第2話
俺はベッドの下の引き出しから黒いコートと猫の仮面をとり出し、サッと身につける。
興奮して猫のしっぽと耳が出てしまっているエルも、隣の引き出しから戦闘服を引っ張り出した。
ウキウキと着がえるエルだけど、俺は不満だ。
ジャケットのような大きめの黒い服に、ピッタリと足に沿うタイツ。
口元をおおうマフラーに、俺とおそろいの猫の仮面。
おかしい。どう考えても、エルのほうが動きやすい服だろ。
俺のほうが、はっきり言って弱いんだから、もうちょっと腕とか出しやすくしてほしかったよ!
魔力を使うだけなら、いいんだけど。特別な動きは滅多にしないから。
だけどさあ、妖と戦うときは、走らないといけないじゃん。止まってられないんだよ!
俺がつき出した腕に被さるコートをじっとにらんでいると、着がえ終わったエルが、あきれたようにポンポンと俺の頭に手をのせた。
「あきらめなって。僕はいいけど、コアは人間なんだから、少しでも頑丈な服のほうがいいよ」
「くぅぅぅ⋯⋯! 俺だって、タフなほうなのに⋯⋯!」
「その髪だって、妖から隠れるのに不便でしょ。支給されたんだから、文句言わないの。どうしてもって言うなら、自分で作ればよかったんだから」
「それに命預けんのは、めっちゃ不安だろ!」
「ソダネー」
どうでもよさそうに冷たい目で見下ろすエル。
でも俺は知ってる。
その瞳の奥に、火傷しそうなくらい熱い闘争本能が渦巻いていることを⋯⋯!
「⋯⋯分かった分かった。もう行こうか」
俺の言葉に、パァッと顔を輝かせたエルが、タンッと窓枠に足をかけ、開け放った窓から外へととび出す。
さすが、速いな。
俺も追わないと。今のエルは戦いたくてウズウズしてるから、暴走しかねないし。
もうそろそろ現場に向かわないと、着くころには真夜中になって、犠牲者が増える可能性もある。
俺は窓枠に両足をのせ、近くの木に狙いを定めた。
「⋯⋯なんの音だ?」
ジジッとノイズのような小さな音が、後ろから聞こえ、俺は首を回す。
吸いこまれるようにして、ベッドの上に放り出された依頼書の文字を目でなぞる。
少し魔力をこめた視線は、報酬の数字にぶつかった瞬間、ジジッとノイズ音がして魔力を解かれた。
八十万の文字が押しつぶされるように歪みはじめる。
⋯⋯なんだこれ。
依頼書の文字が動くなんて、初めてだ。
しかも、報酬額だけなんて、何かそこに意味が⋯⋯。
「コアー! はやく行こうよー! 僕興奮が収まらなくて、この山ごと破壊しちゃいそうー!」
下のほうから、べキョッと何かが潰される音がした。
「ちょっ!? ああもうっ落ちつけって!」
まだ形を作らない文字から無理矢理目を離し、俺は窓枠をけって木にとび移る。
エルが暴走したとき用に備えてある、両腕で抱えこめるくらいの大きさの円柱の金属。
それが、エルが上からたたき潰したせいで、エルと同じ高さだったのに、四分の一くらいに凹んでる。
この金属、実は魔術具で、魔力を流しこめば、元に戻るようになってる。
魔術具っていうのは、魔力を流して使う道具のことで、様々なものがある。
妖を切る剣とか、治癒ができる機械とか、俺の部屋のテレビも、魔力で動いてる。
なんせ、こんな山奥には電気も水も、何も届かないからね。
不便なんだけど、この山には妖が嫌がるモノが充満してるらしく、安全なんだそうだ。
エルは⋯⋯たぶん俺の使い魔だからセーフ。
木の枝の上でしゃがみ、今にも地面を殴りそうなエルに猫じゃらしをつき出す。これも一応、魔術具だ。
「おーいエル。行くぞー」
「⋯⋯っ! グルル⋯⋯」
殺気立った獣の表情を一瞬で引っこめ、エルは甘えんぼうな子猫みたいにトッと俺の隣に着地して、猫じゃらしに手を伸ばす。
⋯⋯何度見ても面白いな。あの大人なエルが、無邪気に身を乗りだしてるなんて⋯⋯!
名残惜しくも俺がフッと魔力をぬくと、エルはハッとしたように、猫じゃらしをつかんだまま固まった。
ニヤニヤとエルの顔をのぞきこむと、カァッと顔を赤くして猫じゃらしを離した。
「コア! ソレは使うなって言ったでしょ!」
「暴走するエルが悪いんだろ」
「はやくこないコアが悪い! ⋯⋯うぅっそんな目で見るなあー!」
エルは俺の視線から逃げるように上の枝へとび移り、南の方向へ木々を伝っていく。
あーあ、そんなに慌てて大丈夫か?
こういうときのエルって⋯⋯。
「うっうわああぁああぁー!」
山の麓あたりで叫んだエルの声が、山頂の俺まで届く。
⋯⋯エルって、恥ずかしくなるとドジ、だな?
「今日の獲物は僕が狩る」
「いや、妖同士じゃ無理だろ」
ギラギラと仮面の奥で光るエルの目は、ちょっと⋯⋯いや、かなり怖い。
俺はあのあと、全身葉っぱだらけのエルを回収し、目的地である小さな村に向かった。
一面に広がる田んぼの中に、ポツポツと木造の一軒家が建っている。一言で言えば、田舎だ。
「おい、そろそろ機嫌直せよ。どこから出てくるか分かんないんだから」
「いい。どこから出てきても、狩れる」
目が合っただけで気絶しそうな殺気を放ちながら、エルは周囲を鋭く見回す。
猫じゃらしを使うと、いつもこうなるんだよなぁ。
暴走したら、俺の家一帯が吹きとびかねないし、止めるには俺が猫じゃらしを使うしかない。
まあ、次の日にはケロッとしてるしな。
今日は会話ができるだけ、マシなほうだ。
任務だって問題なく動けてるし、猫じゃらしを使うことに、俺はあまりデメリットを感じないな。
俺の住む場所がなくなるより、全然いい。
俺らは踏み固められた道をゆっくりと歩き、近くに妖の気配がないか、探す。
だけど⋯⋯。
「コア、全然気配がないんだけど」
「俺もだ。八十万の依頼なのに、見つからないなんて、詐欺だ」
「そういうことじゃないでしょ⋯⋯」
エルがあきれたようにため息をつく。
それもしかたない。いつもは短くて一時間、長くても四時間で終わるのに、今回は探すだけで五時間をこえてる。
もうここにはいないのか、隠密なんていう高度な術を使える妖なのか⋯⋯。
なんにせよ、もう帰りたいよ⋯⋯。
「あっ、すみませーん。ここで起きている事件について、調べにきた者ですが」
エルが道から外れ、田んぼを一つとびこして、家の扉をノック。
「なっエル!?」
勘弁してくれよ。俺らは目立っちゃダメなんだから⋯⋯!
足に魔力をこめ、俺は田んぼの上をジャンプしてエルの足元に着地する。
「行くぞ、エル」
俺がエルの袖を引っ張ったときだった。
バンッと目の前の扉が開いて、ギラリと光る刃物がつき出された!
エルは半身になってよけ、刃物の奥をつかんでひねり上げる。
「⋯⋯? 子ども?」
エルにつり上げられているのは、十歳くらいの少年だ。
無地の白いシャツと黒いズボンをはいていて、全体的に汚れている。
その表情に、子ども特有の無垢な笑みはなく、親の敵でも見るような目でエルをにらんでいる。
「俺の家は渡さない! 一人だからなんだ。ここは俺のものなんだ!」
エルはほえる少年を冷たく見下ろし、そっと地面に下ろした。
少年はバッと地面に落ちた刃物を拾うと、扉の前に立ち、両手で構えた。
興奮しているな。こっちの話を聞いてくれそうにない。
「エル⋯⋯」
「驚かせてごめんね。僕たちは君の敵じゃないよ。ここでの事件を調査しにきたんだ」
袖を引く俺を無視して、エルは少年の前にしゃがみ、目線を合わせる。
俺らは人の記憶に残ったらいけないんだって⋯⋯。
エルの肩に手をおいた俺は、ハッと息をのんだ。
顔を少しのぞきこむと、エルの目が強く金色に光ってる。妖力を使ってるんだ。
「敵じゃない⋯⋯? でも、最近くる人たちは、みんな、家を渡せって。俺からとりあげようとするんだ」
「そっか。でも、僕たちはしないよ。この家は君のもの。僕たちは敵じゃない。そうでしょ?」
「お兄ちゃんたちは敵じゃない⋯⋯」
少年がうつろな目でつぶやき、腕を下ろした。
エルがよいしょと立ち上がり、パンッと手のひらを打つ。
はじかれたように目に光をとり戻した少年は、困惑したように俺らと手の中の刃物を見比べた。
そして、なぜか疲れたように眉を下げ、横に一歩ズレた。
「⋯⋯お兄ちゃんたち、この村の事件について知りたいんだよね? よかったらさ、俺の家を見ていってほしい」
俺が入るのを躊躇していると、エルが耳元に顔を寄せてきた。
「何かありそうだし、入ってみよう。さっき扉が開いたときから、血っぽい匂いがするんだ」
「は? エル、それって⋯⋯」
言い終わるのを待たずに、エルは家に入っていった。
えー、絶対この家、今は妖いないでしょ⋯⋯。
下から視線を感じて目を向けると、少年がすがりつくような目で俺を見つめていた。
⋯⋯分かったよ。入ればいいんだろ。
俺は少年の前を通り、玄関に足を踏み入れる。
靴は脱がずに家に上がる。
けど、特に変わったところはない。少年が掃除をしているのか、ほこり一つも落ちていない。
タタタッと後ろから追いかけてきた少年が、俺の横に立って、廊下のつきあたりを指さした。
「あそこにね、二つ部屋があるんだ。右が父ちゃんと母ちゃんの部屋で、左が俺と姉ちゃんの部屋。そこを見てほしいんだ」
痛みをこらえるように歯を食いしばる少年は、覚悟を決めたように歩き出した。
「⋯⋯まずは右だな」
見る必要あるか? 時間のムダな気がする。
俺が右の部屋に手を伸ばすと、触れる前に勝手に開いた。
「ひっ」
「あ、コア。特に何もなかったよ。予想どおり、血が部屋中の床に染みこんでた。二人分の異なる血液だったから、この子の両親のもので間違いないと思う」
「そうか」
「で、何やってるの? 子守り?」
「そんなわけないだろ。エルが急に出てくるから、怖がっちゃったんだよ」
俺は、腕にしがみつく少年を引きずって、左の部屋の取っ手に手をかける。
それを珍しそうに眺めながら、エルは後ろであくびした。
「⋯⋯暇そうだな、エル。ガキの面倒を見ててくれよ。動きづらいんだ」
ニッコリと笑みを浮かべ、エルに少年をおし出す。
エルは開けていた口を一瞬で閉じ、ブンブンッと顔の前で手を振った。
「いやいやっ、僕だって忙しいんだからっ。コア、僕が先に入るよ。そうしたら、片手が空くでしょ」
エルのやつ、面倒なことから逃げやがった⋯⋯!
サッと手を払われ、エルが部屋の中に滑りこむ。
「うっ⋯⋯!」
中からエルの苦しそうな声が聞こえ、俺は扉を壊す勢いでおした。
「エルッ!? ⋯⋯?」
妖にでも襲われているのかと思っていたのに、俺が目にした光景は、どうもマヌケなものだった。
アレってたぶん、エル、だよな⋯⋯?
衣装棚とちゃぶ台におし潰されているエルに近づき、チョンチョンとつま先でつつく。
うん、生きてるな。大丈夫そうだ。
俺はエルを放っておくことに決め、部屋の様子を観察する。
ちゃぶ台と衣装棚、奥には二段ベッドか。
よくある子ども部屋だな。
ただ⋯⋯血の匂いが濃い。
左の部屋からはあまり感じられなかったのに、こっちの部屋は、妖の気配が少し残っている。
暗くて部屋の色は細く見えないけど、何日か経っても血の匂いがするんだ。結構な範囲に血が染みついてるだろうな。
「⋯⋯あれ? これさ、誰の血?」
いつの間にか抜け出したエルが、鼻をヒクヒクと動かして床に伏せる。
倒れてたちゃぶ台も衣装棚も、元あったようにキレイに並べられてる。ちゃんと戻すんだ。
「エル、それはどういう⋯⋯」
「おに、ちゃ、おれ、おれ⋯⋯!」
エルに視線を向けたつもりが、半べその少年と目が合ってしまい、その瞬間、うわああっ、と耳を塞ぎたくなるような大声で泣かれた。
うっわぁ、メンドくさ⋯⋯。
泣きやませる方法なんて知らないし、かといって、泣かせておいて任務に支障が出るのも困る。
お手上げ状態で遠くを見ていると、エルがサッと少年の前にかがんで、目を光らせた。
ガクッと気を失った少年は、エルに抱えられ、安らかな寝息を立てた。
「あんまり一般人に妖力を使うの、よくないぞー」
「じゃあ、他の方法で泣きやませればするよかったじゃん。できなかったでしょ」
うっと言葉につまる俺を見て、エルは満足げに笑った。
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