新米陰陽師 柳町椛は憑かれやすい

青木のう

プロローグ 夏の季節の始まりに

「ここが例のトンネルね」


 不気味なほどに静かな山中。暗闇に口を開けたようなトンネルを前に、セーラー服姿の少女、柳町やなぎまち もみじは言った。その声音には少しの恐怖心があるが、震えてはいない。強い意志を感じる瞳で、トンネルを見据えている。


「ああ、そうだ。今月だけで五件。地元の不良集団や心霊スポット巡りの動画配信者が被害にあっている」


 隣に立つ学ラン姿の少年、正木まさき 蒼真そうまは淡々と答える。すらりとした体形に整った顔立ち。輝く黒髪や涼しげな瞳も合わせて、どこか旧家の御曹司を想起させる。


「まあ元から心霊スポットとして有名だしね。そりゃ配信者も来るわ」


 二人がいるのは市内から少し離れたところにある、いわゆる旧道と呼ばれる道だ。そして目の前の寒気を呼ぶオーラを放つトンネルは、昔から心霊スポットとして有名な場所だ。


「きっと行き場のない亡者の仕業だろう。集めた恐怖心で力を増したか。人に害をなすなら討滅せねばなるまい」

「はいはい、世の為人の為ってね。蒼真は相変わらず真面目ね」

「椛、君はもう少し真面目に――来るぞ!」


 なにかに気がついた蒼真が警告の声を発する。それと同時に、椛は体感温度がぐっと下がるのを感じた。来る。


 それは黒い人影だった。トンネルから吐き出されるように一体、二体。瞳の部分は紅く不気味に光り、全てを憎むような唸り声をあげる。それが次々と増えて、数は十、いや二十。


 突然現れた怪異の姿に、椛は少しも動揺することなく行動に移る。この光景は、彼女にとって非日常ではなく日常なのだ。


 バッグから取り出したのは、文字や模様の書かれた二十センチほどの長方形の紙――いわゆる御札おふだと呼ばれるものだ。椛がそれを黒い人影に向かって放つと、ペラペラの紙の札はその素材にあるまじき勢いで飛んでいく。


「悪霊退散っ!」


 力を込めてそう叫ぶと、黒い人影のうち数体が霧のようになって消滅した。間髪入れず、今度は水の入ったペットボトルを取り出すと、キャップを放り投げるように開ける。


「清き水よ、水波能売ミヅハノメの力宿り、荒ぶる亡者を鎮めたまえ!」


 呪文の言葉を唱えながら水を撒くと、その水はまるで触手のように黒い人影を絡み取る。すると先ほどと同じく、残りの人影は霧の様に跡形もなく消滅した。


「やるな椛。陰陽師おんみょうじが板についてきたじゃないか」

「どーもね蒼真。ま、才能ってやつかしら?」

「油断するな。これで終わりじゃないぞ」


 椛の軽口に蒼真はあくまで堅く答えると、トンネルの奥を睨む。

 暗闇の奥に、はいた。


 ぬっと出てくるその巨体は五メートルをゆうに超える。白骨化した牛のような頭部には、ぎらりと光る赤い目が二つ。筋骨隆々としたその体躯の全身から、全てを憎むような強い負のオーラを漂わせている。


「どう、蒼真?」


 先ほどと同じく軽い口調で、椛は尋ねる。対する蒼真は先ほどとは打って変わって、フッと笑みすら浮かべて答える。


「余裕だな」

「あら? 私にはさっき油断するなと言ったじゃない」

「あれは何事も慣れてきた時が危ないという一般論だ。この時代でもそうだろう? だがあいつは違う。ただデカいだ」

「なるほどね。まあ、どちらにせよあいつを倒さなきゃ夏休みはこないか」


 終業式が終わって早々、こんな山奥の寂しい場所で悪霊退治あくりょうたいじなんてしないといけないのかと、椛は少し自分の境遇を恨めしく思う。よりによって昨日、このトンネルで行方不明者まで出ているという怪奇現象の噂を耳にしたのはなんの因果か。


 でも彼女はここにいる。見えるから、見えてしまうからここにいる。

 旧道で肝試しにきたカップルが事故にあったなんてニュース、かつての彼女なら気にも留めなかっただろう。けれど今は違う。噂を聞いてしまった以上この件を解決しなければ、椛の中学二年生の夏休みライフに暗い影を落とすだろう。


「こいつを倒して夏休み、白いビーチでスイカ割り!」

「海難事故には気をつけろ」

「夜店に浴衣に花火!」

「お祭り価格というものはやけに高いな」

「友達の家に泊まり込んでパジャマパーティ!」

「夏休みの宿題も忘れるなよ」


 沈黙。少し間をおいて、椛はじとっとした目で蒼真を睨む。


「ねえ」

「なんだ?」

「ちょいちょいテンション下げてくんのやめてくんない? 私は暑い夏にイチゴかき氷をたらふく食べるときが一番生を実感する女なんだけど」

「む、すまない……」


 少しだけしゅんとした蒼真を見て、椛は恐ろしい悪霊の前だというのに微笑んだ。


「ま、いいけど。お詫びにさっさとあれ、倒してくれる?」

「そうだな。どうやらあちらもお待ちかねのようだ」


 トンネルから出てき牛頭の悪霊は、もはや二人の目の間にまで来ている。地の底から響くような雄叫びとともに、その太い右手を振り上げた。


「蒼真、任せたわよ!」

「ああ椛、任せてくれ!」


 そして蒼真の髪の毛が、夜の闇の様に美しい黒色から鮮やかな銀色へと変わり――。


(うん、やっぱり蒼真は……)


 その姿を見て、彼女は思い出す。

 彼女がその姿を始めて目撃したとき、彼女は生命の危機に瀕していた。

 それから二人は本当の意味で出会い、紆余曲折がありながらも大きな壁を乗り越えた。


 見えてしまう少女椛と、寡黙でミステリアスな少年蒼真、二人の出会いこそが始まりだった。それは約二か月前にさかのぼる――。

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