第2話 宙に浮く

 

 平日。男は仕事が終わると一直線に帰宅する。上階の部屋は静まり返っている。

 上階の女性が部屋に居ないのを確かめると、男はユニットバスに向かった。


 男はユニットバスの天井を見上げた。楕円形の天蓋が見える。点検の為の天井裏に入る出入り口。

 男は湯船の縁に足をかけ、その蓋を持ち上げ少しずらした。薄暗い中、天蓋の穴から零れる灯りが天井裏を照らす。


 眼が慣れてくると、上階のユニットバスの底らしき物が大きくせり出していた。

 ユニットバスを支えているのは、数本の柱だけ。まるで、中に浮いている様にも見える。

「何だよ、天井板というか床板というか、そういうのが無いのかよ」

 思わず、男は呟く。


 本来なら、コンパネなどで一階と二階を仕切っている筈。それに、ユニットバスを載せる板が無ければ、防水加工も不可能だ。

 男は建物に関しては素人同然だが、それ位は容易に想像が付く。


 昔は、二軒長屋や安アパート等で、天袋と屋根裏空間を隔てるのに、薄っぺらな板が乗っているだけの所が多かった。

 釘止めさえもしていないその板をずらし、屋根裏を覗けば、隣の部屋との仕切り板が取り付けられていない貸家が多かった。

 小汚い人間なら、天井裏に潜んで隣の部屋を覗き見るなど容易だっただろう。ネズミの糞だらけさえ我慢できればの話ではあるが。


 しかし、今の建築基準では、この様ないい加減な工事は通らない。


 男の借りたこのアパートの造りは、違反建築なのか? 恐らくオーナーが建築費をケチったか、悪徳業者の手抜き工事か、それにしても安普請なアパートだ。

 

 だが、男にとっては好都合。男は、時間を作ってはホームセンターに行き、セッセと何やら買い集め出した。

 脚立を購入し、角棒やドライバー、木ネジ類。ガムテープまで揃える。


 男は、慎重に時間を選び作業を始めた。

 ユニットバスに脚立を持ち込み、天井裏への出入りをし易くする。角材を天井裏に運び込むと、テープを使って足場のような物を組み立てる。 テープだけでは心許無いので、補強として木ネジを斜めに差し込み強度を上げる。

 数日掛け、工夫を凝らした足場を天井裏の空間に作り上げた。出来上がってみれば、天井裏への上り下りがスムーズで、しかも、空間に留まれる丈夫な足場。

 男は満足げに、後に味わえるであろう事を妄想し、一人ニヤける。



 男が、ユニットバス天井裏に潜り込んで数時間が経った。

 微かに入り口ドアを開ける音が聞こえた。一体どの様な事が待ち受けているのだろうかと、男は期待に胸を高鳴らせる。

  

 差ほど時間を経ずに、二階のユニットバス扉が開けられた。女性がゆっくりと便器に座る。その姿が淡いシルエットとなって、男の目に飛び込んだ。

 決して期待通りの姿とは言えないが、ともあれ、喜びと共に興奮する。

 しかし、男はそれだけで満足出来ない。シルエットでは無く、何とか実視したい。その思いが募る。

 

 翌日。男は自分の部屋のユニットバスに潜り込んで何やら探し始めた。

「人間の視線の死角。それでいて、水がそこから流れ落ちない場所に穴を作るには、どの位置が最適か?」

 

 男は、ユニットバスの隅々まで見回す。更に、普段なら不潔な感じを持っている便器の近くまで顔を近付け、必死になって探す。

 壁際に付いている、便器内に流す水を溜めて置くシスタンク。その裏側近くのある一点に場所を絞った。

 男はその場所に目印を付けると、離れたり近づいたり、様々な角度から死角になり得るかどうかの検証をする。


次回の「執念」につづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る