前だしね。他には?」
『えーっと……、その……以上でやんす』
「……それでよく役に立つと言えたものね。解散!」
『そんな、頼むでやんす姫~』
「姫じゃない! あんたじゃ私の笹かまぼこのようにささくれだった心は癒されないのよ」
『別に笹かまぼこはささくれだってないでやんす』
そんなアホな会話をしていると、急に周囲の空気がずしりと重くなった気がした。そしてさっきまで晴れていたのに、気づけばどんよりとした曇り空が広がっている。
「おかしいなあ、天気予報は一日晴れだって言っていたのに」
折り畳み傘も持ってないし、ネタ妖怪は放って帰ろうか。そう想い立ち上がった椛の袖を、豆腐小僧が掴んだ。
「なに? まだ何か用なの?」
『やばいでやんすよ姫! 早く逃げた方が良いでやんす!』
「逃げる? まあ今から帰るんだけど――っ!?」
その瞬間、椛はフリーズした。
見てはいけないもの、この平和な公園に存在してはいけないものを見てしまったからだ。
虎だ。十二支であれば三番目。英語で言うとタイガー。動物園でしかお目にかかれないはずのそれが、夕暮れにはまだ早い公園に鎮座している。
「と、ととと虎っ!? で、電話しなきゃ……! 動物園? 警察? それとも自衛隊!?」
『そのどれも対応できないと思うでやんす』
「うるさい! 妖怪が口を挟まないでよ!」
『違うでやんす。周囲をよく見るでやんす』
言われて周囲を見渡す。そして違和感を覚える。平和な公園に虎がいるというのに、周囲を歩く人はみんな素通りだ。つまりこれは――。
「妖怪……?」
『正解でやんす。あ奴は
それは椛にとって初めての衝撃だった。グロテスクな地縛霊は見たことがあるが、ここまで狂暴そうなのは生まれて初めて見る。でも危険なのは理解できる。だから逃げようと、半歩後ずさった。
「嘘、こっちに来る……!?」
鵺はその巨体を揺らして、のっしのっしと迫る。椛はというと、恐怖に足がすくんで金縛りにあったように体が動かせない。そんな椛の耳に、「キュオオオン」という地獄の底から響くような声が聞こえる。鵺の声だ。
『よこせ。
その唸り声は、今度は言葉となって
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