第24話 一生、手を洗わない

 僕とルーファスは共に十歳、セルジュお兄さま十四歳、マチアスお兄さま十六歳。

 マチアスお兄さま、冬に成人のお祝いをして年を跨いで春を過ぎた夏、婚約者を連れてきた。

 婚約者とは知らず、初めてお相手に会ったのは魔法舎の訓練場で、ルーファスと、夏の長期休みで帰って来ているセルジュお兄さまと一緒に、ジーン先生に見てもらって魔法の訓練をしていたとき。


 魔法舎の訓練場は広場みたいなところだ。外に攻撃魔法が漏れないよう、使用している間は備え付けの魔道具で結界魔法を張る。ぐるっと囲う壁はあるけど天井はない、競技場に似ていた。

 整列して本日訓練したい内容を伝えようとしたとき、結界魔法の外、入り口付近にマチアスお兄さまの姿があり、その隣に夏に映える爽やかな藍色のドレスを着た黒髪美女を連れていたものだから四度見した。

 目が合ったお兄さまが手を振ったので、訓練を中断して結界魔法を解き、みんなで側に集まる。


「兄上、そちらの方は?」

 僕たちの中で一番歳上のセルジュお兄さまが代表して声を掛けた。

「隣国マーレプレン王国の、イリーネ・リュシルー公爵令嬢だ。ホートスロンに留学している」

 ほほう、なるほど……って、ちょっと待って。学園で仲良くなったの? というか、なんで王宮に?

「同級生ですか?」

「イリーネ嬢は私の一つ年上だ」


 王立ホートスロン学園は十四歳から通う四年制の学園だ。中等部が二年間、高等部が二年間あり、十八歳で卒業する。初等部も三年間あるんだけど、家庭教師を雇えない家庭の救済としてある。家でお勉強をしている上位貴族は無縁。基礎学習もだけど、中等部から上位貴族と一緒になるから、下位貴族や田舎貴族の子が貴族社会のマナー等を学ぶ為にあるみたいなものらしい。

 マチアスお兄さまは今、高等部一年だね。


「同じ時期に学園に通う王家の者として、彼女とは交流がある。本日は、外交の為に訪問されたマーレブレン王国の第二王子殿下の付き添いとして王宮に来たついでに、弟たちを紹介しようと思って。許可をもらって、魔法訓練を見に来た次第だ」

 魔法舎の中は国家機密だからね、お兄さまたちや元第四王子のルーファスも含め、王宮魔法士じゃない部外者は入れない。練習場は魔法舎から独立していて、ここだけは許可があれば入れるんだ。実験や演習をしているときはそもそも許可が下りないから入れないけどね。


 男ばかりの兄弟の中、突如として現れた美女に僕はぷるぷる震えた。

 長い艷やかな黒髪に、大きな黒い瞳、長い睫毛、白い肌、ほんのり薔薇色の頬、薄い唇は瑞々しい赤。上品で愛らしい、清楚な佇まい。

 お姫様だ! 本物のお姫様が眼の前に居る! 『窓枠の黒檀のように黒い髪、雪のように白い肌、血のように赤い唇をした子供が欲しい』と願い生まれたグリム童話の白雪姫。古今東西、前世の記憶だけど――みんなの憧れ童話のお姫様にそっくりなお姫様が! 実在している!


「この辺りだけ春になったな」

 冷静に指摘しているルーファスを尻目に、僕は歓喜に打ち震え、意を決して怖ず怖ずと歩み寄る。

「あ、握手してください」

 困惑気味にマチアスお兄さまに一度視線を向けられ、苦笑して頷いたお兄さま。

 それから、イリーネ嬢は僕に微笑んで握手してくれた。

 や、優しい……! こんなおどおどした挙動不審のちびっこの要望に応えてくれた!

「僕、もう一生手を洗わない……」


 無上の喜びに興奮し、両手を夏の太陽に掲げる。お姫様と握手した手が神々しい!

 その手を、セルジュお兄さまにギュッと掴まれた。無情、無慈悲。

「もー! 酷い! セルジュお兄さま、どうしてそういうことするの!」

「手は洗え」

「そういうことじゃないー!」

 宥めるようにポンポン頭を撫でてくる。


「ふふふ、仲の良いご兄弟ですね」

 イリーネ嬢に笑われた。

 美女の笑顔が見られたから……まぁ、許す。

「マチアス様から弟たちは優秀だと聞かされています」

 彼女に僕たちのこと、どんな風に話しているんだろうね。


 しかし、いい匂いがしたな。美女は匂いも美女だった。最初は甘酸っぱいイチゴなのに次第に落ち着いた匂いになっていく。少女から大人の女性に成長していくような、オシャレな香り。……ん? イチゴ?


 ツンツンと、マチアスお兄さまの袖を引っ張る。

「マチアスお兄さま。イリーネ様からイチゴの匂いがします」

「もうすぐ彼女の誕生日だからね、少し早いけど香水をプレゼントしたんだ」

 香水ねぇ。己の好きな匂いを彼女に纏わせたいってことかな?

 じっとマチアスお兄さまの顔をガン見すると、気まずそうに顔を背けられた。

 彼女を見る。

 恥ずかしそうにほんのり頬を染めて目を背けるイリーネ嬢。

 ほぉー。

 ふーん。

 へぇー。

 ほほぅー。

 甘酸っぺぇな!

「イチゴお兄さまですが、よろしくお願いします」

「シリル……」

「痛いー、セルジュお兄さま頭グリグリしないで」

 イチゴお兄さま、もとい、マチアスお兄さまが咳払いをした。

「魔法の訓練を見に来たのだから、私たちのことは気にせずやってくれ。結界魔法の外から見学させてもらうよ」


 マチアスお兄さまたち二人の時間を邪魔してはいけないね。

 訓練組はジーン先生と一緒に二人から離れ、訓練に戻る。

「本日は、ものを浮かせる魔法の応用、浮遊魔法の訓練をします」

 浮遊の魔法は魔法士さんが使っているのを何度も見たことがある。真っ直ぐ上に飛んで魔法舎の屋根の上に乗るんだ。気分転換に屋根の上で昼寝してたり、屋根の上まで実験用のものを誤って飛ばしてしまい回収してたり。


「はい、先生!」

「シリル様、なんでしょう」

「浮遊魔法で空を飛んで移動することは出来ますか?」

 今のところ、上下に移動しているところしか見ていない。横移動――例えば、飛行機みたいに町から町へ飛んで移動出来たら便利だよね。

「おそらく、魔力が豊富なシリル様なら出来るでしょう」

 出来ると聞いて、俄然やる気が出てきた。飛行移動が可能になったら、移動時間が短縮できる。僕の体力の無さで長距離異動には不安があるけど、空を飛ぶのは魔力だからね。


「ものを浮かせる魔法は初歩の魔法ですが、浮遊魔法の難しいところは、バランスを取らなければならないというところです。小さなものを浮かせるなら少しの魔力で済みますが、人間の体重を浮かせるとなるとそれなりの魔力が必要になります。

 移動となると、時間と距離の分魔法を沢山消費します。大抵の人は、上下異動しかできませんが、シリル様の魔力は底がしれないので、私にもどこまで行けるのか見当がつきません。無理をしない程度にやっていきましょう」

「わかりました」

「ものを浮かせる魔法は無属性、得意な魔法がわかってくると得意魔法の属性が混じってしまって上手く行かないこともあります。集中力を切らなさいように、ひっくり返って頭から落ちないよう気をつけてください。

 シリル様、貴方の魔力は規格外ですので、何が起こってもいいように予め結界魔法で予防対策を」

 僕の魔力制御、信用されてない? って思ったけど、痛いことになったら嫌なので自分を卵型の結界魔法ですっぽり覆う。ついでに、結界魔法の中、身体の周りに空気のワタを作って緩衝材。これで防御は完璧。


「準備できましたね。まずはほんの少し、地面から足を離してみましょう」

 浮く! ってイメージすると風属性が入りやすくなっちゃうんだよね。でも、ものを浮かせる魔法の応用、無属性。ジーン先生が注意してくれたおかげか、真面目な兄弟たちは地面から階段一段分くらいフワッと一瞬浮いて着地した。

 僕だって、できるもん。だてに魔法士団の中で魔力コントロールの訓練していないんだから。……そうっと、優しく、優しく、魔力を込めて……。フワッと浮いた。浮いた感覚が初めてでちょっと焦ったけど、転ばず着地。


「セルジュ兄上、学園では浮遊魔法はやらないのか?」ルーファスが質問した。

「今のところ、やってないな」

「浮遊魔法は、魔法のセンス、魔力コントロール、ある程度高い魔力保有量が必要になる。出来る生徒の方が少数だし、目の届かないところで浮遊魔法を使われて下手に落ちると首の骨を折ったり命の危険がある、学園の授業では教えたくないだろうね」

 たしかに。貴族の子息子女でも、十代の学生が空を飛べるようになったら、テンション上がって調子づいてやらかしそうだなぁ。


「皆さん流石ですね、申し分ありません。次は先程と同じように階段一段分の高さで空中静止姿勢をとってみましょう」

 これはちょっと難しかった。地面から足が離れている感覚が慣れない。セルジュお兄さまもよろけて地面に足を着いた。僕たちの中で一番器用に魔力が使えているのはルーファスだった。おぼつかないながら、空中静止が出来ている。


「ルーファス様、素晴らしいです。初めてで空中で静止できるのは、魔力コントロールのセンスがいいんですね」

「まあ、これくらいはっ」

 褒められて得意げになり、集中力を欠いて地面の足をつけた。

「まだまだですなぁ、ルーファス」

「出来ていないシリルに言われたくはない」

「負けないし!」


 僕たちが言い合っているあいだ、セルジュお兄さまがサラッと空中静止していた。姿勢も綺麗でブレてない。普通に空中に立ってる。

 ぐぬぬ、最年少王宮魔法士として負けられん。

 何度かやって、三人とも空中静止できるようになった。

「身体が地面に触れていないって、不安になっちゃう」

「最初の内は慣れないから仕方ないですね。こればかりは慣れなので。さあ、次は階段二段分の高さに上がってみましょう。そこから魔力を切らさず、降りてください。空中で魔力を切って飛び降りるのではなく、足が地面につくまで魔力を切らさず、そっと降りて。――皆さん、上手ですよ。次は、もう少し高さを上げてみましょう。最終目標は……そうですね、この競技場の壁の上に乗る、にしましょうか」


 三人とも口をポカンとあけて壁を見上げた。急に目標高くなったな。今、階段四段分なのですよ先生。

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