トゥエルブ・ズ・コア〜12の魂〜
流暗
一章
第1話
トントンッ
遠慮がちに扉をたたく音に、俺はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
日光の筋一本も入らない俺の部屋。
俺が今寝ているベッドと勉強机とテレビ以外には、何もない。
当然ながら、目が慣れていなければ、一寸先すらも見えない真っ暗闇。
俺は布団を顔まで引きよせると、壁側に寝返りをうった。
「あのね、コア。また、依頼がきたんだ。今回は夜に現れる人食い、だって。それでね⋯⋯」
「依頼書、置いといて」
俺がそっけなく言うと、声の主――俺の母さんは、小さく息を吸って、言葉を止めた。
ためらうような気配が、扉を隔ててまとわりついてくる。
⋯⋯なんなんだよ。用が済んだなら、離れてくれよ。
そう口に出すのも面倒で、俺は小さくため息をついた。
十分ほどして、覚悟を決めたように、扉に手をつく音が聞こえた。
「コア。辛いと思うんだけどね、その、私と話をしない? 二年も顔を合わせてないし⋯⋯。きっとね、話して楽になることもあると思⋯⋯」
「うるさい。俺のことは放っておいてくれ」
母さんが、傷ついたように一歩下がる。
話して楽になるなら、心の傷を癒せるなら、あのとき俺は救われていたはずなんだ。
だけど今、家にいるときは、部屋から出ない。
何があったかって? ⋯⋯正直俺自身も、よく分からない。でも、なんとなく思うんだ。
ときには、言葉の解決なんて、できないことだってあるんだよ。
いや、そっちのほうが多いかもしれない。
時間が経てばきっとほぐされるって、そう信じてる。⋯⋯信じるしかないんだ、って。
「⋯⋯ごめんね。依頼、嫌だったらこっちに回していいからね」
母さんは寂しそうな音を立てて、離れていった。
別に、謝ることなんてないのにな。
「ねぇコア。今の言い方はないんじゃない?」
「どこがだ」
「⋯⋯まさか無自覚? 重症だねぇ」
音もなく暗闇から浮かび上がった黒い猫。
俺の使い魔兼、世話係のエルだ。
「いつか戻るといいねぇ。で、今回の任務はどんな? 僕もついていっていいよね?」
「もちろんだ。俺も詳しくは見てないけど、人食いの妖だそうだ。エル、依頼書取って」
「はぁーい」
エルが尻尾をゆらりと振ると、俺の頭の上に一枚の紙が落ちてきた。
またか⋯⋯。俺の頭にのせるのはやめろって、いつも言ってるのに。
紙を手でどかしてゆっくりと上半身を起こし、不満をこめてエルを見下ろす。
エルはいたずらっぽく金色の目を細めると、俺の布団にとびのって、紙をのぞきこんだ。
「人食いの妖、姿は不明、現場は人の少ない村で、ここから三キロメートル、被害者は大量の血痕を残して消息不明、共通点はなし」
「報酬は八十万か。まぁまぁだな」
「コア⋯⋯そういうのばっかり求めるのも、どうかと思うよ」
「なんでだ。これは命がかかってるし、任務なんだから、金を目当てにして何が悪い」
「一理あるけどさぁ」
エルがなにか言いたげな表情を向けてくる。
俺、何か変なこと言ったか?
まさか無料だなんて、俺ら一族の任務は、そんなに慈悲なものじゃない。
ボランティアでやれるほど、簡単じゃないし、安全じゃないし、仕事だからだ。
任務で死んだやつも、行方不明になったやつもいる。
俺らの命は、そんなに軽いものじゃない。
少なすぎる報酬の依頼もたまにあるけど、なめてんのか? 俺らの命はそんなに安くない。
相応の報酬がなければ、俺は解決なんてしてやらない。
出しおしむなら、自分たちでどうにかしろって話だ。
俺はすぐ横で閉まっているカーテンを引っつかみ、左右にシャッと開いた。
闇に閉ざされていた部屋を、柔らかな白い光が包みこむ。
切りとられた四角い枠には、吸いこまれそうなほどスッキリとした青空と、風に揺れる鮮やかな木々が映っている。
慣れない眩しさに目を細め、俺は腕を上にグッと引っ張った。
「俺のやり方が気に入らないなら、エルは無理に従う必要なんてない。嫌なら、今すぐ契約を解いて、自由にしてやるから」
まぁ当然、こんな優秀な使い魔には離れてほしくないけどな。
俺が試すように言い放つと、エルは少し目を見開いて、ゆっくりと頭を下げた。
「そんなことしないで。僕はコアに忠誠を誓ってる。嫌なんじゃなくて、ただの僕の考えだよ。コアが嫌じゃなかったら、僕を使い魔のままにしてほしい」
「いや、俺も悪かった。俺のほうこそ、エルを手放したくないのにな」
顔を上げたエルと、視線がぶつかる。
お互い困ったように苦笑いをし、ベッドから抜けた。
⋯⋯さてと。夜まで、アレをやるか!
不敵な笑みを交わし、俺はあるモノを手に取った。
「あ゙ー、くっそ! また負けたぁ!」
俺は握りしめたコントローラーを放り投げ、ガシガシと頭をかきむしる。
大きく弧を描いたコントローラーは、空中で軌道を変え、黒髪の男の人の手に吸いこまれた。
「ダメだよ、コア。モノは大切に使わないと」
爽やかに笑ってコントローラーを差し出す彼は、あの黒猫のエルだ。
実は妖で、妖にとって難しい、人間に化けることができる。
襟足くらいの長さのサラサラの黒髪に、垂れた穏やかな目。
スッと高い鼻に、形のいいピンク色の唇。
左の目尻には泣きぼくろがあって、甘い雰囲気をさらに濃くしている。
ようするに、イケメンだ。
俺は、サラサラとはとても言えない自分の銀色の髪をいじり、そっぽを向いた。
うらめしい⋯⋯! なんで俺が着ても普通なシャツが、エルが着れば一級品みたいに見えるんだよ!
「コアは今日だけで、九十八戦中、一勝九十七敗だね。その一勝だって、僕には状態異常というハンデがあって⋯⋯」
「うるさい! それも実力のうちだ!」
「はいはい。コアはステータスが僕より低いからねぇ」
「俺は低くない! エルが高すぎるんだよ!」
ギャンギャンほえる俺を、エルが生あたたかい目で見ている。
俺のステータスは低くない。本当だ。ムキになってるわけじゃない。
ただ、エルと比べると⋯⋯だいぶ差はあるけど。
フーッフーッとエルを威嚇しながら向けた視線の先には、白く発光するテレビ。
伸びた配線はコントローラーの充電器につながっている。
テレビに映るミニキャラと横に並ぶ文字を見ながら、俺は小さくうなった。
俺らは今、テレビゲームをしている。
テレビの中の自分のキャラを操作して戦うっていう、よくあるゲームだけど、俺らがやってるモノには、特殊な点がある。
それは、俺らが宿している魔力をコントローラーに流すことで、その人の能力がそのままゲームのキャラに反映することだ。
魔力は、俺ら一族が生業とする妖退治に欠かせないもので、身体能力を上げたり、水や火を出したり、傷を治癒したりと、人間離れしたことができる力のこと。
濃度や量に個人差はあるけど、持たずして生まれた事例は、過去に一度だけ。
その人も、どうなったのかは、全く書かれていない。
歓迎された雰囲気ではなかったのは、たしかだ。
よくて雑用、悪くて⋯⋯想像するのはやめよう。
とにかく、魔力の有無はもちろん、濃度や強さなんかでも、周囲の扱いは大きく変わる。
ただし、実績を上げれば本家から称号を与えられることもあるから、必ずしも魔力が全てではない。
「俺のほうがステータス低いって分かってんだから、ちょっとくらい手かげんしてくれてもよくない?」
俺は画面の文字に目を滑らせながら、不満をこぼす。
悲しいことに、隣に並んでいるエルのステータスとは、全部十以上の差がある。
勝てっこないんだよ! このムリゲーめ!
エルはそんな俺に、こう言い放った。
「違うよコア。手かげんなんてしたら、コアが成長しないじゃないか」
それはそれは、キリリと顔を引きしめて。
あたかも全て、俺のためであることを主張するように。
「嘘つくな。俺をボコボコに殴ってるとき、口元が全力で笑ってんの、知ってんだからな」
「それは⋯⋯アレだよ。コアが少し成長したなぁって嬉しくなったんだよ」
「楽しんでるだろ」
「いやぁ別に? 本気でぶつからないと、コアの修行にならないでしょ。ほら、もう一戦!」
「こんの鬼! やられっぱなしの俺の身にもなれよ!」
俺はバッとエルからコントローラーを奪いとり、二つまとめてズダンッと充電器に差しこんだ。
傾いた太陽が、エルの期待で輝く顔を赤く照らす。
もうすぐ夜だ。
世界が光を失い、闇に沈んだ、その空間は。
ヤツらが活性化するとともに、地球に巣食った人間を絶望につき落とす。
そこで俺らに依頼がくる。俺ら一族しか対応できない、摩訶不思議な任務だ。
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