第3話 木綿と絹ごし

「おはよう椛、元気になってんじゃん」

「おかげさまで。おはよう、巴」


 翌日。無事に落ち武者の霊を成仏させた椛は、普通に登校していた。

 だいたいマリトッツォが流行ったのは一昔前で、探すのには非常に手間取ったのだが、町はずれのパン屋でなんとか購入することができた。


(それにしても佐藤なんとか左衛門のやつ、マリトッツォをお供えすると涙を流して成仏していきやがった。どれだけ食べたかったんだ、マリトッツォ)


 霊体ゆえに食べることができなかったマリトッツォは椛の胃袋へと消え、無事に落ち武者佐藤なんとか左衛門とはグッバイし、久方ぶりの安眠を手に入れたのだった。


 そんな解放感に包まれる椛の目に、登校してきた正木蒼真の姿が見えた。だから他のクラスメイトに対するのと同じように挨拶をする。


「あ、おはよう正木君」

「ああ、おはよう」


 教室に入ると、正木蒼真は席に座って本を読み始める。漢字が並ぶタイトルの分厚いハードカバーで、小難しそうな内容のようだ。


 椛も自分の席に座って授業の準備。そんな何気ない日常を過ごしていると、前の席の巴が驚いた様子で話しかけてきた。


「ちょっとちょっと、どういうことー?」

「どういうことって何が?」

「正木君の事だって。噂の転校生と急接近かあ!?」

「急接近って、昨日の帰りたまたま会って、少し話をしたくらいだけど……」

「ふーん、怪しい」

「もう巴、挨拶しただけで怪しいはないでしょ」

「だってあの正木君が少し微笑んでいたし!」


 正木蒼真が転校してきたのはつい昨日のことだというのに、微笑みながら(それもほんの少し)挨拶を返した程度でおおげさなことだと椛は思う。巴ときたら、まるで人気アイドルのスキャンダルを報じる芸能リポーターだ。


 ちらりと正木蒼真の方を見ると、教室の喧騒なんて我関せずといったぐあいに、静かに本を読んでいる。そんな蒼真が本から少し視線を外した。


「「…………」」


 椛が恥ずかしくなって目を逸らすのと、蒼真が本に視線を戻すのはほぼ同時で、時間は三秒くらいだった。目があった。


「顔赤くしてどうしたん? また体調悪い?」

「う、ううん。大丈夫よ巴」


 どうやら、喋るのに夢中だった巴には見られていなかったようだ。

 何を考えているかわからないけれど、吸い込まれそうなくらいきれいな瞳だった。そんなことを考えていたところで、担任の本多晴子が教室へと入ってきた。



 ☆☆☆☆☆



 その日の放課後、落ち武者が憑いていたことで遅れていた美術の課題を居残りで終わらせた椛は、家路についていた。夕暮れ時。世界が赤く染まり、やがて闇に包まれる。そんな時間だ。


「…………?」


 足音が聞こえた気がして振り返る。誰もいない。

 人通りの少ない道だ。あまり通りたくはないが、家への近道だから仕方ない。

 だから椛は、スピードを速めて再び歩き始める。


 スタスタスタ。響くのは自分の足音だけだ。だが時々なにか気配を感じて、二度三度と振り返る。誰もいない。


 昨日落ち武者を成仏させたばかりなのに、またとり憑かれてたまるか。心の中でそんな文句を言いながら、家路を急ぐ。


「はあはあ、やっと着いた……。ここまで来れば、もう大丈夫」

『お、ここがお主のお家でやんすか?』

「……で、あんたは?」


 ほっとしたのも束の間、自分以外の奇妙な声が聞こえたので足元を見る。するとそこには、網傘を被った小さなお坊さんみたいなのがいた。子どもにも見えるが、顔の中心にはデカデカとした目玉ひとつ。椛も今さら一つ目ぐらいで驚かない。


『あっしはいわゆる妖怪、豆腐小僧とうふこぞうでやんす!』

「はあああ……」


 思わず大きなため息がでる。またか。


「で、あんたは何をあげれば離れてくれるの?」

『当然豆腐でやんす。豆腐が欲しいでやんす』

「はいはい豆腐ねー」


 豆腐で良かった。椛は心の底からそう思う。冷蔵庫にあるだろうし、お小遣いへのダメージはなくて済む。ただでさえピンチなのに、昨日マリトッツォを買わされたのだ。


「えーっと、豆腐豆腐。あった。はいこれ」


 椛は冷蔵庫から探し出した豆腐を豆腐小僧に渡した。これで万事解決問題なし……そう思ったが、なぜか豆腐小僧は渋い顔をしている。


「なによ、不満があるの? パックもあいてない新品じゃない」

『……でやんす』

「はあ?」

『これは木綿豆腐もめんどうふでやんす! あっしが欲しいのは、きぬごし豆腐でやんす!』

「うわ、めんどくさ。あんたは家庭科の先生か。それで勘弁してよ」

『嫌でやんす! 絹ごし豆腐をくれないのなら、お主に「豆腐を買ったら帰るまでに割れる呪い」をかけてやるでやんす! 期限は一生!』

「地味に嫌だなあ……。あーはいはい、買えばいいんでしょ買えば!」


 しぶしぶ近所のスーパーへ行くと、意外な人物がいた。


「あれ、正木君じゃん。おつかい?」

「まあそんなところだ。君もか?」

「あー、うん。ちょっと絹ごしをね……」


 正木蒼真はいつもの変わらない表情で、何も入っていない買い物カゴを持っていた。


『ほれ、早くするでやんす』

「ああもう、わかったから。それじゃあ正木君、また学校でね」

「ああ」


 せっつかれる椛は、後ろ髪をひかれる思いでその場を去る。

 その帰り道、彼女はふと気になっていたことを尋ねた。


「ちなみにあんたの絹ごしに対するそのこだわりはなんなの?」

『絹ごしのほうが低カロリーでヘルシーでやんす』

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