第3話 修行の日々
ワイルドウルフの襲撃から難を逃れたトシヤは、サクラに伴われて溶岩ドームに戻ってくる。するとそこにはいつの間にかログハウスが出来上がっている。
「サクラ様、こんな所に家が出来上がっていますけど、一体どうなっているんですか?」
「そんな当たり前のことを聞かれても返事に困るよ。これからしばらくの間ここに住むんだから家がないと困るでしょう」
「誰が住むんですか?」
「トシヤと私たちに決まっているでしょうが。たかが勇者ごときにボコられるようじゃヒヨッコもいいところだからね。今度出会ったら片手で捻り潰せるくらいにはなってもらわないと心配でしょうがないよ」
「誰が片手で捻り潰すんですか?」
「本当に一から十まで説明しないとわからない子だねぇ~。トシヤが強くなって勇者をコテンパンにボコるんだよ」
「いくらなんでもそんなことできませんよ~」
「出来る出来ないの問題じゃないんだよ。子孫がこんなポンコツじゃ私たちの沽券に関わるからね。三傑の子孫だって大手を振って名乗れるようにするのが私たちの務めだから。ということで、トシヤを鍛えるスケジュールはバッチリ組んであるから大船に乗った気で私たちに任せなさい」
「どうにもイヤな予感しかしないなぁ~」
この時点でトシヤはイシュタルに向かって「しばらくここに住む」と答えたことをかなり後悔している。幽霊のようなものと説明はされたが、ご先祖様は3人が3人ともとんでもない強者のオーラを漂わせているのが駆け出し冒険者のトシヤといえど嫌が応にも伝わってくる。
そしてこの日の朝食後からスタートするご先祖様によるトシヤ改造計画は彼が頭の中で想像するよりも数万倍ハードであった。
◇◇◇◇◇
「それじゃあ午前中は勉強の時間よ。内容は日本語の読み書きと科学知識の習得が中心となるからしっかりと頭に叩き込むのよ」
「あの~ミスズ様、日本語って何でしょうか?」
どうやら学習担当は魔神様がお務めになるよう。とはいえ先生役のミスズは、トシヤが日本語の何たるかも知らないという事実に頭を抱えている。
「どうやら一筋縄ではいかないようね。まずは日本語について説明しないといけないわけね。ゴホン… 日本語というのは私たちがこの世界に召喚される以前に暮らしていた世界の言葉よ。それでその国が日本というわけ。日本には空を飛ぶ船が分刻みで運行されて、馬が轢かない馬車が道路を埋め尽くしていたの。この世界とは懸け離れて文明が進んだ世界だったわ」
「なんだかすごい話ですが、それと日本語を学ぶこととどう関係があるんでしょうか?」
「私が残した技術に関する書物は全部日本語で書いてあるのよ」
「なんでこの世界の文字で書かなかったんですか?」
「それはね、この世界の言葉では言い表せない概念があまりにも多すぎて表記自体が不可能だったの。それと無暗に技術を広めたりすると悪用される恐れがあったから、限られた人間にしか理解できないように保険を掛けたという意味合いもあるわね」
「なんとなくわかりました。それでその日本語をどの程度覚えればいいんですか?」
「この部屋の本棚にある書物は全部読みこなしてもらうからそのつもりで」
ミスズの返事を聞いてトシヤは目を丸くしている。学習用に宛がわれているのはログハウスの中の書斎と思しき部屋。そこにはかつてミスズが記述した書物が大型の本棚に丁寧に並べられており、それが壁一面を覆い尽くしている。
これだけの蔵書が並ぶ場所はこの世界では王立図書館か王宮の書庫くらいのものであろう。すでにこれだけでトシヤは戦意喪失気味だが、ミスズはそんな甘えなど許さない。
「まずはひらがなの五十音からね。はい、とにかくこの石板に何度も書いていきなさい。五十文字全部書いたら声に出して読み上げるのよ」
「は、はひぃ」
ということでとにかく文字の書き取りと読み上げが始まる。見たことも聞いたこともない文字に悪戦苦闘しながら、トシヤは午前中いっぱい付きっ切りでミスズにひらがなの練習をさせられるのだった。
◇◇◇◇◇
昼食を終えると魔法の練習開始。もちろん講師は午前中に続いてミスズが務める。
「イシュタルがトシヤに加護を与えてくれたから、今日から〔火〕〔氷〕〔雷〕〔水〕〔土〕〔聖〕〔闇〕〔光〕の八属性を全部操れるはずよ」
「えっ、イシュタル様の加護なんてもらってませんよ」
「だって泉の水を飲んだんでしょう。あの水を飲ませてもらったということはイシュタルから加護を得たということよ。まあ初歩的なモノに過ぎないけど」
「初歩的な加護ですべての魔法属性が操れるんですか?」
「それくらいは当然でしょう。イシュタルは数千年を生きる古龍なのよ。というわけで、これからすべての魔法属性を自在に操れるようになってもらうわ」
「いきなりそんなにたくさんはできませんよ」
「当たり前でしょう。まずは火属性から始めるわよ。魔法式は全部日本語で組み立てなさい」
「今喋っている言葉じゃダメなんですか?」
「日本語のほうが言霊による効果が高いのよ。同じ魔力量を用いた魔法でも日本語の術式のほうが威力は3倍ほどになるわ」
「そんなに違うんですか!」
「ええ、それだけでも日本語を学ぶ意味があるでしょう」
「はい、その通りですね」
「素直でよろしい」
ということで基本的なファイアーボールからスタート。時間とトシヤの魔力が許す限り何十発もファイアーボールを撃ち出していく。ちなみにイシュタルの加護のおかげでトシヤの魔力量は従来の300倍。これだけあればよほど高度な魔法を連発しない限り魔力切れの心配はない。
こうして2時間程魔法の練習が繰り返されていく。教えているのが魔神様だけあって最後のほうになるとトシヤは無詠唱でファイアーボールを放てるまでになっている。
「トシヤは中々スジがいいわね。1日目でこれだけできれば十分よ」
「ミスズ様、ありがとうございます」
「それじゃあ魔法はこのくらいにしましょう。次の講師が手ぐすね引いて待っているからバトンタッチするわ」
ミスズが魔法訓練の終了を告げると、近くでその様子を見守っていたモトヤがスッと立ち上がる。
「さて、今度は剣術の練習だ。ベヒモス程度なら一刀両断に出来るようにはなってもらうからな」
「モトヤ様、言っている意味が分かりません」
「なに、大して難しくはない。要は正しく剣を振れば自ずと結果はついてくる」
「いやいや、いきなりSSランクの魔物を引き合いに出されても困りますって」
「つべこべ言ってないで始めるぞ! まずは正しい構えからだ」
ということで始まった剣神様による剣術指南だが、これが厳しいといったらない。ともかくちょっとでも構えがブレたり素振りの軌道が狂ったりすると容赦なく指摘される。一振り一振りに魂を込めながら剣を振り下ろさないとならないので、20回ほど素振りをしただけでもう腕が上がらなくなる。
「無駄に力が入っているから疲れるんだ。理に適った素振りならば何百回やっても疲れなど感じないものだ」
「はひぃ」
こうしてトシヤはたっぷり2時間ボロボロになるまで剣を振らされる。
「何だ、全然体力がないなぁ。ともあれ泉の水を飲んでこい。少しでも回復しておかないと次の講師の訓練には耐えられないぞ」
「わ、わかりました」
剣を置いたトシヤは言われた通りに泉に向かう。両手でひと掬いの水を口に含むと、体の内部から新たな力が湧き上がってくる。
モトヤの剣術指南が終わってちょっとホッとしたトシヤの背後から今度は別の声が…
「フムフム、トシヤは準備が整っているようだね。それじゃあ今度は私の体術指南だよ」
「サクラ様、もうちょっとだけ休ませて」
「人間というのはねぇ、限界を超えた先に今までとは別の世界が開けるんだよ」
「いいえ、俺はまだそんな怖い場所には行きたくないですから」
「トシヤの意思なんか関係ないからね。私が強制的に人間の限界の向こう側に連れていくから安心するんだよ」
「イヤだぁぁぁぁ! 誰か助けてぇぇぇ! ミスズ様ぁぁ! モトヤ様ぁぁ!」
トシヤの魂の叫びが溶岩ドームの内部に響き渡る。ちなみにサクラは古武術をベースとした殴る蹴るが得意の格闘スタイル。当然訓練中にたった一撃でトシヤの命を刈り取るような強烈な右フックや左ストレートが飛んでくるのは当たり前。
「ほらほら、ちゃんと避けるかガードしないと死ぬからね」
などと言いながらトシヤのガードを簡単に吹っ飛ばしてパンチを捻じ込む。そして2時間が経過した時、トシヤは最初にこのドーム内にやってきた以上にボロボロになっているのだった。
◇◇◇◇◇
1年後…
「ミスズ様、ファイアーボールを撃ち出す時に十分に酸素を集めるにはどうしたらいいですか?」
「それはいい質問ね。空気中の酸素は約20パーセント。純粋な酸素だけを集められるように術式にこの構文を差し込むといいわ」
「わかりました。ちょっとやってみます」
「うわぁぁ! たった一文差し込むだけで威力が何倍にもなりますね」
「そうよ。森羅万象物事には原理があるわ。その原理を魔法に生かしてこそ、新たな段階に進めるのよ」
「ありがとうございます」
◇◇◇◇◇
「モトヤ様、今の一振りは自分でも会心の出来でした」
「うん、中々の一振りだったな。よし、それじゃあ俺と軽く立ち合ってみるか」
「お願いします」
◇◇◇◇◇
「サクラ様、今のパンチは軌道がしっかりと見えました」
「ほう、中々いい目をしているみたいだね。それじゃあもう一段階パンチの速度を引き上げてみようかな」
「必ず見切ってみせますよ」
「言うようになったねぇ。それじゃあ行くよ」
三傑の目にもこの1年間のトシヤの成長は頼もしく映っているよう。日々の大半の時間を勉学と魔法と剣と体術の訓練にあてているのだから、これで成長しないほうがどうかしているだろう。そしてトシヤは3人の技を確実に自分のモノにし始めている。
こうして絶え間なく自らを鍛えながら3年という月日が流れていくのであった。
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