第3話

 足早に部屋から出ていったエルを追い、俺はリビングにあるソファに腰を下ろした。

「今回は長くなりそうだな。この前にも、何回かあったっけ」

「そうだね⋯⋯って、この前? 僕がコアの使い魔になってからは、初めてだと思うけど⋯⋯」

 エルがソファに少年を寝かせ、けげんそうに俺を見る。

 そうだったか⋯⋯? でも、たしかに何回か任務が長引いて、朝を迎えることだって⋯⋯。

 あれ。でも、一緒に朝日を見たのは、寄りそって寝たのは、誰だったっけ⋯⋯?

 そもそも、俺の他に誰かいたか?

 いや、任務が長引いたことなんて、なかったかも⋯⋯?

 深く掘り下げるほど、記憶に霞がかかるようにあいまいになり、俺は額をおさえた。

「⋯⋯ア、コア!」

 肩を揺さぶられ、俺はハッと我に返った。

 心配そうにのぞきこむエルの目が、金色に光ってる。

 なんでエル、俺に妖力を使って⋯⋯。

「ビックリしたぁ。急にコアの体が銀色に光って、魔力の暴走を始めるからさ。とっさに妖力を使っちゃったよ」

「俺が⋯⋯?」

 言われてみると、体中にみなぎってた魔力が、少し減ってる。

 減りすぎる前に、エルが止めてくれたのか。

 エルは前の机に座り、腕を伸ばして、グッと伸びをしている。

「ごめん。ありがと」

「いいよいいよ。コアも暴走することあるんだなーって知れたし。それよりさ、僕の話、聞いてなかったでしょ」

「話? あー、聞いてなかった」

 俺が気まずくて頬をかくと、エルは身をのりだして、顔を近づけた。

「じゃあ最初から⋯⋯」

「お兄ちゃんたち⋯⋯?」

 少年が、目をこすりながら上半身を起こした。

 眠そうに垂れた目に、みるみるうちに涙がたまっていく。

 身構えたエルが、キラリと瞳を光らせる。

 けど、涙はこぼれず、鳴き声を上がらなかった。

「あの、ねっ。俺、姉ちゃんがいなくなるとこ、見たんだ。嫌だ、って、姉ちゃんは叫んでたけど、俺、怖くて⋯⋯っ! ペチャッペチャッ、ってね、液体がとび散る音も、聞こえてたの。叫び声も小さくなってってね、窓から何かが出ていくとこも、布団のすき間から、見てただけでっ⋯⋯!」

 泣くまいと必死に歯を食いしばる少年は、ギュッと毛布を握っている。

 エルが少年の横にしゃがみ、背をさすってあげる。

「ゆっくりでいいよ。僕の質問に答えてくれる?」

「うん⋯⋯っ」

「ありがとう。お母さんとお父さん、お姉さんがいなくなったのは、いつ?」

「母ちゃんは三日前、父ちゃんは二日前、姉ちゃんは昨日、だったと、思う」

「そっか。窓から出ていったやつの姿は、覚えてる?」

「えっとね⋯⋯毛むくじゃらでね、丸っこくてね、腕が六本くらいあった」

「うんうん。怖かったね。よく頑張ったね」

 そう言うと、エルは容赦なく少年と目を合わせ、気絶させた。

「⋯⋯絶対にくるね、今夜」

「ああ。腕が六本、じゃなくて、腕が四本で足が二本だろう。典型的な人食いの妖だ。少し遠くから、こっちをうかがってるな」

 俺は、カーテンの閉まった窓をにらみつける。

 まったく⋯⋯。妖は人なんて食べないでも生きていけるっているのに。

 最近は、趣味感覚で人間を殺す妖が増えてきて、俺らのとこに依頼が止まらなくなってる。

 なんで分からない。なんでやめない⋯⋯!

 妖だって、家族単位で生活したりもする、人間より強いだけの生き物だろう。

 自分以外を大切にする気持ちだって、どこかに持ってるはずだ。

 だったら、俺らのその気持ちも分かってくれよ。

 俺らの命は、お前らの玩具になるほど、軽くはないんだ⋯⋯!

「でもね、この子、襲われても殺されはしないかもしれない」

「? なんでだ」

 殺されない?

 でも、あの部屋には血が充満してた。

 とてもあの量の出血で助かるとは思えない。

「子ども部屋のほう。あっちはたぶん、お姉さんの血じゃない。右の部屋の血の匂いと、全く似てなかったんだ。ほら、僕は鼻がいいから。同じ血の人間っていうのは、大体分かるんだ」

「別の人間の血をまいたってことか? なんでわざわざ、そんなこと⋯⋯」

「捜索させないためじゃない? ただ攫うだけじゃ、生きてるかもって思われるかもだから」

 エルが目を細めて、口元を不気味にゆがませる。

 あぁ、その表情、嫌いだ。

 別の世界の壁を隔てて、俺とは違うって、はっきり区別されたみたいで。

 エルがときどき、怖く思えるから。

「⋯⋯動いた」

 エルが少年を抱えて立ち上がり、暗闇をじっと見つめる。

 本当だ。もう⋯⋯家に入ってくるな。

 ガタガタッ

 奥の部屋から、風が流れてくる。

 窓から侵入したか。

 妖力を探知しようと、家中に薄く魔力を広げる。

 ⋯⋯おかしいな。俺の探知に引っかからない⋯⋯?

 妖力の反応がない。気配はするのに⋯⋯。

 妖力を隠せる妖なんだったら、俺らの手に負えないんじゃ⋯⋯!

「エル」

「知ってる。でもたぶん、そんなに強くないはずだよ。人型じゃないみたいだし」

 見上げたエルの横顔は、緊張したようにこわばってる。

 あの妖が強くないと思うなら、なんでそんなに表情が固いんだよ。

 ああ、クソッ! いつもみたいに余裕の笑みを浮かべててくれよ!

 俺まで怖くなってきたじゃん!

 部屋をあさってた気配が、俺らのほうに気を向ける。

「ミぃつケたァァァ」

 不快な震えを帯びた声がすると同時に、妖がリビングにとびこんできた!

 タンッと壁に当たってはいつくばった妖は、丸くて毛むくじゃら、足が二本で腕が四本あった。

 エルは低くうなりながら身を沈め、俺も腰をおとして妖を見すえた。

「へェエェェエ。はヤイんダねエェ」

 何が楽しいのか、妖はケタケタと体を揺らして笑っている。

 能面みたいな顔だけが、白く光った。

「何人食った? この家の子どもはどこだ? 何が目的だ?」

 ブワッとおされるような圧と妖を照らす金色の光に、チラリと視線を後ろに流す。

 エルが猫の耳と尾を出して、フーッフーッと息荒く威嚇していた。

 どうしたんだ、エルのやつ。いつもは間髪入れずにとびかかるのに⋯⋯。

 妖は、エルの妖力を正面から受けて、一歩後ろに下がる。

「コのヨウリョク⋯⋯ワレらガシちハシらの⋯⋯」

「はやく答えろ」

 ひるんだように縮こまった妖が、ダンゴムシみたいに体を丸めた。

「防御をとったか⋯⋯? エルの妖力をまともに食らったら、そうなるのも無理ないよな。⋯⋯エル?」

 エルからの反応がない?

「おいっ、エル!?」

 俺がパッと振り返ると、ケホッとエルがせきこみ、口から血が垂れる。

 うつろな目をした少年が、エルの首に刃物をつき刺していた。

 エルは立てた足で少年の体を支え、自由になった片手で少年の手をはがし、そっとソファに寝かせた。

 フラリとよろめいたエルを受けとめ、俺はサッと顔色を変えた。

「エルまさか、妖力を吸われたのか!? 傷の治りが遅いのも、そのせい⋯⋯」

 ハァッハァッと荒い呼吸をくり返すエルの喉元に手を当て、魔力をこめる。

 妖に魔力は毒だけど、エルは俺の使い魔だ。

 だからきっと、傷の治療もできるはず⋯⋯!

「ケケケケッ。やっぱ、七柱様の妖力は強大だなぁ。一気にこんなに成長できちゃった」

 まさか⋯⋯!

 エルに魔力を送りながら、首をぎこちなくキギギッと動かす。

 スラリとした人型のシルエットに、俺はチッと舌打ちをした。

 ――人型じゃないみたいだし。

 エル、戦闘途中で人型になっちゃったんだけど⋯⋯!

 エルが万全ならともかく。

 俺だけじゃ、人型を相手になんて、ムリだよ!

 エルはうっすらと目を開け、俺を見上げる。

 何かを言おうと口を開いたけど、息を吸っただけで激しくせきこんでしまった。

「ゲホッゴホッ⋯⋯!」

「しゃべるな。傷が開くから!」

 エルがこんな状態じゃ、戦うのなんて無理だ。さすがのエルでも死ぬ。

 妖は、動物の姿のものが中級、人型が上級、それ以外は下級に分類される。

 エルは上級を相手にできる実力を持ってるけど、俺は中級が限界だ。

 だから俺は、一人で任務に行ったことがない。

 ⋯⋯本当に、エルはなんでこんな俺の使い魔になったんだろうな。

 無力すぎて、いっそ笑えてくる。

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