第1話 つかれやすい少女

 五月のGWゴールデンウィーク明け。朝のホームルーム前の百岡ももおか中学二年二組の教室は、まるでバーゲンセールのような騒がしさだ。その一角、窓際の席で柳町椛は友達の廣瀬ひろせ ともえの話を聞いていた。


「――でさあ、もうそのシーンがすっごくエモくって! ねえ、椛。あんたウチの話聞いてる?」

「え? 聞いてる聞いてる」

「嘘。じゃあなんの話してたか言ってみろー」

「えーっと、味の素の冷凍餃子がリニューアルして美味しくなった?」

「どこの世界に朝っぱらから冷凍餃子の話をする女子中学生がいるん!? 映画よえ・い・が!」


 ギャルを自称する巴は、犬が威嚇するような顔で椛を睨む。だがその顔はすぐに心配そうな表情を浮かべた。


「椛、あんたない?」

「……ああ、うん。るね。そう見える?」

「え? まあ、朝からぼーっとしすぎだって。なに、昨日夜更かしした?」

「夜更かししたというか、眠れなかったというか」


 そう、椛は昨晩熟睡することができなかった。悪夢をみたからだ。それは、枕元で落ち武者が騒ぎ続けるという悪夢という名の現実。


「ふーん、夜はちゃんと寝た方が良いと思うよ。美容の大敵だし」

『そうでござるぞ椛殿。勉学に励むにも身体が資本で候』

「は、ははは……」


 に「お前のせいだ」とつっこみをいれたくなるのを我慢して、椛は乾いた笑いをこぼした。それを見た巴が、怪訝な表情で何か言葉を発しようとしたところで、ガラガラと教室の扉が開いて担任の本多 晴子が入ってきた。


「はーい、みんな静かに。遅くなってごめんなさい。突然だけど、転校生がやってきてね」


 ざわざわするクラスにもう一度静かにするよう注意すると、晴子は廊下に向かって手招きをした。


 転校生は男子生徒だった。すらっとした体形に綺麗な黒髪が、黒い学生服とよく似合っている。涼しげな瞳に端正な顔立ちで、巴なんかは「うわ、イケメンじゃん」などと思わず漏らす。


「じゃあ、自己紹介をお願いね」

「はい」


 返事をした転校生は、黒板に名前を書いていく。正しいに柿の木の木、蒼いに真実の真だ。それはまるで印刷されたようにきっちりした字で、まじめな性格がにじみ出ているようだった。


「正木蒼真です。父の急な転勤で転校してきました。よろしくお願いします」


 この中途半端な時期の転校の理由をそう簡単に告げると、正木蒼真はお手本のような角度で頭を下げた。そして顔をあげたタイミングで、椛は彼と目が合った気がした。


(美人だな……)


 間違いなく美男子ではある。けれどその顔立ちやたたずまいの優雅さは、かっこいいという感想よりも先に美人という単語が思い浮かんだ。


(というか私を見ているというより――)


 その視線は、椛の右肩やや上方。何もないはずの空間を見ている気がする。いや、間違いなく見ている。凝視している。


 ふと、こちらの視線に気がついたのか、正木蒼真は目を逸らした。そんな彼には、矢継ぎ早に質問が浴びせられる。どこから来たのか、好きな食べ物は、趣味は、恋人はいるのか。


 正木蒼真はそれらの質問に淡々と答えた後、空き教室から運び込まれた席に座った。ちなみに質問の答えは、京都、茶そば、読書、いないだった。



 ☆☆☆☆☆



「じゃあまた明日ね、巴」

「おつー。今日はちゃんと寝ろよー?」


 放課後、椛は吹奏楽部へと向かう巴に別れを告げると、一人下駄箱へ。住宅もまばらな、人気の無い帰り道を歩く。


『しっかしあの正木とかいう者、なかなかでござるな』

「そうだねえ。天は二物も三物もって感じだよね」


 ミステリアス正木蒼真は初日からすごかった。難しい問題を当てられてもビシビシと答え、体育の時間ではバスケットでバシバシ活躍していた。その美形もあいまって早くも人気者で、ファンクラブが作られるなんて噂も耳にした。


『やっぱり椛殿も懸想けそうしておるのでござるか?』

「けそう……ってなに?」

『恋焦がれておるということで候』

「ああ、なーる。いやあ、私はそこまではないかな」


 文武両道で顔も抜群とくれば、椛からするとずいぶんな高嶺の花だ。見ていてすごいな、かっこいいなという感情は湧いたが、男の子として好きかと問われるとハテナマークが浮かぶ。


『しかし椛殿、感心するだけではだめでござるよ。現代は男女平等。椛殿も負けないように学業に励むでござる。睡眠不足などと言って日がな一日ぼーっとするのは、感心できぬで候』

「寝不足は……」

『む、声が小さくて聞こえないでござるよ?』

「寝不足はあんたが昨日一晩中騒いでたせいじゃないのよ、このボケナス落ち武者っ!」


 他には人通りのない道。一人歩く椛は、何もない空中――いや、そこにふわふわと浮かぶボロボロの鎧武者の幽霊。いわゆる落ち武者の霊に向かって、声を張り上げた。


 柳町椛。市立百岡中学校二年二組所属。なんの変哲もない中学生だ。

 だが、彼女はいわゆる“見える人”である。幼い日のある日より、幽霊、妖怪、怪異、そういった普通の人間に見えない者たちが見えてしまう。


 ゆえに彼女は気苦労が絶えない。隙を見せればすぐにこうして幽霊が憑りつき、妖怪が周囲を徘徊し、怪異が驚かせるのだ。そしてそれらは他人には見えず、今こうしている状況も、他人から見れば大きな独り言を話す変な人だろう。


 つまり、柳町椛は疲れやすい――もとい、憑かれやすい。

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