第4話 別れの日
トシヤがイシュタルやご先祖様と一緒に生活をし始めて3年少々が経過している。本日も朝から毎日の日課である食糧の確保にサクラと一緒に出掛けて森を歩く。
「サクラ様、前から気になってたんだけど、なんで食糧の確保はいつも俺とサクラ様の仕事なの?」
「えっ、いまさらそんなことを聞いてどうするつもりなのかな?」
「いや、その、何て言うか… ここ最近モトヤ様と美鈴様の様子がおかしいというか… なんか気配が薄いように感じるんだよね。それに2年前辺りから外にも出なくなっているし、一体どうなっているのかちょっと気になったんだよ」
「ふ~ん、トシヤもそんなことを考えていたんだねぇ~。まあ、これだけ一緒に過ごしていたら誰でも気づくよね」
「サクラ様は何か知っているの?」
「知ってるも何も私も当事者だからね。さて、確か以前に話したことがあったよね。トシヤ兄さんと美鈴ちゃんは精霊界からイシュタルの力で一時的に呼び戻してもらったって。まあ、私も似たようなモノなんだけどね」
「うん、そう聞いてるよ」
「ところがここ最近、イシュタルの力がめっきり弱まっているんだよ。だから二人ともイシュタルの近くにいないと実体を失って精霊界に戻されてしまうんだ」
「イシュタル様が力を失っている? そんなバカな! だってイシュタル様は何千年も寿命がある古龍なんでしょう」
「確かにトシヤがいう通りだよ。でもね、イシュタルはすでに8千年の長い年月を生きてきたんだ。もうそろそろ天に帰る時がきてもおかしくないんだよ」
「それって… まさか…」
トシヤは言葉を失っている。何千年も生きる古龍というのはトシヤから見れば不滅の存在のように思えていた。それが今まさにその天命を終える時期を迎えようとしているなんてまったく信じられない様子。
「で、でも、サクラ様は前と同じようにこうして普通に外に出ているじゃないか」
「そこはホレ、まあ適当に気合いで何とかしているんだよ」
なんだかサクラに誤魔化されて様な気がするトシヤ。ただしこの日にサクラから聞いた話はトシヤの心の中に暗い影を落とすのだった。
◇◇◇◇◇
その後ひと月ほど特に何も変わらない日々が続く。トシヤはミスズから日本の知識と魔法を習い、モトヤから剣技を教わり、サクラからは容赦なくブッ飛ばされてボロボロになりながら体術を習得する日々。そしてその様子をいかにも楽しげに見つめるイシュタルの姿。それは瞳はまるで孫の成長に目を細める祖父のよう。
トシヤはこんな日が一日でも長く続いてほしいと心から願う。だがその願いも虚しく、悲しみと共に尽きてしまう日を迎えることとなる。
とある日の午前中、いつものようにトシヤは魔法に関する書物を読みこなしている最中に、突然一緒にいるミスズが独り言をつぶやき始める。時折ミスズはこのようにモトヤやイシュタルから遠話でメッセージを受け取ることがある。
「ええ、わかったわ。すぐにトシヤを連れていきます。トシヤ、手を止めて私と一緒に来なさい」
「えっ、読んでいる途中ですけど」
「ともかく一緒に来ればいいのよ」
滅多に見せない強引さでトシヤをログハウスの外に連れ出していく。一歩出てみるとすでにイシュタルの前にモトヤとサクラが佇んでいる。二人の表情はトシヤからはやや距離があって窺い知れないが、雰囲気が普段とは違ってなんとも重苦しい。美鈴と一緒にイシュタルの近くまで歩いていくと…
「イシュタル、トシヤを連れてきたわ」
「おお、来たか」
力のない短い応えが返ってくる。イシュタルはトシヤに向けて言葉を続ける。
「トシヤよ、そなたがワシの住処に迷い込んで幾年月が経ったか?」
「3年経ちました」
「左様か、ただの小童だと思うておったが、そなたもあれから見違えるような若者になったな」
「俺はまだまだです。出来ればもっとイシュタル様やご先祖様に色々と教えてもらいたいです」
「まあそう願うのも無理はなかろうて。ここにおるのは人族という括りを外れたこの世界で最高のそなたの師。だがな、そなたはそろそろ自らの足で立ってひとりで生きていかねばならん」
「そんな、まだ何もかもが中途半端です」
「左様なことを言うならば、8千年の
「ありがとうございます。でももっと色々知りたいし、魔法も剣技も体術も身に付けたいです。それにイシュタル様から昔の話をたくさん聞きたいんです」
「ワシもできればそうしたいのだが、それは所詮叶わぬ夢。だが我が生涯の最後にそなたと過ごせたのは真に僥倖であったぞ」
「そんな、最後なんて言わないでください」
ここまでくると否が応でもイシュタルがトシヤに別れを告げていると理解してくる。以前サクラから「覚悟はするように」と言われてはいるものの、こうして最期の時を迎えるとトシヤの胸中には万感の思いが込み上げてくる。
「そのように泣くでない。よいか、今からそなたにワシからの最後の加護を授ける。この額にある宝玉に触れるがよい」
「は、はい」
トシヤは零れ落ちる涙を拭いて恐る恐るイシュタルの額に埋め込まれている宝玉に触れる。すると彼の体には何か大きな力が流れ込むのを感じながらイシュタルの言葉を待つ。
「どうやら無事に受け取ってもらえたようだな。今そなたに授けたのは古龍の3つの強力なスキル。龍眼はすべてを従え、龍斬はすべてを断ち切り、龍撃はすべてを破壊する。各々が危険な技ゆえ心して用いるがよい。そなたならば正しく用いると信じておるぞ」
「はい、正しく使うと誓います」
「それから我が友モトヤ、ミスズ、サクラ、最後にそなたらとまたこうして過ごせて実に楽しかったぞ。これでワシの生涯にはもう思い残すことはない。サラバだ」
「イシュタル、精霊界も中々いいところだぞ。待っているからな」
「すでに精霊長がイシュタルの役割を決めているんじゃないかしら。向こうに行ったら忙しくなるわよ」
「イシュタル、ちゃんと約束は果たすから安心して眠っていいよ。長い間ご苦労さん」
3人が手向けの言葉をかける。イシュタルはそれぞれの言葉に小さく頷いて満足そうな表情で目を閉じる。
「イシュタル様…」
トシヤが声をかけるが、もう二度イシュタルが目を開くことはなかった。どうやら心から満足してその果てしなく長い生涯をこの瞬間に閉じたよう。それと共に先祖3人の姿が徐々に薄くなっていく。
「トシヤ、すまないな。もっとお前に剣を教えたかったが、これ以上現世には留まれないようだ。ああ、俺が残した武器や防具は好きに使ってくれていいからな」
「モトヤ様! もっとれに剣を教えてください!」
だがその願いが届くことはなく、イシュタルの霊力によってこの世界にかりそめの実態を保っていたモトヤの姿が徐々に消えてなくなる。
「トシヤ、これから先ももっといっぱい学びなさい。知識はあなたを裏切らないわ。ログハウスにある書物と他の物品はすべてあなたに譲るわね。それから以前私がちょっとだけ助けた女の子… もしも出会った…」
「ミスズ様!」
ここでミスズの言葉が途切れる。美鈴もモトヤと同様に現世での実体を失って姿が掻き消えていく。最後に何を言い残したかったのかは謎のまま。
そして最後にサクラの姿が徐々に薄くなって… そのまま何も言い残さずに姿が消える。
「サクラ様!」
ひと言も残さずに姿を消したサクラを茫然と見送るトシヤ。今日の朝食の時まではいつものように和やかに4人と1体で過ごしていたのがウソのように、この場にたったひとり取り残されている。
「そんな… 急にみんないなくなっちゃって… なんでこんなことに…」
目の前で起こったイシュタルの死の瞬間とその霊力が失われた結果ご先祖様3人が精霊界に戻ってしまったという重たい事実… こっれらをなかなか受け入れられないトシヤは体中の力が抜けてその場にへたり込む。そして指先ひとつ動かそうという気力も湧かないまま、その場に呆然と佇むしかなかった。
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