第2話 ご先祖様


「これ小童こわっぱ、そこなる小童よ、早く目を覚ませ」


 地下の溶岩ドームに重低音が響き渡る。古龍が侵入者を見咎めて警告を発しているのだろうか? それにしてはその口調に怒りの感情が見当たらない。



「う、う~ん」


 ドーム内部に反響する古龍の声は意識を失っていたトシヤにも届いたよう。ハッキリと思考がまとまらない表情のまま薄ぼんやりした目をゆっくりと開いていく。


(俺は寝ていたのか? それにしてもここはどこだろう? 誰の声が聞こえてくるんだ?)


 疑問ばかりが浮かぶ頭を軽くひと振りして声の方向に焦点が定まらない瞳を向けると、ほの暗い空間の内部に巨大なシルエットが浮かび上がっていることに気付く。



「ヒッ! ド、ドラゴンだ」


「これ、そのような怯えた目でワシを見るでない。そこなる小童よ、名は何と申す?」


「ト、ト、ト、トシヤ=アマギです」


「左様か。して、なにゆえにワシがうつつの世を捨てて隠れ住んでいるこの場に入り込んできおったのだ?」


「が、崖から突き落とされて、それでどこか安全な場所はないかと探したらたまたま岩の割れ目があったんです」


「なるほど、偶然というわけか。ところでそなたはかつての英雄と何がしかの関係があるのか?」


「は、はい、伝説の英雄である三傑は俺のご先祖様です」


「ほう、それで得心がいった。その黒髪と黒目、まだ幼きながらもその顔立ちといい、我が生涯の友であったモトヤ=アマギに瓜二つよのぅ。久方ぶりに心の友に出会えたような心地がするわい。してトシヤよ、そなたはケガをしておるのか?」


「はい、散々殴る蹴るされた挙句に崖から放り出されて全身がガタガタです」


「ならばそこに泉が湧き出しておる。この水はワシの魔力をたっぷりと含んでいるゆえ、多少の怪我などたちどころに治るであろう。ただしワシはそなたを甘やかすつもりは毛頭ない。這ってでも泉まで辿り着いてみせよ」


 世の中にタダで簡単に手に入る物は中々ない。それなりの労働の対価だったり困難な経験を経てやっと手に入る。これはさしずめ古龍がトシヤに与えた第一の試練かもしれない。


(うぐっ、どうせこのままじゃ身動きひとつままならない。怪我が治るなら絶対に泉まで辿り着いてやる)


 どうやらトシヤの中では古龍に対する恐怖心はすっかり消え去っているよう。というよりも今は何とか命を繋いで生き延びるのが最優先という気持ちなのだろう。


 ともあれ泉の水を求めてトシヤは地面を這い出し始める。


(やっと半分か… とにかく体を動かして一歩でも近づかないと)


 動かない体に鞭打って必死て地面を張っていくトシヤ。そして20分以上かけてようやく泉まで辿り着く。



「やった、この水を飲めば何とかなる。喉も乾いているし、思いっきりがぶ飲みしてやるぞ!」


「あっ、これ! 一度にそのように大量に飲んではいかん!」


 古龍が止める間もなく、トシヤは泉に顔を付けてゴクゴク水を飲み始める。そしてそのままこの溶岩ドームにやってきてから通算4度目の気絶するのだった。






   ◇◇◇◇◇






「これ、起きぬか。目を覚ませ」


 ドーム内に響く重低音によってトシヤが目を覚ます。こうして生きていられるのは、泉に顔を付けたまま気を失った彼を古龍が引っ張り上げたおかげに違いない。



「あれ、俺ってどうしたんだ?」


「まったく、性格もモトヤとそっくりな向こう見ずよな。ドラゴンの魔力を人間が大量に体に取り込んだら危険だというくらいは頭が働かぬか? 気絶程度で済めば上々、下手をすると命を失いかねぬ危険な所業ぞ」 


「そうだったら先に言ってくれよ。なんだか体中が熱くて大変なんだ。目もチカチカするし」


「だが痛みは引いたであろう」


「あっ、言われてみればどこも痛くないぞ! 文句を垂れて大変申し訳ありませんでした。本当にありがとうございます」


「ふむ、素直でよろしい。モトヤとはだいぶ違うようだな。あやつは相当にひねくれておったわい」


「いや、さすがにご先祖様に直接会ったことがないんで、性格までは俺にはわかりません」


「ふむ、それもそうよの。あまりに見掛けが似ておるから、ワシもついついモトヤが目の前におるような気分で喋ってしまった。して、そなたはこれからどうするつもりだ?」


「どうすると言いますと?」


「体の具合が良くなったら何処なりとも去ってもよいし、そなたが望むのならしばらくこの場に留まってもよいということよ」


 古龍の申し出にトシヤは短い時間考える。そして割と簡単に答えが出たよう。



「しばらくここにおいてもらえますか。ご先祖様のことを色々と聞きたいし、なによりもドラゴンと生活できるなんて二度とない機会だし」


「左様か。ならばこの場に留まるがよい。そうよなぁ~… そなたの面倒をワシが直接みるわけにもいかぬゆえ、明朝までにそれなりの用意はしておこう。それまではゆるりと休んでいるがよい。いずれ休みたくても休めなくなるゆえな。ああ、それからワシの名はイシュタルだ」


「わかりました。イシュタル様、しばらくの間よろしくお願いします」


 こうしてトシヤはドラゴンに住処に当面居候させてもらうことになった。この決断が自分の将来にどのような影響を与えるかも知らずに実に暢気なものといえばその通りだったのかもしれない。






   ◇◇◇◇◇






翌朝…



「おい、目を覚ませ」


 誰かに肩を揺すられてトシヤは目を覚ます。起き上がってみると目の前にはトシヤとそっくりな25歳くらいの男性が立っている。



「あの~、どちら様でしょうか?」


「俺はモトヤ=アマギ。かつてのこの世界では剣神と呼ばれていた者だ。お前の祖先にあたる人間だったが、すでに現実世界の存在ではない。イシュタルの霊力によって精霊界から呼び戻された言ってみれば幽霊だ」


「ええええええええええええ! 伝説のご先祖様が幽霊になって俺の目の前にいるってことですかぁぁぁ!」


「そういったはずだが、理解できなかったのか? ああ、そうだった。あと二人いるから紹介しておくぞ。お~い、こっちに来てくれ!」


 ご先祖様であるモトヤの呼びかけでイシュタルと何やら話し込んでいた二人の女性がこちらにやってくる。



「はじめまして。私はミスズ=アマギ。モトヤの妻にしてかつては魔神と呼ばれた者よ。ああ、魔神といっても怖がらないでね。魔法の神様が省略されたものだから」


「は、はい。トシヤ=アマギです。どうぞよろしくお願いします」


 トシヤが挨拶をしているのはロングの黒髪に黒目の人目を引く美人。その優しげな言葉とは裏腹に体内にはイシュタルと同等か、もしくはそれ以上の膨大な量の魔力を宿している。魔法の神様というのもウソではないだろう。そしてもうひとり、小柄で栗色の癖っ毛の女性が口を開く。



「ドモ! 桜ちゃんだよ。こう見えてもすべての獣の支配者にして獣人の国の王様なんだ。獣神なんて呼ばれたこともあったね」


「はじめまして。トシヤ=アマギです。まさか本物の三傑の英雄に出会えるなんて夢にも思わなかったです」


「まあまあ、堅い話は抜きだからね。それよりもお腹は空いていないかな? ちょっとそこまで食べ物を取りに出かけるよ」


「は、はい。行きます」


 なんだかすっかり桜のペースに乗せられたトシヤは彼女の後を付いていく。昨日這って辿り着いた岩の裂け目とは反対側に進むと、そこはイシュタルも悠々通れるくらいの広い通路となっており、しばらく歩くとその先にはうっそうと木々が生い茂る森が広がっている。



「トシヤは木になっているいる黄色い実をとってよ。私は手頃な獲物を仕留めるから」


「はい、わかりました」


 ということで手分けしての食料集め開始。トシヤは2メートルほどの高さの木から言われた通りに実を集め出す。10個ほど集めては目立つ場所においてさらに収穫を続ける。だが彼はまったく気づいていない。茂みの向こう側でトシヤを狙う黄色い目が光っていることを。



「さて、だいぶ集まったな。それにしても桜様はどこに消えたんだろう?」


 周囲はうっそうと茂った森で下草も多くて視界が悪い。キョロキョロしながら桜を探すトシヤだが、少し離れた茂みからガサガサ音がすると思ったら舌なめずりをしながら巨大なワイルドウルフが姿を現す。



「うわぁぁぁぁ!」


 トシヤはパニックになって叫び声をあげる。一応冒険者ギルドの登録してはいるものの彼はいまだにFランクの最底辺冒険者。勇者パーティーでも荷物持ちしかやっていないので、こうして魔物と一対一で対峙する経験など過去にあるはずもない。


 だがその時トシヤの眼前を一陣の風が吹き抜けていく。それはトシヤの動体視力ではとても追える速度ではなかったが、風と一体となった黒い影が一直線にワイルドウルフに向かっていく。


 ギャン! 


 断末魔の声をあげるとワイルドウルフの体は大木の幹に打ち付けられてあっという間に絶命している。何が起こったのかとトシヤがよくよく見ると、どこからともなく現れた桜が魔物を瞬殺したよう。



「さ、桜様が倒したんですか?」


「まったくトシヤは全然ダメダメだね。この程度のザコ相手にあんな悲鳴を上げているようじゃ先が思いやられるよ。これからたっぷりと鍛えてあげるから覚悟するんだよ」


「また命拾いした~」


 桜に助けられた安心感ととことんダメ出しされた情けなさが綯い交ぜとなって、トシヤはその場にしゃがみこんでしまうのであった。



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